はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

京阪電車京津線の前面展望を楽しみました

2022-01-21 16:25:25 | 鉄道
京阪電車京津線(けいしんせん)は、京都の御陵駅から滋賀のびわ湖浜大津駅を走る路線です。
京津線は、鉄道ファンが喜ぶ特徴を沢山持った路線なのです。
それでは「出発進行!」


びわ湖浜大津駅を出発してすぐに急カーブ(R43m)が現れます。




しばらくは路面(併用軌道)を走ります。この京津線は路面電車としては日本一の長さです。




二つ目の信号の左側には、旧東海道大津宿の風情のある景色が残っています。




上栄町駅の手前から路面と別れて、専用軌道に入ります。このカーブが路線一の急カーブです。




上栄町に到着です。京津線は各停しかありません。




上栄町駅を出ると、いよいよ京津線の核心部ともいうべき箇所にさしかかります。




次の大谷駅までは急カーブと急勾配が連続します。まさに登山電車といった感じです。




一番傾斜のきつい所では61パーミルもあるそうです。これは特例として認められているそうです。




大谷駅が近づいてきました。この駅も40パーミルの坂にあるそうです。




したがってホームに置かれたベンチはこんな状態です(笑)まさに珍百景です。




大谷駅を出た電車は山科方面に向かってどんどん下っていきます。左は国道1号線、右は名神高速道路です。




これは追分駅でしょうか?このあと四宮駅、そして京阪山科駅を出発すると、最後のサプライズが待っています。




なんと最後は地下鉄になりました。路面電車と登山電車、そして地下鉄と三つの顔を持つ電車です。




四宮車庫に停車中の電車です。少し小型で様々な条件に対応するように製造されたそうです。




ええ歳をしたおっさん(じじいでした)が、前面にはりついて撮り鉄をしました(ちょっと恥ずかしかったです)
京津線は興味が尽きない路線なので面白さが伝わればと思いましたが、いかがでしょう。
まだまだ書き足らないことがたくさんあると思いますが、今回はここまでとします。


※訪問日 乗り鉄したのは去年のことです。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (はりさん)
2022-01-22 21:39:05
hirorinさん
こんばんは。
昔は京阪三条から路面を走っていましたね。
そんな昔の話はご存知ないかな。
石山坂本線には乗ったことがないので
民家ギリギリのスリルを味わって見たいです。
可愛いラッピングは浜大津の駅で見たことがあります。
「けいおん」だったでしょうか。
コメントありがとうございます。
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Unknown (はりさん)
2022-01-22 21:04:36
takayanさん
こんばんは。
京津線に乗ったのは昨年のことですが
なかなかブログにまとめるのが難しくて昨日になりました。
京津線の運転手さんの運転免許や運転の苦労話しなども
書きたかったのですがあっさりとまとめました。
大谷駅のあのベンチにtakayanさんが関わっておられたとは。
次に乗車した時にはしみじみと眺めたいと思います。
京津線は私にとっても思い出の路線です。
日ノ岡駅(電停?)の近くに下宿していたので
京津線にはお世話になりました。
今は地下鉄になってしまいましたが当時が懐かしいです。
またお会いした時に色々とお聞きしたいと思います。
今日は高見山に登ってきましたが綺麗な霧氷に感動しました。
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京津線は (hirorin)
2022-01-22 20:20:11
昔、一度乗ったことがあるかなあ。なんか、ドキドキギリギリのところ走ってたような。

京阪の石山坂本線はよく乗るんですが、民家ギリギリに走ってますよね。
それで、ちょっと改札出たら家あるし~
無人駅もありますよね。
でも可愛いラッピングしてあるので楽しいです。
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ご乗車ありがとうございます (takayan)
2022-01-21 23:44:13
こんばんは。
京津線の運転台からの景色が懐かしいです。
全線パスがあるのに、もう何年も乗ってません(笑)
上栄町までの併用軌道では、長い車両をスムーズに走らせるために、
交通信号機の条件を把握するための「残時秒表示灯」が設置されています。
3枚目の白色の表示灯がそれです。
交通信号機が青を表示していても、残時秒表示灯」消灯している時には
直後に信号が黄色に変わり、四両編成車両が通過するまでの時秒がないと言うことで、
信号機の手前で停止です。
無理に通過すれば途中で赤に変わってしまいまい、
一般車の通行の妨げとなります。

大谷駅のベンチやポスター枠は懐かしいです。
地下鉄乗り入れの際に全駅改修工事がありましたが、
大谷駅も四両編成を停車させるために駅の延伸工事がありました。
当時は駅の案内表示やベンチ等の設置工事の担当でしたので、
今もそのまま残っているのを見ると懐かしいです。
大谷駅では木製ベンチや木製のホーム柵、ゴミ箱や灰皿(今は無いようですね)などを、
デザインの先生の指導で杉材を使って製作しました。

車両が長くなり、上栄町の専用軌道へ入る下栄町交差点では通過の際に、
列車の後部に車が接触することもありました。

四宮車庫も懐かしいですね。
寒い冬の初発列車の出庫は辛かったです(笑)
takayanが運転士をしていた頃は、80型がある時代でした。

800系は当初、ブルーと黄色のラインの日本の伝統色でしたが、
今は全て京阪カラーになってしまいましたね。

50歳くらいから営業課から運輸へ戻り、大津線のPTC化の担当になり、
運転指令室で57歳まで勤務、その後定年まで本社勤務で天満まで通いました。
もう随分と昔の話になりました。
懐かしい車窓風景をありがとうございます。
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