2024年12月2日(月)
大菩薩嶺から熊沢山までやって来た。
その後天狗棚山を目指すが、まず手前の石丸峠へ下る。
この先富士山は小金沢山に隠れてしまう。
日影ではまだササに霜がついている。
石丸峠には小屋平へ下る分岐、その先に牛ノ寝通りへの分岐を確認。
ひと登りで天狗棚山山頂。(11:25)
木の間から奥多摩の山々。
右の方に御前山、大岳山なのだが、御前山の麓に見えるのは奥多摩湖?
奥の方に見える街は飯能の方かな。
振り返ると左に熊沢山、右奥の方が大菩薩嶺
南西のほうには大菩薩湖越しの南アルプス。
天狗棚山も下り、奥の方の笹原が狼平。
狼平から景色を眺め休憩したら、写真中央辺り、笹原に一本ちょっと斜めに立っている木(松?)まで戻り、そこから下山する。 このトレイルは登山地図に無く初めて歩くのだが、たびたび拝見している方がちょっと前に下っているので、一か八か行ってみる。
まずは狼平到着。(11:47)
ここも主トレイルから少し離れた場所で、こんな所に道標があり「狼平」と書いてあるのは初めて見た。
開けた笹原から天狗棚山と熊沢山を振り返る。
そして南アルプスや青空を満喫したら、先ほどの場所から下山。
ちゃんと下れるかな。
やはりあまり人が通らないようで踏み跡は薄いが、それでも人の通った跡だとわかる。
テープもほぼついているので、よく見て下ってゆく。
樹林帯と涸沢を交互に下る感じ。 倒木など発生したらすぐには除去されないかも。
ここで車の通らない林道に出る。(12:29)
その後林道をたどって歩いてゆくと、石丸峠から下って来るトレイルと合流する。
振り返ると左の方の笹原が狼平、右のピークが小金沢山。 ちょっとおやつ休憩。
林道を歩いているとどうやら八ヶ岳も金峰山も雲が取れたようだ。
左に真っ白な乗鞍岳も良く見える。 あ~、今頃か~。
その後林道からトレイルに入り下ってゆく。
下った先に車が通る林道。 小屋平バス停。(13:16)
朝、車で通って来た道だ。
ここをさらに直進しトレイルに入って上日川峠へ。
下り基調で沢も3回くらい渡渉する。
ここが最後の渡渉で、この後上日川峠へは上り。
一日の最期に上りはきつい~、とようやくロッヂ長兵衛さんに到着。(13:47)
この後車に戻り、予定していたお寺巡りにGO!
ふたつのお寺を巡る予定だが両方とも上日川峠から甲斐大和駅の間にある。
まずは「天目山栖雲寺」
こちらには武田家第13代当主(信玄公の6代前)武田信満公の墓所がある。 11月10日に岩櫃山に登った際、真田昌幸が小田・徳川連合軍に攻められている武田勝頼を迎え入れようとしていた潜龍院跡を訪ねた。 勝頼はそちらにはいかず甲府の岩殿城に向かい、結局自刃に追い込まれ、武田家滅亡となる。 岩殿城から逃げ延びようとしていた目的地がこの栖雲寺だったそう。 しかし栖雲寺は既に織田信長によって全焼。 失意のうちに引き返し、自刃した場所が次に訪れる「景徳院」となる。
栖雲寺は徳川家康によって再建された。
栖雲寺石庭
本堂の裏山がこのような岩山になっている。 この岩の上で座禅を体験することもできるらしい。
岩山を登って行くと途中に摩崖仏や摩利支天堂などがある。
立派な紅葉。 岩の上に生えているよう。
どんどん登って行くと次に行く時間が無くなりそうだったので、半分くらい?で引き返した。
またいずれ訪れてみよう。
武田家第13代当主(信玄公の6代前)武田信満公の墓所
「景徳院」にやって来た。
先の説明の通り、武田勝頼(37歳)ほか、北条夫人(19歳)、嫡男信勝(16歳)は小田・徳川に追われ、ここで自刃。
もともとここにお寺はなかったが、勝頼公一家を弔うため徳川家康が「景徳院(田野寺)」を建立した。
こちらの門は家康が建てた当時のものだそう。
景徳院本堂
こちらでは武田勝頼主従の墓碑や自刃した生害石などをお参りさせていただいた。
薄暗くなる前に墓参を終えホッとする。 さすがにお寺とお墓、だから。(^^;)
久しぶりの大菩薩嶺を狼平まで歩き、白くなり始めた山々を眺めながら気持ちよく歩くことができた。 新しいトレイルも確認出来て良かった。 そしてようやく武田勝頼公のお墓を訪ねることもできて満足。 武田信玄公に至ってはまだあちこちにお墓があるようなので、何かの折に訪ねられると良いな~。 「道の駅甲斐大和」でおそばが食べられなかったのは残念! お蕎麦屋さんは 16:00までだった。 また来よう~♪
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