本稿で紹介するのは、ブログ友のteroさんにご教示いただいた情報です。高田純教授の「福島県民は誰も甲状腺がんにならない」。正に、正論。そう思い私も転記させていただきました。
蓋し、「放射能狂騒状態」の現下の日本に対して批判的な論者の多くも、誰も「放射線被曝が、低線量のものにしても、危険ではない」などと論じていません。要は、私も含むそのような論者は、
①低線量放射線の積年平準の被爆の危険性は確認されていない
②確認されていないことと存在しないことは別の事柄ではあろう
③定性的な観点からは、この世に絶対の<安全>など存在しない
④定量的な観点からは、例えば、致死量の青酸系毒物の如き絶対の<危険>は存在するものの、他方、例えば、酸素も水も極論すれば有害であり得るように、絶対の<安全>は存在しない
⑤定性的と定量的の双方において<危険>と<安全>は非対称的
⑥放射線被爆の許容値は、原子力発電の社会的利得と<危険の可能性>との比較衡量から割り出されるしかない。すなわち、放射線被曝の許容値は、(「赤信号」や「郵便ポスト」が赤色である必然性はないけれど、それが「赤」なら「赤」に社会的に決まっていることには、社会的な利得と意味があるのとパラレルに、低線量放射線/積年/平準/被爆の許容値も、)社会的な取り決めの範疇に属する所謂「調整問題」である
と、そう考えているのだと思います。而して、今般の福島の原発事故を経験した現在でも、否、日本における原子力政策にとっての「ノアの洪水」とも言うべき今般の福島第一原子力発電所の事故を経験した現在こそでしょうか、
原子力発電の、(A)短期的にはリーズナブルで安定的な電力の供給というメリット、(A)長中期的には、(a)エネルギー安全保障に不可欠なエネルギー源の多様化の維持推進、および、(b)日本が比較的容易に核武装することができる核武装のポテンシャルの維持確保。(B)これらのメリット、社会的利得の大きさは、臨床的・疫学的には健康被害がほとんど全く確認されない低線量放射線積年平準被爆の<危険の可能性>のデメリットを遙かに凌駕するものだとも。
この問題に、「福島発のノアの洪水」を潜る中で否応なく洪水前よりもより真摯に向き合い反芻した結果、日本国民は、そう確信をもって言える地平に、好むと好まざるとに関わらず降り立った。と、そう私は考えています。
而して、脱原発の論者の主張は、その根拠が「定量的」ではなく「定性的」であり、加之、脱原発のデメリットに対する具体的と包括的な手当、就中、その諸手当を実現するマイルストーンが欠落している。蓋し、放射能狂騒に興じる彼等の理路は、
・月か火星にウサギがいる確率は100%だ
∵月にウサギがいる確率は、「いる/いない」のどれかだから1/2
同じく、火星にウサギがいる確率も、1/2
∴月または火星にウサギがいる確率はその和なので、1/2+1/2=1、100%!
と、こんな論理(?)とパラレルなの、鴨とも。尚、この問題を巡る私の基本的な考えについては下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。
・放射能の恐怖から解脱して可及的速やかに<原発立国>に回帰せよ!
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65344571.html
・放射能と国家-脱原発論は<権力の万能感>と戯れる、民主主義の敵である
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/fd01017dc60f3ef702569bbf8d2134d2
・民主主義の意味と限界-脱原発論と原発論の脱構築
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65233888.html
・事故を乗り越え福島とともに進む☆原発推進は日本の<天命>である
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b622871cf5e7abeed93e370c6dceab35
要は、東日本大震災が惹起した「福島発のノアの洪水」が、(その古き良き甘美な微睡みに、文字通り、高さ15メートル超の冷水を浴びせ、)原発推進派の喧伝した「原発の安全神話」なるものは消え失せた。それと同時に、これまた、原発反対派の常套した「放射線被曝絶対危険の黙示録」もまたその役割を終えたの、鴨。
比喩を使い敷衍すれば、そう、古き良き時代のプロレス如き、予定調和が覆うリングの上で敵味方がそれぞれの得意技、すなわち、「安全神話」と「危険の黙示録」を相互にお行儀よく繰り出すお芝居もまた、福島第一原発と同時に<2011年3月11日午後2時46分>を境にその「賞味期限」が断ち切られたということでしょう。そして、「福島発のノアの洪水」を生き残った我々の前にある原発問題とは、単なる、社会的な比較衡量がする調整問題でしかなくなったの、鴨。
畢竟、現代の大衆社会において、かって<英雄達>が繰り広げた、イデオロギーと妥協の芸術であった<政治>が、単なる行政事務化していく趨勢を見据え、カール・シュミットとハンナ・アーレントとマルティン・ハイデガーが異口同音に抱いた感慨、彼等のその顰みに倣えば、
我々は「乏しき時代」「退屈な時代」に生きており、この時代においては、原発問題も、例えば、社会保険の料率改訂や相続税の課税控除額の修正となんら変わらない、社会的に取り決めに関する立法技術的の問題でしかなくなった。
と、そういうことでしょう。蓋し、「神話」と「黙示録」の放逐は些か遅きに失したとさえ言えるの、鴨。而して、その遅延の理由は、それは皮肉でも牽強付会でもおそらくなく、ある意味、(東日本大震災という百年に一度、千年に一度の自然災害の前には無力でさえあったとしても)原発がこれまでそこそこ安全に運用されてきたこと;原発は、実際、かなり安全なことであろう。と、そう私は考えます。
よって、蛇足ながら、今般の原発事故に関して一言。
すなわち、上記の理路を反芻し鑑みるに、(甲)原子力発電をその政権下で半世紀以上推進してきた自民党政権と電力会社には何の落ち度もない。よって、(乙)福島原発事故がかくも長期に亘って続いており、その実損害、現実の被害が広範かつ重大になったこと/なり続けていることの責任は、一重に、事故に対処した/対処している民主党政権の無能に収斂する。畢竟、この社会を風評被害が蔓延する「放射能狂騒状態」に貶めかつその異常と不健全を放置している民主党政権は地獄に落ちろ。と、そう私は考えます。以下、ブログ友のteroさんにご教示いただいた情報の転記です。
高田純教授「福島県民は誰も甲状腺がんにならない」
約800人が詰めかけた出版記念パーティーで、高田教授は「今回の受賞の意味は2つあると思う。ひとつは、福島県民は今回の原発事故による低線量の放射線によっては1人として健康被害を受けないという真実を国内外に広く知らしめることになるということ。第2点は、原発の20キロ圏内が(警戒区域に指定されていて)人が戻れない状態になっているが、この圏内の復興に大きく結びつくことになる」と切り出した。なにしろ今回の事故では過酷な環境におかれた原発の作業員ですら、放射線で死亡したり入院している人はいない。そうした中でわずかな放射線を必要以上にこわがることは、福島の復興をさまたげることに直結する。事実を冷静に見たい。
高田教授は警戒区域の復興策として、原発20キロ圏内の表土を10センチ削り取って除染し、それを海岸に埋めた上で表面を厚さ1メートルのきれいな土で覆い(これで放射線はほぼ防げる)「防波堤公園」をつくることを提言している。関東大震災の際には、がれきを埋め立てて横浜の山下公園がつくられた先例もある。陸上で汚染土の中間貯蔵施設の設置が難航している中、埋め立て案は現実的な提言といえそうだ。
広島大で研究生活を送った経験のある高田教授は、広島の原爆投下後に降った「黒い雨」による被害状況について「池の魚が、雨に含まれていた強烈な放射能によって多数死んだ。また黒い雨にぬれた牧草を食べた牛が下痢をし、雨にぬれた子供たちの頭ははげた」と紹介。いずれも一度に大量の放射線を浴びたことによる障害だが、福島ではどうだったのか。高田教授は原発周辺に取り残されていた動物に着目し「4月上旬に現地調査で第1原発の門まで行ったが、周辺でも魚が死んでいるわけでもなく、渇きで死んだ牛はいたが、多くの牛は元気で生きていた。牛の状態を見ると、はげた牛はいない。見た瞬間に、広島の黒い雨と、福島の放射線はぜんぜん(レベルが)違うものだとわかった」と解説した。一方で、「チェルノブイリでは1万6千頭の牛や豚をトラックに乗せて避難させたが、菅直人さんは20キロ圏内の牛を避難させず放置した」と菅前首相の不作為を非難した。
今回の原発事故で原子力安全・保安院は、放出されたセシウムの量が広島原爆の168倍とする試算を公表し大きく報じられたが、高田教授は「まったく意味のない数字だ」とバッサリ。「広島でセシウムによって死んだ人はいない。広島の死者は熱線、爆風、そして半減期の短い強力な放射能によるもの。セシウムの放射線はそれほど強いものではなく、今の日本で起きているのは集団ヒステリー状態だといえる」と説明した。
ちなみに高田教授はチェルノブイリ原発事故の現地調査の際、自身でセシウムの入ったきのこを食べる「人体実験」を行っている。その結果、セシウム137(半減期30年)は人体に入った場合、体外に半分が排出される生物半減期は100日であることを実証した。・・・
高田教授は大震災後の昨年4月以降、福島県内で住民の甲状腺検査をボランティアで実施。その結果、検査した66人の甲状腺被曝(ひばく)量は最大でも8ミリシーベルトと、チェルノブイリの事例(最大50シーベルト)と比べて千分の1以下だった。その線量から計算すると「福島県民が甲状腺がんになるリスクは年間で1千万人あたり1人以下。といっても福島県の人口は約200万人。つまり、誰も甲状腺がんにはなりません」と結論づけた。
日本は唯一の核被爆国といわれるが、高田教授はそうではないと指摘する。「世界最大の核災害があったのは中国内陸部のシルクロード、楼蘭のあたり。住民の避難をさせずに核実験が行われ、数十万人が亡くなっている」と明かした。その影響は当然、日本にまでも及ぶことになった。
中国の地上核実験で放出された放射能の量は、チェルノブイリ原発事故の実に800万倍に及ぶという。「東京五輪の年(昭和39年)に中国の核実験は始まったがそれ以来、黄砂と一緒に放射能も日本全国に降っていた。ただそれはほとんど報じられることはなかった。ストロンチウムについては今回の福島事故の1万倍の量が降ってきた」。セシウムの生物半減期が100日なのに対し、ストロンチウムの生物半減期は15年だ。その結果「“中国産”ストロンチウムによる日本人の体内被曝量は1~7ミリシーベルトに及ぶが、それでどんな影響があったか。団塊の世代の方々がいちばん影響を受けているはずだが、みなお元気。おそらく天寿をまっとうされるはず」と、低い線量では健康に影響がないことは「日本人が実験台となって実証された」と解説した。
そうした、日本全国を汚染した中国由来の放射能については、今でもほとんど問題とされていない。そうしたことも含め、高田教授は「日本の反核・平和運動はウソだ」と断言。「核・放射線への正しい認識を持って、今後の日本の発展を考えていかねばならない」と講演を締めくくった。
過去の原発事故や核実験によって、放射線については意外と多くのデータの蓄積がある。そうした事例をわかりやすく提示している点で、この論文は復興の指針となるものだろう。多くの人に読まれることを願いたい。
(産経「福島県民は誰も甲状腺がんにならない」:2012.1.15より抜粋)
木花咲耶姫