宇治に住み始めて長くなり、今では地元となった。「お茶壺道中」が宇治茶に関係し、その道中イメージを多少は持っていた。タイトル「お茶壺道中」が目に止まり、どのように扱われているのだろうかという興味から本書を手に取った。
この小説は、「小説 野生時代」(158号~171号)に『茶壺に追われて』と題して連載されたそうだ。大幅に加筆修正し、2019年3月に単行本として刊行され、2021年11月に文庫化されている。文庫の表紙は次のように変わっている。
この小説は、安政2年(1855)から明治20年(1887)まで、江戸時代幕末期を背景とする。実質的には慶応3年(1867)まで。その中に安政6年(1859)のお茶壺道中から、最後となる慶応3年のお茶壺道中が点描として織り込まれていく。お茶壺道中がどのようなものであったかを読者は理解できる。
主人公は仁吉。安政3年に宇治郷から江戸・日本橋に店を構える森山園という葉茶屋に奉公する。その仁吉は元服し仁太郞の名を与えられる(以下、仁太郞で記す)。仁太郞は番頭となった後、元治2年(1865)に、初登りとして宇治に里帰りする。両親に再会し宇治茶の現況を知悉した後、慶応3年(1867)の最後の茶壺道中に同行して江戸に戻る。戻った後、仁太郞は森山園を引き継ぐことに。
このストーリーの中心は、宇治茶を扱う商人・仁太郎の出世物語である。
仁太郞が商人として成長して行くプロセスを、彼の視点から描き出していく。お茶壺道中、幕末期の世相、徳川幕府の動き、葉茶屋森山園での人間関係と店の経営状況、開港後の横浜の状況、仁太郞が関わりを持つ様々な人々との関係等が描き込まれていく。仁太郞の恋心から仮祝言までが織り込まれていく点、微笑ましく楽しめる。
両親が茶園で働く宇治で生まれ育った仁吉は、お茶壺道中を眺めることが大好きだった。江戸に奉公に出てからも、主人の許しを得て、お茶壺道中を見物に行く。仁太郞にとり、この道中は、宇治茶が日本一で有り、将軍家に買い上げられて、公方さまに飲まれることを象徴している。それが仁太郞の誇りとなっている。その誇りを原動力として、店の役に立ちたいと真面目に働く仁太郞が商人としてどのような人生を歩んでいくことになるか。仁太郞が何を考え、どのような行動をとるか、それが読ませどころとなる。
主な登場人物をご紹介しておこう。
太兵衛: 森山園の大旦那。隠居の身だが経営の実権を握る。仁太郞を高く評価する。
お 德: 太兵衛の孫。森山園を継ぐ。婿養子の夫がいる。太兵衛に対立的態度をとる。
幸右衛門:森山園の番頭。太兵衛に信頼される人。仁太郞を阿部正外に引き合わす。
太兵衛の没後森山園を去ることに。仁太郞は意外な所で再会することになる。
源之助: 森山園の古参の番頭。仁太郞は源之助付となる。事件に遭遇し悲劇をとげる。
作兵衛: 森山園の支配役。森山園の横浜店運営を担う立場に。
安部正外:旗本。白河藩主の分家筋。仁太郞を贔屓にする。幕閣の一人として活躍
茶を媒介にして仁太郞との関わりが深まっていく。後に白河藩藩主となる。
三右衛門:森山園の本店である森川屋の主人。積極的に横浜店を開設。したたかな商人
太兵衛の遺言により森山園の横浜店開設に協力する。
良之助 :森川屋の横浜店に勤める。同時期に江戸に出た仁太郞の幼友達。
森山園の横浜店開設に関わる仁太郞に協力する。
元 吉 :横浜に店を構える伊勢屋に勤める。茶葉のブレンドに秀でた技術を持つ。
仁太郞は積極的に元吉から色々学ぶことになる。
宇治茶の発展史と幕末期の史実などを巧みに織り込んだフィクションである。
私には、地元の宇治茶のことを再認識することにも役だった。幕末の関東での史実として、安政2年の江戸の大地震や安政5年の江戸でのコレラの流行、安政の大獄と桜田門外の変、皇女和宮の降嫁問題などが、仁太郞の視点から触れられていく。さらに、阿部正外が神奈川奉行を拝命して横浜に赴任している時期に、仁太郞は作兵衛、子どもの利吉、弥一とともに、森山園横浜店の開設で赴くことになる。このとき体調不良の阿部の許に、奥方の指示を受けて赴くおきぬが同行するのだが、仁太郞はこのおきぬにほのかな思いを抱いていた。この横浜行きの道中で、生麦事件に出くわすという形になる。生麦事件の史実がストーリーに巧みに織り込まれ、当時の開港された横浜の状況も描き出されていく。この辺りのストーリーの展開は、読ませどころの一つとなっている。
仁太郞がおきぬと仮祝言を挙げる経緯は、その当時の商家の慣習とはイレギュラーな側面を含みつつ行われることに。慣習を曲げての実行の理屈がこれまたおもしろい。
幕末の江戸が騒然とした雰囲気になっていく状況も、日本橋の森山園で天誅を騙る強奪事件が発生するということと絡めてリアルに描かれていく。
史実とフィクションがうまく融合されてストーリーが進行していく。幕末期の社会状況について、読者はイメージしやすくなることだろう。それまでの歴史年表の項目が繋がり、イメージの中で動き出すのではないかと思う。
宇治茶についてきっと一歩踏み込んで、楽しみながら知っていただけることにもなる。
ご一読ありがとうございます。
補遺
宇治採茶使 :ウィキペディア
御茶壷道中の栄誉、そして挑戦の時代へ :「綾鷹物語」
お茶壺道中 :「ちきりや」
お茶壷道中 :「都留市観光協会」
【知られざるニッポン】vol.42 お茶壺道中とは!? :「ニッポン旅マガジン」
上林春松家の歴史 :「綾鷹」
ずいずいずっころばし :ウィキペディア
江戸時代のお茶壺道中再現 :「富士山Net」
奈良井宿「お茶壺道中」 」2014 YouTube
阿部正外 :ウィキペディア
阿部正外 :「コトバンク」
生麦事件 :「コトバンク」
生麦事件はなぜ外国との戦争にまで発展したのか?生麦事件のポイント5つ
:「ベネッセ情報教育サイト」
大谷嘉兵衛 :ウィキペディア
大谷嘉兵衛 :「大谷嘉兵衛の会」
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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『空を駆ける』 集英社
拙ブログ「遊心逍遙記」に記した読後印象記
『広重ぶるう』 新潮社
『我、鉄路を拓かん』 PHP
この小説は、「小説 野生時代」(158号~171号)に『茶壺に追われて』と題して連載されたそうだ。大幅に加筆修正し、2019年3月に単行本として刊行され、2021年11月に文庫化されている。文庫の表紙は次のように変わっている。
この小説は、安政2年(1855)から明治20年(1887)まで、江戸時代幕末期を背景とする。実質的には慶応3年(1867)まで。その中に安政6年(1859)のお茶壺道中から、最後となる慶応3年のお茶壺道中が点描として織り込まれていく。お茶壺道中がどのようなものであったかを読者は理解できる。
主人公は仁吉。安政3年に宇治郷から江戸・日本橋に店を構える森山園という葉茶屋に奉公する。その仁吉は元服し仁太郞の名を与えられる(以下、仁太郞で記す)。仁太郞は番頭となった後、元治2年(1865)に、初登りとして宇治に里帰りする。両親に再会し宇治茶の現況を知悉した後、慶応3年(1867)の最後の茶壺道中に同行して江戸に戻る。戻った後、仁太郞は森山園を引き継ぐことに。
このストーリーの中心は、宇治茶を扱う商人・仁太郎の出世物語である。
仁太郞が商人として成長して行くプロセスを、彼の視点から描き出していく。お茶壺道中、幕末期の世相、徳川幕府の動き、葉茶屋森山園での人間関係と店の経営状況、開港後の横浜の状況、仁太郞が関わりを持つ様々な人々との関係等が描き込まれていく。仁太郞の恋心から仮祝言までが織り込まれていく点、微笑ましく楽しめる。
両親が茶園で働く宇治で生まれ育った仁吉は、お茶壺道中を眺めることが大好きだった。江戸に奉公に出てからも、主人の許しを得て、お茶壺道中を見物に行く。仁太郞にとり、この道中は、宇治茶が日本一で有り、将軍家に買い上げられて、公方さまに飲まれることを象徴している。それが仁太郞の誇りとなっている。その誇りを原動力として、店の役に立ちたいと真面目に働く仁太郞が商人としてどのような人生を歩んでいくことになるか。仁太郞が何を考え、どのような行動をとるか、それが読ませどころとなる。
主な登場人物をご紹介しておこう。
太兵衛: 森山園の大旦那。隠居の身だが経営の実権を握る。仁太郞を高く評価する。
お 德: 太兵衛の孫。森山園を継ぐ。婿養子の夫がいる。太兵衛に対立的態度をとる。
幸右衛門:森山園の番頭。太兵衛に信頼される人。仁太郞を阿部正外に引き合わす。
太兵衛の没後森山園を去ることに。仁太郞は意外な所で再会することになる。
源之助: 森山園の古参の番頭。仁太郞は源之助付となる。事件に遭遇し悲劇をとげる。
作兵衛: 森山園の支配役。森山園の横浜店運営を担う立場に。
安部正外:旗本。白河藩主の分家筋。仁太郞を贔屓にする。幕閣の一人として活躍
茶を媒介にして仁太郞との関わりが深まっていく。後に白河藩藩主となる。
三右衛門:森山園の本店である森川屋の主人。積極的に横浜店を開設。したたかな商人
太兵衛の遺言により森山園の横浜店開設に協力する。
良之助 :森川屋の横浜店に勤める。同時期に江戸に出た仁太郞の幼友達。
森山園の横浜店開設に関わる仁太郞に協力する。
元 吉 :横浜に店を構える伊勢屋に勤める。茶葉のブレンドに秀でた技術を持つ。
仁太郞は積極的に元吉から色々学ぶことになる。
宇治茶の発展史と幕末期の史実などを巧みに織り込んだフィクションである。
私には、地元の宇治茶のことを再認識することにも役だった。幕末の関東での史実として、安政2年の江戸の大地震や安政5年の江戸でのコレラの流行、安政の大獄と桜田門外の変、皇女和宮の降嫁問題などが、仁太郞の視点から触れられていく。さらに、阿部正外が神奈川奉行を拝命して横浜に赴任している時期に、仁太郞は作兵衛、子どもの利吉、弥一とともに、森山園横浜店の開設で赴くことになる。このとき体調不良の阿部の許に、奥方の指示を受けて赴くおきぬが同行するのだが、仁太郞はこのおきぬにほのかな思いを抱いていた。この横浜行きの道中で、生麦事件に出くわすという形になる。生麦事件の史実がストーリーに巧みに織り込まれ、当時の開港された横浜の状況も描き出されていく。この辺りのストーリーの展開は、読ませどころの一つとなっている。
仁太郞がおきぬと仮祝言を挙げる経緯は、その当時の商家の慣習とはイレギュラーな側面を含みつつ行われることに。慣習を曲げての実行の理屈がこれまたおもしろい。
幕末の江戸が騒然とした雰囲気になっていく状況も、日本橋の森山園で天誅を騙る強奪事件が発生するということと絡めてリアルに描かれていく。
史実とフィクションがうまく融合されてストーリーが進行していく。幕末期の社会状況について、読者はイメージしやすくなることだろう。それまでの歴史年表の項目が繋がり、イメージの中で動き出すのではないかと思う。
宇治茶についてきっと一歩踏み込んで、楽しみながら知っていただけることにもなる。
ご一読ありがとうございます。
補遺
宇治採茶使 :ウィキペディア
御茶壷道中の栄誉、そして挑戦の時代へ :「綾鷹物語」
お茶壺道中 :「ちきりや」
お茶壷道中 :「都留市観光協会」
【知られざるニッポン】vol.42 お茶壺道中とは!? :「ニッポン旅マガジン」
上林春松家の歴史 :「綾鷹」
ずいずいずっころばし :ウィキペディア
江戸時代のお茶壺道中再現 :「富士山Net」
奈良井宿「お茶壺道中」 」2014 YouTube
阿部正外 :ウィキペディア
阿部正外 :「コトバンク」
生麦事件 :「コトバンク」
生麦事件はなぜ外国との戦争にまで発展したのか?生麦事件のポイント5つ
:「ベネッセ情報教育サイト」
大谷嘉兵衛 :ウィキペディア
大谷嘉兵衛 :「大谷嘉兵衛の会」
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『空を駆ける』 集英社
拙ブログ「遊心逍遙記」に記した読後印象記
『広重ぶるう』 新潮社
『我、鉄路を拓かん』 PHP