『合理的にあり得ない』の第2弾。短編が40ページ前後の作品とするなら、この第2弾は、短編「物理的にあり得ない」と、中編「倫理的にあり得ない」「立場的にあり得ない」の2本を合わせて収録された連作集である。最初の短編は「メフィスト」(2017VOL3)に、後の中編2本は「日刊ゲンダイ」(2022.10.4~2022.11.09、2022.11.30~2023.2.3)に、それぞれ発表された。それらをまとめて2023年3月に単行本が刊行されている。
上水流凉子(カミヅルリョウコ)は、ある事件で弁護士資格を剥奪された。その後、新宿の大通りから裏道に入った目立たない雑居ビルで上水流エージェンシーという事務所を経営する。殺人と傷害以外はどんな依頼でも請け負い解決する何でも屋である。連絡先は一切公表せず、依頼は口コミの人づてだけによる。従って、依頼人は警察や弁護士を介するという正当な方法では解決できない悩みを抱える人々である。法的にはグレーゾーンに足を入れることも辞さない何でも屋といえる。だが、新宿署組織犯罪対策課の古参刑事である丹波とは、腐れ縁で協力関係を維持している。
事務所の従業員は貴山(タカヤマ)伸彦だけである。彼は、IQ140という頭脳を持つイケメン。鋭い観察力を持ち、人一倍気遣いができるが、完璧主義者でニヒリスト、綿密な計画のもとに無駄を省いた行動を好む。数カ国語を母国語並に話し、かつて演劇俳優をめざしていたことから変装も得意。さらに、紅茶を淹れる腕前は一流なのだ。凉子の「有能な」秘書・助手・事務所の経理担当の役割をこなしている。無くてはならない存在。貴山の果たす役割は実に大きい。
上水流エージェンシーのことを人づてに知った依頼人が難儀な案件を二人のところに持ち込んで来る。凉子と貴山が、依頼人の持ち込んだ案件をどのように究明し解決するに至るか、あるいは解決できないか、そのプロセスがこれら中短編の読ませどころとなっていく。
各作品ごとに、読後印象とその内容の一端をご紹介する。
<物理的にあり得ない>
古矢信之と名乗る男が事務所に来る。手付金として100万円、依頼が解決したら即金で400万円支払うという。依頼案件は、一昨日の夜、関西空港に着いた国際便で届いた荷を積んだ車が、東京に向かった。その車が行方不明になったという。古矢は荷物の中身は語らず、車が1500ccのミニバンで色は白、そしてその車種だけを凉子に情報として伝えた。
凉子は依頼を引き受ける。この情報を唯一の手がかりにして、依頼案件に取り組んで行く。このわずかの情報から、貴山は荷の内容をレッドリストに該当するものと推測する。凉子もまた、同じ推論にいたっていた。
この短編で、おもしろいことがわかる。貴山が無類の動物好きだったのだ。行きがかりから、貴山はカラカルというネコ科の動物を事務所で世話し始める。凉子は猫を苦手としていることもわかる。貴山は、その猫を「マロ」と呼び始めるのだった。
この案件、思わぬ方向に発展していく。
<倫理的にあり得ない>
凉子が事務所を始めてから7年になる。特異な依頼案件が持ち込まれてくる。その案件は、親子の関係とは何かがテーマとなっている。
事務所に来た依頼主は澤本香奈江、自称45歳。看護師をしているという。依頼内容は、10年前、安生健吾が55歳、香奈江が35歳の時に結婚し、翌年に直人を授かった。結婚3年目に安生から離婚を迫られたという。息子は安生が親権を持つことになった。10年後の今になって、香奈江は、息子の親権を取り戻して欲しいというのだ。「離婚した当時とは違い、看護師としてのキャリアを積んだいまは、直人を育てられる収入があります。私の手で直人を育てたいんです」(p74)と。
香奈江はテーブルの上に500万円を積み、成功報酬払いでと言う。凉子が手付金の話をすると、不服そうな顔をしながらも、10万円を凉子に渡した。
元夫の安生は、現在65歳。3年前に独立して株式会社ファイアットを立ち上げ、代表取締役社長をしている。
凉子と貴山は、安生の周辺事情を調べる一方で、依頼人香奈江の周辺事情も確認するという両面作戦で、案件に臨んでいく。
親子とは何か? 愛情とは何か? 考えさせられる一編である。
この案件、凉子にとっては報酬ゼロ、ただ働きになる。なぜか? 興味深い経緯を辿ることになる、そこが読ませどころ。
この中編の末尾がおもしろい。凉子は貴山に言う。「あっちから仕事が来ないなら、こっちから調達しに行く。社員が一匹増えるんから、もたもたしていられないわ」(p149)と。社員一匹というのは、勿論、マロのことである。
<立場的にあり得ない>
この一編のおもしろい所は、依頼人が新宿署の丹波刑事であること。丹波は凉子が法曹資格を失うことになった事件の担当刑事であった。今では、互いに持ちつ持たれつの関係を腐れ縁として続けている。
刑事がなぜ凉子に依頼するのか。警視庁組織犯罪対策部の五十嵐部長の娘・由奈、20歳、大学生。都内の自宅から通っている。その由奈が最近何度も自殺未遂を起こしている。現在入院中で摂食障害を起こしているという。丹波は凉子に自殺未遂・摂食障害の理由を調べて欲しいというのだ。頭から凉子への金銭的報酬を丹波は考えてもいない。
丹波は、妻を亡くした後の息子のことを思い出したことから、由奈を助けたいのだという。自殺未遂・摂食障害なら、丹波刑事は捜査をしたくても職権対象外ということになる。そこで凉子に依頼するという設定がおもしろい。
依頼段階でわかっているのは、由奈の家族構成、通学する大学名、丹波から入手した由奈の画像だけ。ここからどのように凉子と貴山が調査を開始できるのか。そこがこのストーリーのおもしろいところ。今風の展開になるのは、貴山がITリテラシーを駆使し、SNS情報を核にネット情報を収集し、巧みに核心に近づくための情報を洗い出していくという進展にある。これは逆にとらえれば、インターネットへの情報発信の怖さの一面を読者に語っていることにもなる。
この中編のタイトル「立場的にありえない」という論点が重大な意味を持つに至る。
中短編の推理ものはその展開が相対的にストレートであり、スピーディさがあるので、つい集中して一気読みとなる。本書もその一冊となった。
ご一読ありがとうございます。
補遺
本書に出てくる語彙で無知で気になるものの一部をネット検索してみた。リストにしておきたい。
パリ・マレ :「コスメドフランス」
「ダージリンオータムナル」とは何ですか? :「LUPICIA」
ジャスミン・イン・ラブ :「マリアージュ フレール」
オウム類 :「The Ark of Gaia」(Gaiapress)
アンデスネコ :ウィキペディア
コールデンモンキー ⇒ キンシコウ :ウィキペディア
カラカル :ウィキペディア
フィナンシェ :「洋菓子アンリ・シャルパンティ」
フェラーリ・ローマ :ウィキペデキア
ハミングバード オリジナル :「Gibson」
ギブソン ハミングバード :「J-Guitar」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしです。
「遊心逍遙記」に掲載した<柚月裕子>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 16冊
上水流凉子(カミヅルリョウコ)は、ある事件で弁護士資格を剥奪された。その後、新宿の大通りから裏道に入った目立たない雑居ビルで上水流エージェンシーという事務所を経営する。殺人と傷害以外はどんな依頼でも請け負い解決する何でも屋である。連絡先は一切公表せず、依頼は口コミの人づてだけによる。従って、依頼人は警察や弁護士を介するという正当な方法では解決できない悩みを抱える人々である。法的にはグレーゾーンに足を入れることも辞さない何でも屋といえる。だが、新宿署組織犯罪対策課の古参刑事である丹波とは、腐れ縁で協力関係を維持している。
事務所の従業員は貴山(タカヤマ)伸彦だけである。彼は、IQ140という頭脳を持つイケメン。鋭い観察力を持ち、人一倍気遣いができるが、完璧主義者でニヒリスト、綿密な計画のもとに無駄を省いた行動を好む。数カ国語を母国語並に話し、かつて演劇俳優をめざしていたことから変装も得意。さらに、紅茶を淹れる腕前は一流なのだ。凉子の「有能な」秘書・助手・事務所の経理担当の役割をこなしている。無くてはならない存在。貴山の果たす役割は実に大きい。
上水流エージェンシーのことを人づてに知った依頼人が難儀な案件を二人のところに持ち込んで来る。凉子と貴山が、依頼人の持ち込んだ案件をどのように究明し解決するに至るか、あるいは解決できないか、そのプロセスがこれら中短編の読ませどころとなっていく。
各作品ごとに、読後印象とその内容の一端をご紹介する。
<物理的にあり得ない>
古矢信之と名乗る男が事務所に来る。手付金として100万円、依頼が解決したら即金で400万円支払うという。依頼案件は、一昨日の夜、関西空港に着いた国際便で届いた荷を積んだ車が、東京に向かった。その車が行方不明になったという。古矢は荷物の中身は語らず、車が1500ccのミニバンで色は白、そしてその車種だけを凉子に情報として伝えた。
凉子は依頼を引き受ける。この情報を唯一の手がかりにして、依頼案件に取り組んで行く。このわずかの情報から、貴山は荷の内容をレッドリストに該当するものと推測する。凉子もまた、同じ推論にいたっていた。
この短編で、おもしろいことがわかる。貴山が無類の動物好きだったのだ。行きがかりから、貴山はカラカルというネコ科の動物を事務所で世話し始める。凉子は猫を苦手としていることもわかる。貴山は、その猫を「マロ」と呼び始めるのだった。
この案件、思わぬ方向に発展していく。
<倫理的にあり得ない>
凉子が事務所を始めてから7年になる。特異な依頼案件が持ち込まれてくる。その案件は、親子の関係とは何かがテーマとなっている。
事務所に来た依頼主は澤本香奈江、自称45歳。看護師をしているという。依頼内容は、10年前、安生健吾が55歳、香奈江が35歳の時に結婚し、翌年に直人を授かった。結婚3年目に安生から離婚を迫られたという。息子は安生が親権を持つことになった。10年後の今になって、香奈江は、息子の親権を取り戻して欲しいというのだ。「離婚した当時とは違い、看護師としてのキャリアを積んだいまは、直人を育てられる収入があります。私の手で直人を育てたいんです」(p74)と。
香奈江はテーブルの上に500万円を積み、成功報酬払いでと言う。凉子が手付金の話をすると、不服そうな顔をしながらも、10万円を凉子に渡した。
元夫の安生は、現在65歳。3年前に独立して株式会社ファイアットを立ち上げ、代表取締役社長をしている。
凉子と貴山は、安生の周辺事情を調べる一方で、依頼人香奈江の周辺事情も確認するという両面作戦で、案件に臨んでいく。
親子とは何か? 愛情とは何か? 考えさせられる一編である。
この案件、凉子にとっては報酬ゼロ、ただ働きになる。なぜか? 興味深い経緯を辿ることになる、そこが読ませどころ。
この中編の末尾がおもしろい。凉子は貴山に言う。「あっちから仕事が来ないなら、こっちから調達しに行く。社員が一匹増えるんから、もたもたしていられないわ」(p149)と。社員一匹というのは、勿論、マロのことである。
<立場的にあり得ない>
この一編のおもしろい所は、依頼人が新宿署の丹波刑事であること。丹波は凉子が法曹資格を失うことになった事件の担当刑事であった。今では、互いに持ちつ持たれつの関係を腐れ縁として続けている。
刑事がなぜ凉子に依頼するのか。警視庁組織犯罪対策部の五十嵐部長の娘・由奈、20歳、大学生。都内の自宅から通っている。その由奈が最近何度も自殺未遂を起こしている。現在入院中で摂食障害を起こしているという。丹波は凉子に自殺未遂・摂食障害の理由を調べて欲しいというのだ。頭から凉子への金銭的報酬を丹波は考えてもいない。
丹波は、妻を亡くした後の息子のことを思い出したことから、由奈を助けたいのだという。自殺未遂・摂食障害なら、丹波刑事は捜査をしたくても職権対象外ということになる。そこで凉子に依頼するという設定がおもしろい。
依頼段階でわかっているのは、由奈の家族構成、通学する大学名、丹波から入手した由奈の画像だけ。ここからどのように凉子と貴山が調査を開始できるのか。そこがこのストーリーのおもしろいところ。今風の展開になるのは、貴山がITリテラシーを駆使し、SNS情報を核にネット情報を収集し、巧みに核心に近づくための情報を洗い出していくという進展にある。これは逆にとらえれば、インターネットへの情報発信の怖さの一面を読者に語っていることにもなる。
この中編のタイトル「立場的にありえない」という論点が重大な意味を持つに至る。
中短編の推理ものはその展開が相対的にストレートであり、スピーディさがあるので、つい集中して一気読みとなる。本書もその一冊となった。
ご一読ありがとうございます。
補遺
本書に出てくる語彙で無知で気になるものの一部をネット検索してみた。リストにしておきたい。
パリ・マレ :「コスメドフランス」
「ダージリンオータムナル」とは何ですか? :「LUPICIA」
ジャスミン・イン・ラブ :「マリアージュ フレール」
オウム類 :「The Ark of Gaia」(Gaiapress)
アンデスネコ :ウィキペディア
コールデンモンキー ⇒ キンシコウ :ウィキペディア
カラカル :ウィキペディア
フィナンシェ :「洋菓子アンリ・シャルパンティ」
フェラーリ・ローマ :ウィキペデキア
ハミングバード オリジナル :「Gibson」
ギブソン ハミングバード :「J-Guitar」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしです。
「遊心逍遙記」に掲載した<柚月裕子>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 16冊