遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『城郭考古学の冒険』  千田嘉博  幻冬舎新書

2023-02-13 10:52:17 | 建物・建築
 この本は、U1さんのブログ「透明タペストリー」の記事で知った。著者については、朝日新聞の連載「千田先生のお城探訪」を愛読していて、時折テレビのお城番組で見ているけれど、著書についてはほとんど知らなかった。本書は2021年1月に刊行されている。

 改めて新聞の連載を確認してみると、「千田嘉博・城郭考古学者」と文末に記載がある。連載記事の本文を読んでも、この末尾の一行をほとんど意識していなかったのだろう。
 一時期、滋賀県下にある様々な城・城跡を史跡探訪したことがある。その時には城の縄張りと位置関係、城の戦略的な立地、重要性などに関心が向いていた。また、その時の入手資料も縄張り図や城の構造、立地条件と城主等の背景の説明が主体だったように思う。城、あるいは判りづらくなっている山城跡を訪れた経験から、本書のタイトルにある「城郭考古学」という言葉に、遅ればせながら惹きつけられた次第。

 著者は「第一章 城へのいざない」において、まず「城郭考古学」という新しい研究視角をわかりやすく説明している。姫路城、彦根城、熊本城など各地に現存する近世城郭がある。しかし、殆どの近世城郭建築は失われ、中世城郭の建築は一棟も現存しない。「考古学」という言葉からは、文献史料の存在しない古墳時代以前の発掘調査研究をまず連想してしまう。城跡の発掘調査で城郭建築遺構が次々に発見され、城郭建築の手がかりが累積されているという。著者はこれらを「物質資料」と位置づける。しかし、部分的な発掘による考古学的調査だけでは、城を物質資料として把握するのに十分ではないと言う。一方、城郭については、絵図や文書などの史料が現存する部分もある。「従来の考古学、歴史地理学、建築史、史跡整備などの文理にまたがる多様な学問」(p25)、それぞれの個別研究領域の手法と成果を援用し、「城を中心において総合して学融合分野として研究していく新しい研究視角が、城郭考古学である」(p25)と説く。
 「城の立地や全体像については、測量調査はもちろん、歴史地理学が研究方法として深めてきた絵図の読み取りや地籍図(略)を駆使してとらえ、城の堀や土塁・石垣の配置については地表面観察によって理解し、曲輪内の空間構成や個々の建物、使用した武器や生活用品については発掘調査でつかむという、重層的な研究方法の総体が城郭考古学なのである」(p24)とも説明している。
 そして、歴史を考えるには「とりわけ考古学の資料操作方法や資料批判方法は、城跡を史料/資料化して歴史研究を行うのに必須の知識である。この点が十分理解されていないことも多いのではないか」(p27)と論じる。学融合的な領域での研究分野として、城郭考古学というネーミングはこの認識があるからなのだろう。

 城の総体をとらえていくと、「地域の歴史と文化を物語る」ことになっていくと説く。本書では城の実例を挙げて、城が地域の歴史と文化の中枢になっていく様相を解説している。城の縄張りや構造の理解及び城の軍事的特徴と戦略的な立地などは、城の一側面と位置づける。著者は城の外形や構造次元だけで城を論じることに対して批判的な立場をとる。著者は城の総体を捉えていくことで、城が地域の歴史・文化と一体になってきた様相を把握し深化させる必要性を強調していると受けとめた。城の機能である軍事的側面の研究は、著者によれば基礎研究であり、「それを学融合的に検討した諸分野の研究と合わせて、社会や政治を分析するその先の研究展開ができると思う」(p30)と述べる。そこに城郭考古学の意味があるとする。

 第一章の後半では、城の歴史と変遷について、「原始・古代の城館、中世前期の城館、室町・戦国期の城館、近世の城」という4期に区分で解説していく。
 その上で、分立的・並立的だった戦国期拠点城郭から近世城郭体制への転換が日本の社会や政治のあり方を根源的に変えて行ったと言う。「階層的・求心的な城郭構造の成立」(p40)とそれが一斉に全国の大名に共有されて行った事実に着目する。
 近世城郭体制は、信長・秀吉・家康に引き継がれた城の理念、有り様である。「織豊系城郭」という用語は見聞していた。だが、この学術用語としての概念が、1986年に著者により提唱されたものだということを、本書で初めて知った。
 著者は、城郭考古学の目的と役割を明示している。(p46)
「戦いに関わる要素を含め、城を史料/資料として、歴史と政治、社会を明らかにする」
「今に残る城を保存し具体的に整備・活用して、より文化的で豊かな未来社会を生み出す」
以下の章はこの主張点の展開と言える。

 「第二章 城の探検から歴史を読む」では、戦いという機能から城を論じて行く。この点では、一般的な城好きの着目箇所がまず解説される事になる。ただし、著者は「防御施設本来の機能の把握」を重視せよと説く。城の鑑賞術として、櫓、門、石垣、堀について解説をしていく。例えば姫路城の美しさは戦いを前提にした機能美にあると論じている。

 「第三章 城から考える天下統一の時代」では、「階層的・求心的な城郭構造の成立」が具体的に例証されていく。著者の主張が明確に論じられ読み応えのある章である。
 信長は天下布武へのプロセスで次々に城を移って行った。小牧山城-岐阜城-安土城への変遷の中で、軍事性を基盤にした城郭に、信長自身を頂点とした階層性と求心性を貫徹させ敷衍していく状況を明らかにしていく。それは、城内における信長と家臣の屋敷との隔絶性が深まっていくプロセスだったという。秀吉、家康はそのコンセプトを継承・強化して行った。その城郭体制が、全国の大名に共有されて行ったという。なるほど・・・と思う。
 近世城郭体制とそこに組み込まれる城下町が近世の社会のあり方を規定していく。
 著者は、政治拠点の城と軍事拠点の城の両者を合わせて分析すべきと論じている。p69
 3人の天下人が16世紀後半から17世紀初頭のわずか60年間の活動で、現在の城のイメージを定めてしまったのだ。 p71
 具体的な例証として、「城から見た○○」という形で、織田信長・明智光秀・松永久秀・豊臣秀吉・徳川家康、それぞれを論じて行く。わかりやすい解説になっている。
 政治拠点の城という視点でみれば、天主/天守、石垣、瓦・金箔瓦などは、階層性と求心性を意図した表象なのだと著者は説明している。
 勿論、城の構造的な側面についても解説している。例えば石垣について、熊本城の実例を引き、算木積みと重ね積みについても説明し、従来の解釈の間違いを指摘している。p148-152

 「第四章 比較城郭考古学でひもとく日本と世界の城」では、日本の城と世界の城とを比較し、世界的な視野で捉えてみるという試みを展開している。日本の近世城郭が持つ特徴に普遍性と特質の両面があることを、世界の城との実証的な比較研究から明らかにしていこうとする。巨視的に捉えると、国や地域を超えた共通性や法則性があり、城から歴史を考えることができるのではないかと著者は言う。私にとっては今まで考えたことのない視点であり、実におもしろい。
 「一般法則を念頭にした研究は、1980年代以降に歴史研究の一分野としてはじまった城郭研究に欠けた視点であった」(p248)と著者は振り返る。世界の城の中での日本の城の相対化を試みようとしている点、城郭研究に広がりと夢があると感じる。
 著者が関わってきた事例を取り上げて論じてられていて、その意図することが具体的にわかる。

 「第五章 考古学の現場から見る城の復元」は最終章である。城の軍事性は、「堀や塁線といった遮断装置と出入口をポイントにした城道設定のバランスによって生み出された。だから城郭の整備・復元では、正しくそれを復元する必要がある」(p269)ことを主張する。その観点から、城跡の整備において疑念の残る整備が行われている事例を挙げている。さらに城の立体復元において、城郭考古学の視角から見て、適正な実例と不適切な実例を挙げ、不適切な事例を批判している。それは現存する城跡の今後の整備について警鐘を発する意図であろう。さらに不適切な整備には改善を示唆しているものと受けとめた。また、著者は未来社会に向けて城跡の復元・整備を行う上で、バリアフリーの導入を前提とすることを世界的視野から提唱している。最後に、城郭考古学の視角から、現状放置されている問題事象を例示して警鐘を発してもいる。
 この最終章では、城跡の整備・復元の現状レベルを知ることにもなる。

 今まで、いくつもの城や城跡探訪をしてきたが、城郭について冒頭に記したように、一側面でしか眺めていなかったことに気づく契機となった。城・城跡を捉え直す為の啓発書と言える。城郭考古学へいざなう入門書として、城好きにはお薦めしたい。

 ご一読ありがとうございます。


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