U1さんのブログ記事を拝読し本書を知った。地元の市立図書館の蔵書になっていたので借り出して読んでみた。「あとがき」を最後に読み、その末尾のパラグラフでなるほどと思った。「私は科学者として、自然が隠した神秘を探り当てることを仕事としてきた。が、紫式部が隠した秘密を探りあてる作業も、実にエキサイティングで楽しいことであった。このレポートを自費出版し、できるだけ多くの図書館に寄贈し、100年後あるいは200年後に理解してくれる読者がいてくれることを夢見ている」(p415)と締めくくってある。自費出版本だったので、書名を目にする機会がなかったようだ。本書は2016年1月に出版されている。
本書の興味深いところは、紫式部の創作した「源氏物語」を、アガサ・クリスティの推理小説のように、推理小説仕立てになっているという視点で捉えていることである。著者は、「源氏物語」のストーリー全体の構造を分析し、紫式部が仕掛けたヒントを情報収集していく。そして、紫式部が「源氏物語」を創作した動機・意図がどこにあったかを追究していく。
「外観は平安貴族の通俗小説を装い、当時の王朝貴族に喜んで読んでもらいながら、人と社会の真実を物語に潜ませている。紫式部は、人とその社会に関する彼女の観察と考察を、膨大な物語の中から発見してほしいとまち望んでいる」(p16)と著者は記す。
著者は、「源氏物語」のストーリーに散りばめられたヒントを見つけだし、収集し、論理的に分析・推理してこのレポートを書いている。農芸化学分野の研究者である著者が、「理系的人間理解」という形で紫式部の観察と考察を読み解いていく。
著者は「源氏物語」の読み方は人により様々であり、解釈も千差万別である状況を各所に織り込んで説明している。その事例も紹介している。その上で、著者自身の仮説をレポートとしてまとめ、紫式部の観察・考察に一石を投じたと言える。
通俗小説的に読めば、「『源氏物語』は性欲を抑え切れずに、男も女もこの爆弾を爆発する物語である」(p17)。一方で、「『源氏物語』における紫式部の人間観察は、聖書における人間考察を現実化したものだと言える。してはいけないと知っていながら、やってしまう人たちの物語である」(p18)と言い、この立場で読めば「『源氏物語』は倫理的・道徳的な読み物となり、『でもやってしまい、責任回避』の立場で読めば、はかなく弱く、悲しくあわれな人間の物語であって、本居宣長が言うように『もののあわれ』の物語となる」(p19)と記す。
様々な解釈がなされるところに、「源氏物語」が1000年を超える不朽の作品として生き残ってきたのだろう。また、紫式部が「源氏物語」の中に、執筆動機をあからさまに書き込んでいれば、すぐに貴族たちに没にされてしまっていただろうとも記す。つぶされるのを回避するために、紫式部は執筆動機となる部分を、ヒントとしてストーリーに埋め込んだと著者はみている(第2章 紫式部の執筆動機)。そのため、今まで紫式部の意図は解明されてこなかったという。
そこで著者は、「源氏物語」に埋め込まれた推理小説的要素を抽出し整理分析し推理していく形で、己の仮説をここにレポートしている。
本書の論証の進め方、その基本スタイルはわかりやすい。論証点が章のタイトルとなっている。その論証するために「項」を立て、項の中に論点として「節」を立てる。その「節」においては、<あらすじ>と題して、「源氏物語」の記述の中から論点を明らかにできる記述情報を抽出・列挙し、補足説明を加える。その後に「解説と考察」が述べられる。そのため、章の構成内容がわかりやすい。
著者の狙いは、「源氏物語」のストーリーの構造を明らかにして、紫式部が主に当時の宮廷貴族社会を観察・考察し、物語を執筆したその動機と意図を解明することにある。
著者は「第3章 発端としての<桐壺>」を分析の起点とする。そして、このストーリー全体の中で、「空蝉と藤壺の相似性」(第4章)と「桐壺帝と朱雀帝の相似性」(第5章)という構造を明らかにする。空蝉の行為と思考、空蝉に対する源氏の思いを読み込んでこそ、記されていない藤壺の思いが深くわかってくると説く。桐壺帝と朱雀帝の帝としてのスタンスを知ることにより、源氏のことが一層クリアになると説く。
内容が書き残されなかった「雲隠」(第5章)の位置づけを明確にし、その帖で紫式部が意図した内容は何だったかを推論していく。
「作者が<雲隠>で書こうとしたことは、・・・・源氏が、嵯峨の院で経験する心の移り変わりでしかありえない」(p345)と著者は言う。そのヒントが「匂宮」~「夢浮橋」の帖を読み進める中に隠されているという。それが「浮舟の死と再生」(第6章)だと論じる。源氏の「雲隠」は、「浮舟の死と再生」と照応する関係にあると説く。この論証の積み上げが如何になされるかが読ませどころの一つと言える。
理系の研究者として、著者は熱力学第二法則を思考の背景に据えている。「自然に起こる現象はすべて混乱と無秩序をもたらす」(p21)という法則である。
紫式部は「秩序ある人間社会は、時が経つと秩序を失った混乱の人間社会へと変貌していく」(p332)という様相を冷徹な目で観察し、「平安時代の朝廷貴族社会でゆっくりと確実に進行しているさまを、『これこそ人間の正体なのだ』」ととらえて、「源氏物語」に仕立てたのだと著者は論じて行く。それが「人徳の高い桐壺帝から、混乱と無秩序の曾孫、匂宮と薫への物語でもある」(p332)という。記述情報の詳細な列挙で論証が進められている。本文を詳細に読み込まれていることを痛感した。
「紫式部が描いた宮廷貴族社会の退廃と停滞は、フランス革命前夜における宮廷貴族社会のそれと相通じるものがある」と述べ、「紫式部が徹底してヒューマニズムの視点に立っていたからこそできた人と社会に関する観察と考察」(p414)であると論じている。
また、「『源氏物語』の主題は、『仏の道における死と再生』とも言える」(p297)と結論づけている。
本書で考察されている興味深い視点をいくつかご紹介しておこう。
*「源氏物語」の基本線として「秘密は隠せない」という考え方が貫かれている点。p126
*「源氏物語」の背景に、「末は劣る」という末世思想があるとみる点。 p235
*紫式部は人の遺伝現象を観察・考察していたとする。匂宮と薫にその反映をみる。
皇族に多い近親結婚の弊害も描き込んでいる。 p361-362
一方、環境因子に着目し、玉鬘と浮舟にそれを見て「気高い」と形容する。p210,245
*浮舟と玉鬘の相似性もまた論じられている点 p229
*横川の僧都の哲学は、紫式部自身の哲学であると著者がとらえている点 p322
本書は、これらの論証がどのようになされていくか、その推論のプロセスが読ませどころと言える。
さて、最後に一つ疑問点を掲げておきたい。
著者は「あとがき」の中で、一つの原文について、解釈により主語の解釈が180度変わっている事例として、様々な現代語訳例を列挙している。p410 には、原文としてまず次の一文が記されている。これは「総角」に記された一文。
原文
御かたはるなるみじかき几帳を、仏の御方にさしへだてて、かりそめにそいしたまへり。
手許にある『源氏物語 5』(新編 日本古典文学全集 小学館)を参照すると、
原文
御かたはらなる短き几帳を、仏の御方にさし隔てて、かりそめに添ひ臥したまへり。
この違いは、底本が異なるということだろうか。この疑問を抱いた。
いずれにしても、私は現代語訳で一度通読しただけなので、「推理小説仕立て」の発想すら思い浮かばなかった。それ故、本書はけっこう「源氏物語」の読み方に対する刺激材料になった。「源氏物語」の解釈として、たしかにエキサイティングな部分を含みおもしろい。お陰でまた一つ考える材料が増えたことがありがたい。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『源氏物語入門 [新版]』 池田亀鑑 現代教養文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<源氏物語>関連本の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 11冊
本書の興味深いところは、紫式部の創作した「源氏物語」を、アガサ・クリスティの推理小説のように、推理小説仕立てになっているという視点で捉えていることである。著者は、「源氏物語」のストーリー全体の構造を分析し、紫式部が仕掛けたヒントを情報収集していく。そして、紫式部が「源氏物語」を創作した動機・意図がどこにあったかを追究していく。
「外観は平安貴族の通俗小説を装い、当時の王朝貴族に喜んで読んでもらいながら、人と社会の真実を物語に潜ませている。紫式部は、人とその社会に関する彼女の観察と考察を、膨大な物語の中から発見してほしいとまち望んでいる」(p16)と著者は記す。
著者は、「源氏物語」のストーリーに散りばめられたヒントを見つけだし、収集し、論理的に分析・推理してこのレポートを書いている。農芸化学分野の研究者である著者が、「理系的人間理解」という形で紫式部の観察と考察を読み解いていく。
著者は「源氏物語」の読み方は人により様々であり、解釈も千差万別である状況を各所に織り込んで説明している。その事例も紹介している。その上で、著者自身の仮説をレポートとしてまとめ、紫式部の観察・考察に一石を投じたと言える。
通俗小説的に読めば、「『源氏物語』は性欲を抑え切れずに、男も女もこの爆弾を爆発する物語である」(p17)。一方で、「『源氏物語』における紫式部の人間観察は、聖書における人間考察を現実化したものだと言える。してはいけないと知っていながら、やってしまう人たちの物語である」(p18)と言い、この立場で読めば「『源氏物語』は倫理的・道徳的な読み物となり、『でもやってしまい、責任回避』の立場で読めば、はかなく弱く、悲しくあわれな人間の物語であって、本居宣長が言うように『もののあわれ』の物語となる」(p19)と記す。
様々な解釈がなされるところに、「源氏物語」が1000年を超える不朽の作品として生き残ってきたのだろう。また、紫式部が「源氏物語」の中に、執筆動機をあからさまに書き込んでいれば、すぐに貴族たちに没にされてしまっていただろうとも記す。つぶされるのを回避するために、紫式部は執筆動機となる部分を、ヒントとしてストーリーに埋め込んだと著者はみている(第2章 紫式部の執筆動機)。そのため、今まで紫式部の意図は解明されてこなかったという。
そこで著者は、「源氏物語」に埋め込まれた推理小説的要素を抽出し整理分析し推理していく形で、己の仮説をここにレポートしている。
本書の論証の進め方、その基本スタイルはわかりやすい。論証点が章のタイトルとなっている。その論証するために「項」を立て、項の中に論点として「節」を立てる。その「節」においては、<あらすじ>と題して、「源氏物語」の記述の中から論点を明らかにできる記述情報を抽出・列挙し、補足説明を加える。その後に「解説と考察」が述べられる。そのため、章の構成内容がわかりやすい。
著者の狙いは、「源氏物語」のストーリーの構造を明らかにして、紫式部が主に当時の宮廷貴族社会を観察・考察し、物語を執筆したその動機と意図を解明することにある。
著者は「第3章 発端としての<桐壺>」を分析の起点とする。そして、このストーリー全体の中で、「空蝉と藤壺の相似性」(第4章)と「桐壺帝と朱雀帝の相似性」(第5章)という構造を明らかにする。空蝉の行為と思考、空蝉に対する源氏の思いを読み込んでこそ、記されていない藤壺の思いが深くわかってくると説く。桐壺帝と朱雀帝の帝としてのスタンスを知ることにより、源氏のことが一層クリアになると説く。
内容が書き残されなかった「雲隠」(第5章)の位置づけを明確にし、その帖で紫式部が意図した内容は何だったかを推論していく。
「作者が<雲隠>で書こうとしたことは、・・・・源氏が、嵯峨の院で経験する心の移り変わりでしかありえない」(p345)と著者は言う。そのヒントが「匂宮」~「夢浮橋」の帖を読み進める中に隠されているという。それが「浮舟の死と再生」(第6章)だと論じる。源氏の「雲隠」は、「浮舟の死と再生」と照応する関係にあると説く。この論証の積み上げが如何になされるかが読ませどころの一つと言える。
理系の研究者として、著者は熱力学第二法則を思考の背景に据えている。「自然に起こる現象はすべて混乱と無秩序をもたらす」(p21)という法則である。
紫式部は「秩序ある人間社会は、時が経つと秩序を失った混乱の人間社会へと変貌していく」(p332)という様相を冷徹な目で観察し、「平安時代の朝廷貴族社会でゆっくりと確実に進行しているさまを、『これこそ人間の正体なのだ』」ととらえて、「源氏物語」に仕立てたのだと著者は論じて行く。それが「人徳の高い桐壺帝から、混乱と無秩序の曾孫、匂宮と薫への物語でもある」(p332)という。記述情報の詳細な列挙で論証が進められている。本文を詳細に読み込まれていることを痛感した。
「紫式部が描いた宮廷貴族社会の退廃と停滞は、フランス革命前夜における宮廷貴族社会のそれと相通じるものがある」と述べ、「紫式部が徹底してヒューマニズムの視点に立っていたからこそできた人と社会に関する観察と考察」(p414)であると論じている。
また、「『源氏物語』の主題は、『仏の道における死と再生』とも言える」(p297)と結論づけている。
本書で考察されている興味深い視点をいくつかご紹介しておこう。
*「源氏物語」の基本線として「秘密は隠せない」という考え方が貫かれている点。p126
*「源氏物語」の背景に、「末は劣る」という末世思想があるとみる点。 p235
*紫式部は人の遺伝現象を観察・考察していたとする。匂宮と薫にその反映をみる。
皇族に多い近親結婚の弊害も描き込んでいる。 p361-362
一方、環境因子に着目し、玉鬘と浮舟にそれを見て「気高い」と形容する。p210,245
*浮舟と玉鬘の相似性もまた論じられている点 p229
*横川の僧都の哲学は、紫式部自身の哲学であると著者がとらえている点 p322
本書は、これらの論証がどのようになされていくか、その推論のプロセスが読ませどころと言える。
さて、最後に一つ疑問点を掲げておきたい。
著者は「あとがき」の中で、一つの原文について、解釈により主語の解釈が180度変わっている事例として、様々な現代語訳例を列挙している。p410 には、原文としてまず次の一文が記されている。これは「総角」に記された一文。
原文
御かたはるなるみじかき几帳を、仏の御方にさしへだてて、かりそめにそいしたまへり。
手許にある『源氏物語 5』(新編 日本古典文学全集 小学館)を参照すると、
原文
御かたはらなる短き几帳を、仏の御方にさし隔てて、かりそめに添ひ臥したまへり。
この違いは、底本が異なるということだろうか。この疑問を抱いた。
いずれにしても、私は現代語訳で一度通読しただけなので、「推理小説仕立て」の発想すら思い浮かばなかった。それ故、本書はけっこう「源氏物語」の読み方に対する刺激材料になった。「源氏物語」の解釈として、たしかにエキサイティングな部分を含みおもしろい。お陰でまた一つ考える材料が増えたことがありがたい。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『源氏物語入門 [新版]』 池田亀鑑 現代教養文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<源氏物語>関連本の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 11冊