散文的で抒情的な、わたくしの意見

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大河「花神」の主人公・村田蔵六・大村益次郎のこと

2019年03月31日 | 花神
靖国神社には村田蔵六(大村益次郎)の銅像があります。山田市之允(いちのじょう)あたりが作ったのだろうなと思って調べたら、やっぱり山田顕義でした。日本大学の創始者です。

大村(以下は本名の村田で表記します)も山田も長州の人間で、師弟関係にあります。村田も山田も軍略の天才といわれた人間で、特に村田は、彼がいなければ、戊辰の勝利はなかったといわれる人物です。幕末から維新にかけて、長州、そして明治政府の軍事作戦を「主導」します。もともとは適塾の塾頭ですから、オランダ学者、医者です。靖国の「もと」を作ったのも、村田です。最初の靖国の名前は、たしか東京招魂社です。あくまで内乱で死んだ政府側の兵隊の魂を鎮めるために作られました。外国まで出て行って戦争をすることは、村田は想定もしていませんでした。

明治維新の完成者、という見方があり、その観点から書かれたのが「花神」という小説で、大河ドラマにもなりました。幕末ものですから、視聴率はよくなかったようです。ただし、視聴率と内容は別。幕末ものとしては最高の作品です。三谷さんなぞも「大好き」ということで、へえーとちょっと驚きです。花神とは「花咲かじいさん」のことです。

幕末、彼の学問はひくてあまたで、大藩、そして幕府の「学者」として活躍していました。今なら大学教授です。収入も相当なものでした。

が、彼は結局、長州にもどります。最初は100石にも満たず、扱いは軽いものでした。東大教授が田舎の中学の平先生になったようなものです。それでも、彼は長州に属し、やがて長州の軍政を一手に握ります。ただし、政治は極めて苦手で、桂小五郎の「保護」のもとに活躍します。明治維新後も政治は苦手だったようで、西郷は無視ですし、大久保とはたびたび衝突します。大久保との衝突はいいのですが、西郷無視というのは当時極めて危険な行為で、結局明治のはじめ、「西郷信者」(海江田と言われます)の暗殺教唆によって暗殺されます。実際の犯人は過激な攘夷派です。

村田蔵六が暗殺されなければ、「兵制改革」は山縣有朋ではなく、村田が当然のごとく担ったはずです。そうすると日本近代史はどう変わっていたのか。

それは誰にも分かりませんが、「陸軍のドンである山縣有朋が出現しなかった可能性」も出てきます。

そう考えると、随分と違った方向に動いていただろうな、ぐらいは言ってもいいかと思います。


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