散文的で抒情的な、わたくしの意見

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ツービートの破壊力、ぼんち、のりおよしお、の衝撃 M1グランプリ

2018年12月10日 | 日記
今のマンザイは「いろいろ制約がある」ように思います。「差別」「ハラスメント」「スポンサーいじり」「番組いじり」、そういったものができないわけで、そういう制約のもとで「破壊力」を求めるのはかわいそうかと思います。

「差別をしろ」とは言いません。「差別というより」、こんな感じのやりとり。

たけし「こいつは山形出身ですから」
きよし「いいじゃないか、いいところだぞ」
たけし「山形では、こいつのおじいさんの代ぐらいでやっと二足歩行をはじめたんですから」
きよし「やめなさい」
たけし「お父さんの代でも土器と石器を使っていたんですよ。こいつなんかいまだに紅茶キノコ飲んでるんですから」
きよし「よしなさいよ」

まあ「こんな感じの」やりとりをしていたと思います。それを聞いて客もゲラゲラ笑っていた。今ならすぐに苦情でありましょう。

さらにスポンサーにもコマーシャルにも「容赦がありません」でした。

たけし「なんだあの山口百恵のチョコレートのCMは。親しい人へのおもてなしとか言いやがって。おもてなしにチョコレートなんか出す馬鹿どこにいるんだ」
きよし「やめなさいよ」

たけし「CMなんてウソばっかりですからね。あの洗剤のCM。全温度チアーって何だ。ほら真っ白って。最初から汚れてないシャツ洗っているだけじゃねーか」
きよし「よしなさい」

これなんかは「スポンサーの理解」があれば今でもできると思いますが、それでも「不快に思う人」がいるのでしょう。「やりにくい」と思います。

ツービートの「破壊力」は群を抜いていました。紳助竜助というのは「意外と正統派に近い漫才」でした。「のりお」も「おさむちゃん」も凄かった。馬鹿なことやっているだけでしたが、とにかくしつこく「馬鹿をやって」いました。「おさむちゃんです」と言うことだけに20分ぐらいかけていた。「のりお」の「ホーホケキョ」とか「ツッタカ坊や」「冗談はよせ」とか、「何やってるかよくわからない」という点で衝撃でした。

漫才ブームの「漫才」は「あの当時」だからできたもので、今はできるとは思いません。ただし「おさむちゃんですに20分」は一応今でも可能でしょう。

M1グランプリは「なんとなく見た」だけですが、ほぼ「くすりとも笑えない」ものでした。彼らが悪いわけではない。上記のような「破壊力をもった漫才」つまりは「ナンセンス」で育った私は、今の漫才を笑う「感性」がないのです。ナンセンスがなく、優等生の漫才です。全てのグループが「古典芸」をやっているようでした。「おれ〇〇やるから、お前は〇〇やれ」。漫才ブームの頃、こんな古典芸をやっているのは「やすしきよし」ぐらいでした。

少し毒舌を吐きます。

多くの漫才師が「意味なくうるさい」、「ミキ」とかうるさい、「霜降り明星」もうるさい。「和牛」は「ただお上手なだけ」。

少し笑ったのは「かまいたちの客いじり」とジャルジャルの「ナンセンス芸」だけです。そして一番面白かったのは「審査員のナイツのはなわ」です。ただし「なんとなく見た」だけの人間の意見です。

根拠は書きませんが、審査員としては上沼恵美子も松本人志も巨人も志らくも礼二も「要らない」と思いました。「富澤」と「塙」の二人でやればいいと思います。これも単なる個人の意見に過ぎません。あなたも「そう思え」と言う気はさらさらありません。ちなみに「とろサーモン久保田」は上記の審査員以上に「苦手」です。M1グランプリは「とっとと和牛とミキを優勝させて」、「それで終わり」でいいかと思います。


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