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飯島耕一「セザンヌ夫人」      田添明美

2022年10月25日 11時46分36秒 | 「いたずら」田添明美

私は40代の頃、一生一度の出版をした。
200~300人に発送している時、飯島さんだけが
当家のごくごく近所に住んでおられるのに気づき
(手渡ししようか)と住所録に電話番号があったので
電話した。

本人が電話に出られたので、数秒で要件を伝え
(私は「セザンヌ夫人」が好きです。優しくて)
というような言葉を述べると、彼は低い声で急に声を荒げて
(詩に/優しさなんて!)と吐き捨てるように述べた。
慌てた私は、(田村さんが亡くなり、皆で集まり飲んだ後
【友達といえる人たちだった】
と書かれたあの詩も好きです)と付け加えた。

すると、彼は紳士に戻り
(あなたは、僕の詩をあまり読んでいないような気がする。
 もっと僕の作品を読んでみて下さい)と言われ
結果として、郵送となった。

私は5年以上、現代詩手帖に投稿しており、本編に
彼の詩が載っていたので、20篇以上コピーしていた。
彼は1974年「ゴヤのファースト・ネーム」で初受賞
し、後5賞受賞したが、私は「ゴヤのファースト・ネーム」
の書き出しを読んでいる。
私は淡々と続く彼の作品より、田村隆一の事を書いた数篇
と、「セザンヌ夫人」が好きなのだ。
彼が直截に好きな人のことを書くと、胸に迫るのだ。

彼は、9年前83歳で逝去された。
1970年以前に、彼は1年位家の外へ出られない
鬱病になったそうだ。
「セザンヌ夫人」のなかの「きみ」は
あるいは「ぼく」だったのかもしれない。
胸にしみる1篇である。

セザンヌ夫人

セザンヌの
「セザンヌ夫人」のまえに来たとき、
(きみはあれほど
 光という光がこわくて
 夏も近いというのに 戸を閉めきって
 ただ息をひそめて ふるえていたのに)
セザンヌの
「セザンヌ夫人」のまえに来たとき、
(何もかもが嫌いになる病気になって
 自分のぐるりだけを
 ぼんやり眺めていたのに)
きみはようやく
セザンヌの「セザンヌ夫人」のまえにいた。

 


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