立山三山(雄山 2991m、浄土山 2831m 、別山 2874m)
<1991.08.16~17>
雄山には何度か立ちましたが、浄土山が室堂から一の越へのルートからも、縦走路からも外れていることもあって、「三山巡り」は町内の山仲間「千日山歩渉会」と行ったこの時だけです。
レンタルのマイクロバスで5時出発。立山駅前に駐車してケーブル、バスと乗り継いで14時半、ガスに覆われた室堂に着きました。
積み重なる岩を両手も使ってよじ登る道は、慣れない人は少し苦しそうでしたが、16時、全員浄土山頂に立ちました。
霧が晴れて右に白馬から針ノ木に連なる後立山連峰、正面に雄山から別山への稜線、左に奥大日から大日岳への連なりと予想以上の展望が開けました。
浄土山より剣と別山(右)
30分近く景色を楽しんで腰を上げ、17時、一ノ越山荘に入りました。夜は満天の星空を人工衛星が夢を運ぶように流れていきました。
翌朝は抜けるような青空でした。一ノ越から標高差300M、岩屑の急な登りを頑張ると社務所のある五の越です。
参拝料400円を納めて岩の階段を登り、始めて峰本宮のある3003M(その後測量の結果、現在は2991m)の頂上に立ちました。(それまでは、少し下の稜線を通過)
狭い頂上はお祓いを受ける人で混み合い、ゆっくりは出来ませんでしたが、360度の大展望に全員が満足しました。
「どっしりとした険しい剣、白馬から鹿島鑓、針の木に続く長い後立山連峰、槍から穂高への厳しい岩稜、優美な笠、五色ヶ原から薬師への長い稜線、緑濃い大日・奥大日のなだらかな連なり、遠くの富士、白山、御岳、北岳、甲斐駒、八ヶ岳……枚挙に暇のない程の山また山の連なり。
一つひとつの山々を数えていると、様々な想い出が去来し感無量だった。未だ知らぬ山頂への憧れがつのり、登高欲をそそられるのもこんな朝である。」
と山日記に書いています。
ここの若い神主さんは美男で声もよく、しばらくは女性軍の話題を独占していました。
大汝、富士ノ折立を経て、別山乗越への分岐から急な登りで別山頂上に着きました。
ここからの剣岳はまさに圧巻。八つ峰、源次郎尾根を右に、左は一服剣から別山乗越への稜線が根を張るように、どっしりとした風格があります。
最後の頂上で存分に展望を楽しんで、乗越から雷鳥沢を室堂に下りました。
写真はミクリガ池からの雄山と浄土山(右)
関の三山(羽黒山、筆捨山、関富士)
<2000.4.06>
東海道の重要な宿場町だった関の町。そこにある三つの低山巡りです。
正法寺山荘(平家の子孫で戦国大名・関氏の、砦を兼ねた住居跡で今は公園)からスタート。
最初に向かう羽黒山は、山腹に巨岩を点在させた特異な姿を家並みの上に見せています。
登山口からしばらく登ると大岩の前に羽黒神社の鳥居があり、奥の苔むした急な石段を登ります。さらに木の根を頼りに直登すると、岩壁の窪みに羽黒大権現が祀られています。岩を捲く形で急登すると5分で展望岩に出ました。すぐ左手に大きな岩塔が立ち、眼下に関の町並み、遠く伊勢の海も見えます。右手に関富士の整った山容、その右上に錫杖岳の尖鋒。
稜線に出てコブを一つ越すと羽黒山。樹木に囲まれた狭い頂上に四等三角点石標がありました。少し下のガレ場は錫杖岳や鈴鹿南部の山、平野越しの伊勢湾と低山と思えぬ雄大な眺めでした。
ガレの横から筆捨山への縦走路に入ります。ガイドブックには「普通に歩けるような道ではないので敬遠した方が得策だ」とありますが、岩場の通過に注意すれば、それほど困難な道ではありません。一部不明瞭な所はあるが踏み跡はしっかりしているし、要所にペンキ印や赤テープ目印があって不安はありません。急坂を下り、大きな倒木の枝の間をくぐり抜けて大きな岩の前にでます。
(以下山日記)「胎内潜り」のようにして下方へ通り抜けるようになっていて、小さな岩穴を潜り込む。大きな岩の上を歩いたり、岩裾を通ったり、大きく捲いたりしていく。一カ所、傾斜のある岩場のトラバースがあった。フィックス・ザイルが張ってあり少し高度感があるが、フリクションがよく効いたのでザイルに頼らずに簡単に渡ることができた。「歳相応にしてや。落ちても知らんでえ」(と♀ペン)しばらくで東海自然歩道に出た。」
正面に筆捨山が見える。「名人(狩野元信)が描けんほど、綺麗には見えんけどなあ」「古うなった筆を放りはったんちゃうか?」小さいピークを何度か登り下りして、最後は木の階段、鎖の手すり、また階段で急登すると頂上。ヒノキ林に囲まれ展望は全くない。
関の町へ下り観音山公園からは関富士が正面に美しく見えます。鎖の手すりや階段の急な道となり、分岐で左の「関富士コース」を少し登り加減に行くと5分ほどで富士の裾に来ました。
細い踏み跡で急斜面を登り出すと快適なジグザグ道を10分ほどで頂上243m四等三角点の石標。南側だけが少し開け、伊勢湾を行く白い船が見えました。
終日だれ一人にも出会わない貸し切り状態で、低山ながら変化があって楽しい三山巡りでした。
吉野三山(栃原山 530m、銀峰山 614m、櫃ヶ岳 781m )
いづれも登山口から短時間で楽に登れる里山ですが、この三山はそれぞれ別の日に登りました。(栃原山<2006.09.21>、銀峰山<1977.03.17>、櫃ヶ岳<1998.03.26>)
栃原山を金の峰、櫃ヶ岳を銅の峰になぞらえるので、オリンピックの年にふさわしい三山かも知れません。
詳しくはこちらをご覧ください。
高野三山(摩尼山1004m、楊柳山1008.5m、 転軸山 915m )
<88/07, 05.08.05>
秋に関西支部70周年記念行事が行われれるので、会場や町石道の下見などでこの年三回目の高野山。この日は二人で奥の院にある河口慧海師の供養塔を尋ね、17年ぶりに奥の院を囲む三山を歩くことにしました。詳しくはこちらをご覧ください。
「三山巡り」はまだ続きます。
<1991.08.16~17>
雄山には何度か立ちましたが、浄土山が室堂から一の越へのルートからも、縦走路からも外れていることもあって、「三山巡り」は町内の山仲間「千日山歩渉会」と行ったこの時だけです。
レンタルのマイクロバスで5時出発。立山駅前に駐車してケーブル、バスと乗り継いで14時半、ガスに覆われた室堂に着きました。
積み重なる岩を両手も使ってよじ登る道は、慣れない人は少し苦しそうでしたが、16時、全員浄土山頂に立ちました。
霧が晴れて右に白馬から針ノ木に連なる後立山連峰、正面に雄山から別山への稜線、左に奥大日から大日岳への連なりと予想以上の展望が開けました。
浄土山より剣と別山(右)
30分近く景色を楽しんで腰を上げ、17時、一ノ越山荘に入りました。夜は満天の星空を人工衛星が夢を運ぶように流れていきました。
翌朝は抜けるような青空でした。一ノ越から標高差300M、岩屑の急な登りを頑張ると社務所のある五の越です。
参拝料400円を納めて岩の階段を登り、始めて峰本宮のある3003M(その後測量の結果、現在は2991m)の頂上に立ちました。(それまでは、少し下の稜線を通過)
狭い頂上はお祓いを受ける人で混み合い、ゆっくりは出来ませんでしたが、360度の大展望に全員が満足しました。
「どっしりとした険しい剣、白馬から鹿島鑓、針の木に続く長い後立山連峰、槍から穂高への厳しい岩稜、優美な笠、五色ヶ原から薬師への長い稜線、緑濃い大日・奥大日のなだらかな連なり、遠くの富士、白山、御岳、北岳、甲斐駒、八ヶ岳……枚挙に暇のない程の山また山の連なり。
一つひとつの山々を数えていると、様々な想い出が去来し感無量だった。未だ知らぬ山頂への憧れがつのり、登高欲をそそられるのもこんな朝である。」
と山日記に書いています。
ここの若い神主さんは美男で声もよく、しばらくは女性軍の話題を独占していました。
大汝、富士ノ折立を経て、別山乗越への分岐から急な登りで別山頂上に着きました。
ここからの剣岳はまさに圧巻。八つ峰、源次郎尾根を右に、左は一服剣から別山乗越への稜線が根を張るように、どっしりとした風格があります。
最後の頂上で存分に展望を楽しんで、乗越から雷鳥沢を室堂に下りました。
写真はミクリガ池からの雄山と浄土山(右)
関の三山(羽黒山、筆捨山、関富士)
<2000.4.06>
東海道の重要な宿場町だった関の町。そこにある三つの低山巡りです。
正法寺山荘(平家の子孫で戦国大名・関氏の、砦を兼ねた住居跡で今は公園)からスタート。
最初に向かう羽黒山は、山腹に巨岩を点在させた特異な姿を家並みの上に見せています。
登山口からしばらく登ると大岩の前に羽黒神社の鳥居があり、奥の苔むした急な石段を登ります。さらに木の根を頼りに直登すると、岩壁の窪みに羽黒大権現が祀られています。岩を捲く形で急登すると5分で展望岩に出ました。すぐ左手に大きな岩塔が立ち、眼下に関の町並み、遠く伊勢の海も見えます。右手に関富士の整った山容、その右上に錫杖岳の尖鋒。
稜線に出てコブを一つ越すと羽黒山。樹木に囲まれた狭い頂上に四等三角点石標がありました。少し下のガレ場は錫杖岳や鈴鹿南部の山、平野越しの伊勢湾と低山と思えぬ雄大な眺めでした。
ガレの横から筆捨山への縦走路に入ります。ガイドブックには「普通に歩けるような道ではないので敬遠した方が得策だ」とありますが、岩場の通過に注意すれば、それほど困難な道ではありません。一部不明瞭な所はあるが踏み跡はしっかりしているし、要所にペンキ印や赤テープ目印があって不安はありません。急坂を下り、大きな倒木の枝の間をくぐり抜けて大きな岩の前にでます。
(以下山日記)「胎内潜り」のようにして下方へ通り抜けるようになっていて、小さな岩穴を潜り込む。大きな岩の上を歩いたり、岩裾を通ったり、大きく捲いたりしていく。一カ所、傾斜のある岩場のトラバースがあった。フィックス・ザイルが張ってあり少し高度感があるが、フリクションがよく効いたのでザイルに頼らずに簡単に渡ることができた。「歳相応にしてや。落ちても知らんでえ」(と♀ペン)しばらくで東海自然歩道に出た。」
正面に筆捨山が見える。「名人(狩野元信)が描けんほど、綺麗には見えんけどなあ」「古うなった筆を放りはったんちゃうか?」小さいピークを何度か登り下りして、最後は木の階段、鎖の手すり、また階段で急登すると頂上。ヒノキ林に囲まれ展望は全くない。
関の町へ下り観音山公園からは関富士が正面に美しく見えます。鎖の手すりや階段の急な道となり、分岐で左の「関富士コース」を少し登り加減に行くと5分ほどで富士の裾に来ました。
細い踏み跡で急斜面を登り出すと快適なジグザグ道を10分ほどで頂上243m四等三角点の石標。南側だけが少し開け、伊勢湾を行く白い船が見えました。
終日だれ一人にも出会わない貸し切り状態で、低山ながら変化があって楽しい三山巡りでした。
吉野三山(栃原山 530m、銀峰山 614m、櫃ヶ岳 781m )
いづれも登山口から短時間で楽に登れる里山ですが、この三山はそれぞれ別の日に登りました。(栃原山<2006.09.21>、銀峰山<1977.03.17>、櫃ヶ岳<1998.03.26>)
栃原山を金の峰、櫃ヶ岳を銅の峰になぞらえるので、オリンピックの年にふさわしい三山かも知れません。
詳しくはこちらをご覧ください。
高野三山(摩尼山1004m、楊柳山1008.5m、 転軸山 915m )
<88/07, 05.08.05>
秋に関西支部70周年記念行事が行われれるので、会場や町石道の下見などでこの年三回目の高野山。この日は二人で奥の院にある河口慧海師の供養塔を尋ね、17年ぶりに奥の院を囲む三山を歩くことにしました。詳しくはこちらをご覧ください。
「三山巡り」はまだ続きます。