最低でも年に一回はお顔を拝見する。笑顔で出迎えてくれているような気がする。
ラリー参加者の後姿に覇気が感じられない。楽しんで歩かねば。まあ、我々も最初の頃はそうであった。歩き始めは声も出、賑やかだった。話にも花が咲いた。ところが、気が付くといつの間にか静かになって黙々と歩いているではないか。ただ歩いて目的の場所に着きさえすればそれでよい、というよに穿き違えていたのではなかったろうか。これでは歩くと言うことの目的から外れている。歩いてきた道に風情を感じなければならない。いや、のほほんとそのときだけでも全てを忘れて歩く。いつのまにか着いていた。それでもよいではないか。競争ではない。時間に制限を設けなくてもいいではないか。歩くと言うことの楽しさが一つここで発見させられたようである。