上ん山古墳遠望
新幹線が走るようになって駅名が変ってしまったのが私には残念に思えてならないのである。
その昔は「長門一宮」だった。そうここには住吉神社があるのだ。だから長門一宮だったのだ。
奥壁の石材だ。ご覧のように典型的な礫岩だ。モザイクのようで面白い。遠目からだと装飾かと思ったくらいだからな。
床に敷かれてある石は川原石のようだが、礫岩も含まれているな。
石室が露出している墳丘を後方から見ている。古墳の裾が画面右に流れていっているように見えるために小形の前方後円墳に見えるのである。すぐ近くに二基の前方後円墳が確認されているためにそのように思い込んでしまっているのかもしれないが。
貴船神社 本殿裏の古墳跡と思われる。破壊されて石材が露出しているようだ。ここはもう形状の把握が出来ない。
伊方古墳を後にして竹原古墳に向う(公開中の古墳にあって目玉とも言うべき装飾古墳である)
(読者諸氏はすでにご承知ではあろうが、我輩は古墳に優劣をつけているわけではないことを断っておく)
小竹町唯一の古墳(今のところ)で貴重な文化遺産 合屋古墳 である。本当に大事にされているのか疑問だな。
遠賀川流域というなら夏吉より、川崎より、大任よりここのほうが言葉に合っていると思うのだが参加はしていない。
当然か。いつでも見ることは出来るものな。町唯一のお宝だろうに・・・
夏吉 若八幡神社横の森に入り込んで行って見つけた古墳である。なだらかな墳丘が目に付くと思うがどうだろう。
横穴式石室は持たないようで竪穴式のようだ。墳頂と思われるところが陥没していた。大雑把ではあるが15~20mの円形をなしている。周囲にも数基を確認したが総てが墳丘であり、横穴石室はない。写真に収めた墳丘が最大である。
時代考、製作国を書かないのが思わせぶりなのか
3世紀の終わりに周防灘に現れたランドマークである。海からやって来る者がこれを見たとき同盟国、或いは連合国、もしかして支配下にある国だと思って安心して上陸してきたかもしれん。或いはこの様なランドマークを我国でも造ろうと思いながら船出したかもしれん。文化の伝播とはこういった類のものなのかな。