自分が過去でも未来でもなく「今に在る」ってどういうことか?
これは考えることはできないし、頭脳は理解できない。だって「今に在る」と、思考は止まってしまうから。
「思考停止してないで自分の頭で考えよう。考えたら覚醒できる」が大好きな人たちへの挑戦状のような、私はこれが面白かった。
これは好き嫌いがあると思うんだけど、私はもともとが考えることが苦手なので、S問題もワクチンがどうたらも書いてはきたけど、決して考えていたわけじゃないんですよ。
自分の感覚で違和感があるかないかだけで、めんどくさい理屈は飛ばしていたし、めんどくさいから誰かの理路整然とした理屈を引用させてもらって、でもそれはただピンときたからで、人が思ってるほど頭は使ってない。
(おそらく私の脳は、シワがないと言われる顔よりそれがないんじゃないかな😆 )
そういうわけで、以降意識して「頭の流れるおしゃべり」を観察してみたら、これがまあホンットしょーもない、どうでもいいことしか流れてなくて笑ってしまった。
(昔の記憶の映像もいろいろ出てくるんだけど、あまりにもどうでもいい、小学校の時の給食当番の班決めはどうだったとか、誰々ちゃんの帽子の色は何やったとか、何のトラウマでも深刻でもない、無害っちゃ無害なんだけど、中味がなさすぎて消えたくなった )
気を取り直して「要はこのお喋りを鎮めて、そんな暇があったら身体の中に意識を持っていけばいいんでしょ?そうすれば大いなる叡智と繋がれるんでしょ?」と、ゲーム感覚でそれを始めてみた。
始めてみたといっても、まじめにワークをやるとかじゃなくて、ほぼ妄想ですね。 アホ面して頭をカラッポにして、体内に潜り込んでねえねえとちょっかい出している感じ?それも大喜びで😅
(頭をカラッポにしてそこに全力って、アタオカの本意なんで)
あとはたまたま外で一人仕事をしているという環境と、家でも一人でいられる時間が多いこともあって、こういう意識に没頭しやすいんだと思う。
そしたら日に日に心が安定してくるんですよ。
イライラとか不安とか焦りとか、無理に湧きだたせようとする希望とかも消えて、淡々。
確かに地味~な淡々。
そういうケセラセラな感じと、私の場合は、耳の後ろ辺りで常に「シャーーーーーン」という、神秘的な音のような、響きのようなものが鳴っている感覚が現れた。
五感でいうと聞こえてるに近いんだけど、耳で聞いているんじゃなくて「感じて」いる。
全然うるさくはない。
そして神経を集中した時なのかな?それが時折、静寂の中フォルテで響き出すのが、たまらなく心地よくて、聞き惚れてしまう時がある。
今のところ変化といったらそんな感じなんだけど、不思議。確かに不思議。
そしてワタシというより、体内に潜んでいる「ワタシと思っていたものとは違う何か」を漠然と感じて、そこにばかりフォーカスしている。
あと、突然忘れていたことをハッと思い出した時(炊飯器の保温ボタンを消すとか)、これは誰からの連絡?とか妄想するのが面白くなったとか、まあ何やかんや気づくとニヤニヤしてますね😅
こういう話を「紙一重」と思う人は、どうぞ世間で何が起こっているの方へ行かれてください。
多くが熱狂しているQプランも佳境に入っているみたいですし。