珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

リアクション2

2024-11-21 | 精神世界
私のパソコン机まわりは、それなりに自分の好み、落ち着ける空間にしてある。
といっても写真でお見せできるような豪華なものじゃないけど、小物入れの引き出しと、YAMAHAのスピーカーとクリップライトを置いて、横にある嫁入り前の古いタンスに、ホワイトボードを貼り付けて、気に入った写真や小物を並べている。

日用品と収納オタクの私は、そういう引き出しやホワイドボードに何をどう配置するかを決めるのが好きであるが、それ以上に小物のどれもを、いつ買ったか、誰に貰ったかを全部覚えていて、それが重要だった。
例えば「食い倒れ太郎のチャチハタ」は大阪に行った時、たこ焼きを食べ歩きした街のお土産屋さんで買ったもの。大切な思い出だから大事なものだなあとか。

それが最近は、人形もマグネットも「そのもの」をただただ味わうだけになった。
好きなものとはいえ、100均のものでさえ、まるで美術館の展示品のように色や形やデザインをじっと見ているだけで退屈しない。
別に精霊が宿っているわけじゃないけど(笑)、可愛いものがより可愛く思えるというか。

人形も写真もマグネットも「今」ここにあるのだ。
「いや、何年何月前からあるよ」と理屈や観念を言われても、私の前に現実として「今」あるんだもん😆 

キーボードの手を止めて、ただそれらを見る。
可愛さをしみじみと感じる。
それだけで幸せな気分になる。
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リアクション

2024-11-20 | 精神世界
時事ネタの見方が変わってきた。
内容も興味なくはないんだけど、それを見た時の自分の反応を見る方が面白い。
今までは、何しろカオスな時代なので、頭に来たり、呆れたり、ショックを受けたり、ざまーと思ったりしていたんだけど、「ただそのまま見る」ようになった。
「見る」というか、「そう見えるようになった」と言った方が近い。

と言っても決してサイコパスになったわけじゃなくて、血も涙も生き生きと脈打ちながら、一方でなぜか拳をふり上げたりするテンションが起こらない。
しっかりと見て、状況も明瞭に理解して、現実をしかと受け入れているんだけど、薄くなったワタシは日に日に無口になっていき、……………と黙っている。
教室で先生に当てられて「どう思いますか?」と訊かれて、クラスメイトも注目して何か言うのを待っているのに、どうやっても何も出てこず、黙るしかない感じ。
今まで色を変えて3パターンぐらい得意になって書けた読書感想文が、一字も浮かばなくなった感じ。

でも心が冷たくなったわけじゃない、この感じ。
恋が冷めたように嫌になったわけじゃない、この感じ。
努力して意識してこうやってるんじゃなくて勝手に変わった、この感じ。

その一方で、今まで体験したことのないこの不思議を、強い好奇心をもって、書かずにいられない私は何も変わっていないんだよね。
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海流、自動思考の消し方

2024-11-18 | 精神世界
単純でおもしろい実験。
目を閉じて「今、どんな考えが浮かんでくるだろう?」と頭の中に思考が浮かぶのを見張ってみる。
現れたら捕まえてやるぜ、みたいな感覚で息を殺して待つ感じ。
でも別に、ゴキブリやヘビやネズミが現れるのを警戒しているわけじゃないから、緊張もしないし恐怖心もない。

「今に在る」ってこうすれば簡単に体験できる。

すると「…………………」と、本当に思考は止まる。
なるほど。今にいると思考ってホントに黙るんだ~?と思う。

これをちょくちょくやって、なんかちょろちょろ出てきたら、いいも悪いもなくふうんと眺める。
だって自分じゃないんだから、いいとか悪いとかどうでもいいというか、何か言ってるわ~と真に受けないで眺められる。
そうして勝手に流れる思考を、自分と同一化しないで他人事のように見ているうちに、自然とヘタレていく。
流れてくるのも勝手なら、ヘタレていくのも勝手で、自動思考ならぬ自動消滅ですね。
消えていいんですよ、もともと幻なんだから。

呼吸法とか一生懸命やってる人が多い中で、こんな軽いノリでいいんだろうか?と思うけど、エックハルトさんは「やり方は複数あって、どれか一個でいいんだよ~」と言っておられたので、参考までに私はこんな感じ。
(「沈黙」とか「空間」からも入口があるそうで、それは私には難しすぎた)

あくまで私の場合は、これで過去や先のことが何も気にならなくなったのは確か。
甲斐バンドのHEROが大好きだったのもよかったのかもしれん。
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アリとキリギリスに思う

2024-11-16 | 精神世界
「幸せは未来にあるとして、今をそのための通過点にしてはいけない」と聞いた時、私の思考は、存在しない過去に読んだ童話の「アリとキリギリス」をかき集めてきた。
親からも「キリギリスはダメよ。今より先のことを考えるの。今ガマンすれば将来ラクできるのよ」と教育された記憶の断片と一緒に。

確かに「今を、未来の幸せのための目をつむって耐えなければいけない通過点としたアリが、結果とても幸せになって、今を楽しんでいたキリギリスがその先不幸になった」と記憶していた物語は、一瞬私を惑わせた。
が、私はブン投げるのはもっと速いのだ😆 

というわけで幻のワタシ記憶のそれは、もう上書きされている。
キリギリスは寒さや飢えで不幸を感じたのではなく、過去話をかき集めて鳴りやまない思考の声に、自分を責めて苦しんだのだ。
アリが存在しない未来のために、今を「ガマンする通過点」として働いたのなら、間違いなく病んでまうわ。

実際は、アリもキリギりスも今に在って、両方とも生き生きと生命を躍動させているに違いない。
人間だけがそれに気づいておらず、ヘンな解釈をしているだけで。
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パーフェクト!

2024-11-15 | 精神世界
完全すぎて何一つ反論できない理論とはこういうもの。
本当に「何一つ」💦



今まで「私は絡まったややこしいものを、整理整頓してわかりやすく書くのが好き」なんて調子に乗ったことを言っていたけど、この「今に在る」という究極の分野では、エックハルト・トールさんが圧巻で、完璧すぎて、この異次元の解説の前にはただただ黙って聞くのみ。

だって「殆どの人が理解していない難解な真理」と「それをめっちゃ解りやすく解説」をセットで一人がやってるんですよ?
ふつうは例えばブッダとかキリストの教えというものがあって、他にも難しいことを言ってる哲学者とか心理学者もそうだけど、「それを解りやすく解説する人」が別に何千、何万といる。
でもこの人は教えも、わかりやすい解説も一人で完結する。
(日本が産んだネドじゅんさんも然り)
だから不要なんですよ、それ以外は。

そこが凄くて、知るほどに「それ以外の私なんかが駄文を書いたところで」と思ってしまう。
いやホントに私、この二人の話を聞いて以降、打ちぬかれたというか「あたった」というかヘロヘロになりましたね。

気づけば確かに意識が変わった。
漠然とした不安が消えて、「今まで思っていたワタシ」というものが他人のように興味がなくなって、
世の中に起きることに、正邪みたいな色?のようなものが消えて、
「ただ起こったこと」になって、
でも決して無関心なわけじゃなくて、むしろ強い興味があって、
じゃあどうすべきかということを真摯に探ろうと思うんだけど、それは自分と繋がっている神のようなものに委ねたいという感覚になって、
「繋がっている」というのも別に信じようと力まなくても、それは当たり前のように感じられて、
それから常に「今」に集中することが面白くてしょうがない。

え?私ってこんな集中力あったっけ?と不思議なんだけど、今まで「集中しなさい」言われることって、勉強とか仕事とか何か辛いことだったじゃない?
それを「自転車のペダルをこぐのに集中する」とか「お風呂に入る時にゾーンに入る」とか、誰も言わなかったしょうもないこと?にすると、めちゃくちゃ面白いんですよ😆 
これならできると思うし、ゲームみたいで退屈しないし、これで「今に生きる」ということが身体で覚えられる。

個人的な、こんな体験談ならこれからも書くけどね。
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ワタシって?

2024-11-13 | 精神世界
昨日久々にカッチーンと頭にくることがあって、思わず「何その言い方?!」と光の速さで口が出た。
(世界もこのくらい高速で変わってほしいもんだ)
その勢いで「だってワタシが今あなたにどーちゃらこーちゃら…」と続きのドラマが展開されようとした時、チャンスと思って同時にそれを観察してみた。

頭に血が上って沸騰しているのが感じ取れる。
鼓動が速い。
汗ばんだ手で皿を割りそうだ。
食べ物を消化する時は「ワタシが消化している」といちいち言わないのに、身体が状況に合わせて自動的に反応しているそれを、こういう時は「ワタシがやってる」と思う。
「それは起こった」じゃなくて「ワ~タ~シ~が~怒った」になる。

血液に乗って流れ星のように消える物質を、「ワタシ」はさらに激情的なドラマにつむいで、こじらせて長居させるのが大好き。
ときどき今でもあるように思い返して、いじくって、考えこむのも好き。

そんな「ワタシ」って誰よ?
それって本当にワタシ?

「気づくと」ワタシが思っているワタシは幻になっていく。
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今に在る

2024-11-11 | 精神世界
卒業式の日、からっぽになった教室や机や椅子や下駄箱が、今までと全然違ってキラキラと見えたという話に納得。
そうそう!!こういうのを「ありのままに見る」というのではないか。
もうここに来ないゆえ、それらにまつわる未来も、過去に日々使ったという「ワタシの幻想」もすっぱり外れると、なぜか見え方が変わる。
学校生活が楽しかったとかつまらなかったとは関係なく、同じものが光を帯びたように美しく見える。

「今に在る」と、フィルターが外れて、木がありのままに美しく見えた。言ってみれば精霊が宿っているように見えたという話を言いた時は、そんな悟りは凡人には無関係と思ったけど、こういうことかなと。
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覚醒を伝えたいだとか

2024-11-09 | 精神世界
言葉はラベルみたいなものだとしても「覚醒」なんて単語を、まーチャラく使っていたもんだ。
覚醒を伝えたいだとか、クサいことばっか考えて待ってても、だんだんソファに沈んでいくだけ♫(あいみょん)ってね…

今再びこの言葉の意味を知ると、「的外れだった」という言葉こそがピッタリくる。
にしてもこの動画の翻訳の美しさと、的確さと、説得力には感動しきりだ。 
どうやったらこんなに上手く文章を作れるの?


というわけで、何かをしたいなら「どんな自分であるか」と調和させなければ、だんだん沈んでいくのはよくわかった。

今日も難しいことを考えてるわけじゃない。
ただゾーンに入りながら皿洗いしたわ🤣
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物語

2024-11-07 | 精神世界
今まで団結していたグループなりコンビが、その親密度と同じくらいの嫌悪を持って分断するのを見るたび、愛と憎は表裏一体で、誰人もその法則から逃れられないのかと思っていたら、「感情ではない愛」というものが存在することを知って、先日書いた記事。
👇👇


私が今、何とか言語化しようとあがいている、ワタシという幻想が作った架空の物語は、しばしば人間関係のトラブルを起こしてしまう。

私も経験あるけど、一つの出来事があっても見方はいろいろで、10人いれば10人の正義(善悪)がある。
その正義ってやつが強ければ強いほど、それは燃え上がって一帯を焼き尽くし、焼野原にまたガソリンを注ぐくらい強情なもの。
言い換えればそれがアイデンティティってやつなんだよね、当人にとっては。
他人のそれを眺めて「ワタシはこっち側」と、自分に感情移入するのも同じ。

でも「出来事」というのは一つであって、ありのままというのは「出来事」以外に存在はせず、ありのままが10種類も存在するわけない。
存在しないんだけど各々は、自分の思考こそが絶対的な真実だと信じ切ってしまうので、「ありのまま=自分だ」と固く思いこんでしまう。

ありのままの「出来事」は終わってしまって、指一本触れられない、変えようもない過去なのに、消えた過去やら来てもいない未来からワタシ(要は記憶の断片や想像という幻)をかき集めて語る話が、「ありのまま」のはずがなく、
「幻想じゃない、ありのまま」というものがあるなら、この事実をただ見ることしかない。

私たちは幻想をジブンと思ってそこに情熱を注いでしまうけど、ありのまま(本当の自分)というものがあるなら、少なくとも過去や未来という幻を行き来する思考とは無関係である。
(焼野原をさらに燃やし尽くすような、自分もどきから解放された自分ね)

ずっとスピチュアル界隈ってよく知らなかったけど、そういえば揉めたとか分断したとか聞かないなあと思っていたら、そういうことを解っていたんですね。
誰が誰の愛人だとか、誰が昔、あー言ったこー言ったということは知らなくても、もっと人の本質を見ていたんだろうか。

知識って、この世をラクに楽しくいけるように役立つものじゃないと。わざわざ争うために博識になっても…と思う次第。
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2024-11-06 | 精神世界
過去でも未来でもなく「今に集中」なんて、辛い悩みがないからだ。
差し迫った深刻な問題がなければそりゃ、悠長にマインドフルネスだの悟りだの言って遊んでいられるよね~と思うとしたらそれは逆。

本当に生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされたら、人は過去だ未来なんて悠長なことは考えないし、今起きていることにジャッジもできない。
本当にたった今に生きて、それをただ受け入れることしかしない。
火事場のばか力みたいな奇跡が訪れるのは、そういう時である。

火事場じゃないのに、この一秒一瞬に何の問題もない時に、なぜそのチャンスも尊さも有難さも忘れてしまうのか?と思う。

この瞬間もある、奇跡の「今」を。
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難題

2024-11-02 | 精神世界
「権威を鵜呑みにしないで自分の頭で考えて。そうしないと洗脳は解けないよ」言われてやっとやっと「自分の頭で考える」まできたというのに、今度は
「思考なんて相手にしないで。それはニセモノの自分であり、考えるほどにドツボにはまるよ」と言われたら、殆どの人はふざけんなよ!!になるんだろうか。 

じゃあ回り道せずショートカットで言うわ。
「権威なんて鵜呑みにしないで、かといって『自分の頭で考える』もやめて、今この瞬間に集中して意識を身体の内側にもっていって。そしたらやがて『自分の頭で考えている』と思っていたことが、自分じゃなくて別物だということに気づくから。
そして判断は、権威を鵜呑みでも思考でもなく、圧倒的な存在と繋がってインスピレーションを受け取って」

今度は殆どの人は「ちょっと何言ってるかわからない」になるんだろうか😅 
この難題を、いかにわかりやすく書けるかがテーマ。
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ゲーム2

2024-10-31 | 精神世界
頭の中を勝手に流れる思考や、たまにやってくる怒りやショックなどの感情を「なんか来た」と、他人ごとのように見始めると面白いですよ。

「え?自分の考えや感情こそが自分自身じゃん?他人ってアンタ、それを手放したら自分というアイデンティティはどうなるのよ?個性もなくなるし」
と私も最初は思ったけど、なぜかそういうものはどんどん興味がなくなっていく。
それが自分の大事なアイデンティティとも、尊い個性とも思わなくなったからだと思う。

例えば世の中でいろんな出来事があって、皆がいろんなこと言ってて「一体どれが本当なんだろう?うっかりこれを信じたら騙されるんじゃないか?そんなみっともないことはイヤだ。ワタシというメンツを賭けて頑張って見極めてやる。騙されないゾ」と、必死になっていろんな書き込みやら動画を見てウンウン考える。
これがアイデンティティ?

そんな暇があったら、熱い珈琲をゆっくり味わって、一分一秒私をたゆまなく動かして整えてくれている身体に心を向けてみる。
身体に意識を向けている時、私の意識は「今この瞬間」にいて、そうすると、どこの誰かもわからない声や、人気のインフルエンサーや、偉い先生より、もっともっとスゴくて優しくて間違いのない大いなる存在が喜んでくれて、私を心地よくさせてくれて、さらに直感をプレゼントしてくれる。
或いは「これを見なさい」「こうしなさい」という化身を、絶妙なタイミングで届けてくれたり。

その直感に従っている方が、ウンウンと考えては「見誤った、裏切られた、被害者だ、加害者だ」とジタバタするより効率よくプレイできるんだもん。

スピチュアルというと神聖なイメージがあるかもしれないけど、私にはゲームの攻略本という感じが近いかな😅 
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Don't think.Feel5

2024-10-30 | 精神世界
自分が過去でも未来でもなく「今に在る」ってどういうことか?
これは考えることはできないし、頭脳は理解できない。だって「今に在る」と、思考は止まってしまうから。

「思考停止してないで自分の頭で考えよう。考えたら覚醒できる」が大好きな人たちへの挑戦状のような、私はこれが面白かった。

これは好き嫌いがあると思うんだけど、私はもともとが考えることが苦手なので、S問題もワクチンがどうたらも書いてはきたけど、決して考えていたわけじゃないんですよ。
自分の感覚で違和感があるかないかだけで、めんどくさい理屈は飛ばしていたし、めんどくさいから誰かの理路整然とした理屈を引用させてもらって、でもそれはただピンときたからで、人が思ってるほど頭は使ってない。
(おそらく私の脳は、シワがないと言われる顔よりそれがないんじゃないかな😆 )

そういうわけで、以降意識して「頭の流れるおしゃべり」を観察してみたら、これがまあホンットしょーもない、どうでもいいことしか流れてなくて笑ってしまった。
(昔の記憶の映像もいろいろ出てくるんだけど、あまりにもどうでもいい、小学校の時の給食当番の班決めはどうだったとか、誰々ちゃんの帽子の色は何やったとか、何のトラウマでも深刻でもない、無害っちゃ無害なんだけど、中味がなさすぎて消えたくなった )

気を取り直して「要はこのお喋りを鎮めて、そんな暇があったら身体の中に意識を持っていけばいいんでしょ?そうすれば大いなる叡智と繋がれるんでしょ?」と、ゲーム感覚でそれを始めてみた。
始めてみたといっても、まじめにワークをやるとかじゃなくて、ほぼ妄想ですね。 アホ面して頭をカラッポにして、体内に潜り込んでねえねえとちょっかい出している感じ?それも大喜びで😅 
(頭をカラッポにしてそこに全力って、アタオカの本意なんで)
あとはたまたま外で一人仕事をしているという環境と、家でも一人でいられる時間が多いこともあって、こういう意識に没頭しやすいんだと思う。

そしたら日に日に心が安定してくるんですよ。
イライラとか不安とか焦りとか、無理に湧きだたせようとする希望とかも消えて、淡々。
確かに地味~な淡々。
そういうケセラセラな感じと、私の場合は、耳の後ろ辺りで常に「シャーーーーーン」という、神秘的な音のような、響きのようなものが鳴っている感覚が現れた。
五感でいうと聞こえてるに近いんだけど、耳で聞いているんじゃなくて「感じて」いる。
全然うるさくはない。
そして神経を集中した時なのかな?それが時折、静寂の中フォルテで響き出すのが、たまらなく心地よくて、聞き惚れてしまう時がある。

今のところ変化といったらそんな感じなんだけど、不思議。確かに不思議。
そしてワタシというより、体内に潜んでいる「ワタシと思っていたものとは違う何か」を漠然と感じて、そこにばかりフォーカスしている。
あと、突然忘れていたことをハッと思い出した時(炊飯器の保温ボタンを消すとか)、これは誰からの連絡?とか妄想するのが面白くなったとか、まあ何やかんや気づくとニヤニヤしてますね😅 

こういう話を「紙一重」と思う人は、どうぞ世間で何が起こっているの方へ行かれてください。
多くが熱狂しているQプランも佳境に入っているみたいですし。


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幻の時間

2024-10-29 | 精神世界
私は今、モーレツに反省してモーレツに感動している😭 
やれ政治家がデタラメだ、メディアがフェイクだ、歴史が捏造だとか言ってきたけど、もっと本質的な、誰でも拠り所にしている、時間の幻想を信じこんでいたからである。
これって、もしや人類最大の大ウソでは…😰 

時計というものがあって、今私のパソコン画面にもその表示は動いているけど、「時計時間」ともいうべきこのモノサシのようなものはあっても、過去や未来という時間は存在しない。
存在するものは「今、この瞬間」だけであり、あるとしているのは「自分とは別の」思考や感情が作り出している幻だった。

それが実感できないとしたら、本当の自分ではなくてニセモノの自分(自分ではない思考や感情)が、その性質上、過去や未来という概念を必須にしているから。
これは本当の自分と、今自分と思いこんでいる思考や感情だとわかったら、あっさり納得できると思う。
動画で言われている通り、頭じゃなくてあなたが理解するのだ。

本当の自分って何やねん?を簡単にいうと、「今この瞬間のみで生きている自分」というべきか。

先日、ネドじゅんさんのXのスペースを聞いていたら「今は千葉に住んでいるので地震が多いんだけど、グラッときた瞬間、人は危険を察知して意識が『今』に集中する。そういう意識が常に継続しているのが本当の自分」というようなことを言っておられた。

なぜにそれが「本当の自分で」「悟りの状態で」「そんな意識状態だと何が起こるのか?」ということを知りたかったら、この動画を見られることを(音読なので聞くだけでも可)強くお勧めする。
仮に今、何か苦しい問題を抱えていて、この先に絶望なり逆に希望なりを感じておられる方がいたら尚更。


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対極がない

2024-10-28 | 精神世界
私がネットに来て最初に見聞きした「対話ブログ」を始め、その後の諸々も「世の中というのは私も含め、要はシンパからアンチへと転じることをいうのだろうか?」と思うくらい、存在するものは「善と悪」とか「愛と憎」のような表裏一体に満ちていた。

昨今の真実系と呼ばれる人たちも例外なく、固い絆で団結したのちに分断に次ぐ分断が起こって、絶賛していたかと思うと、何故か同じくらいの熱量で憎しみや悲しみを引き受けるはめになる。
つい昨日も、人気のインフルエンサーの何回目かのそんなポストを見た。
どんなに精一杯誠実に生きても、世の中がそういう定めにしか見えないのは、美輪明宏さんも言ってた「この世に正負の法則を免れるものはない」ってやつ?

ところがですよ?
思考が止まって「大いなる存在」と繋がった本当の自分が、外からではなく「内側から上がって来る」無尽蔵の愛、喜び、平和には、その対極が存在しない。
これらは感情よりさらに奥深いところから湧き出ており、感情を超えているから。

驚きましたね。
この世の法則から免れないはずの、陰と陽のような二元性がない愛、喜び、平和が生きている「この世」に存在しており、それが本来であり、体感できるとは!!

私が精神世界の仕組みや、意識の変容というものに衝撃を受けた理由がおわかり頂けるだろうか。

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