珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

形を変えただけ

2019-01-28 | S教団関係
何かと問題の多かったS教団が、多くのうねりというのだろうか?尽力や働きかけの中で衰退しつつある。
最初に誰かが声にならない声をあげた時には、こんなことは想像できたであろうか。
やったねー。
だけどそれは最初の予想とはちがった。
一つのものが消滅したら、それはただゼロになるのではないことを知った。

それは「無くなった」のではなくて、形を変えただけと思う。
歪なものは別の名の、新たな歪なものに生まれ変わった。
かつてあった鬱陶しいものは確かに消えたけど、代わりに前はあり得なかった、暴言や罵倒や争いや嘲りや不信や疑心が生まれた。

一つのエネルギーを衰退させるということは、きれいに消えてひっそり静まることではなくて、その質量のまま形を変化させるということだった。

私は未熟ながらそんな想像はできなかった。




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世代

2019-01-28 | 日記
娘の誕生日に、友達とそのお母さんがホールケーキをもってお祝いに来てくれた。
娘は食べる前に、スマホを取り出して当然のように写真を撮った。
別にどこにアップするわけじゃないけど、とっておきたい記念なんだそうである。
この光景も、小学校から娘だけじゃなく他の子も一斉にやっているのを見てようやく慣れたことだが。

時々、世代が同じママの方とは話も感覚も合うけど、子どもの方がさっぱりわからなかったりする。
血のつながりより、世代、時代が共感を呼ぶのかもしれない。

この日、娘の友達が主張した或る話を、私はどうしても理解できなかった。
子どもの時に頭の固い大人や親にはなるまいとあれほど誓ったはずなのに、決意を裏切って「さっぱりわからない」

だけど「それは違うよ」と改めさせようとは思わないし、賛同はできなくても「ふうん、あなたはそんな考えなんだね」と思うことはできる。
子どもの言い分も、私の世代じゃ聞いたこともなかったような理屈やタブーとされていたことがまかり通っているが、これも多様化ってやつ?

ところで、私が去年の終わりごろ、やっと「そだね」じゃなくて「それな」という言葉を知ったと言ったら、ママ友とその子どもにのけぞって笑われた。
なんなら最近、「お一人様」をそうじゃなくて、若い子は「ぼっち」ということも知ったぞ。
このズレっぷりも多様ですねん( ;∀;)



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