珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

娘との会話14

2019-05-06 | 娘と夫の話
娘がスマホの調子がわるいと言ってきた。
触っているうちに画面が動かなくなって、一度電源を落としたら今度は暗証番号が利かず、ロックされたままになったという。
サービスセンターに問い合わせして、担当者と話をさせたら、
「初期化しなければいけないかもしれません。その場合はデータが消えるかもしれません。申し訳ありませんが、直接ショップの窓口にお越しください」
と言われた。
そうなると契約者である私も同行しなければならない。

外は雨で雷までなっていた。
娘は「しょうがない、明日でいいよ」そして「ねえ、暇だから映画でも観ない?」
と言った。
「あんなに毎日触っているものなのに明日でいいの?」
私なら速攻で雷の中でもを飛び出したと思うけど、娘は焦るタイプではなかった。

翌日窓口にいったら、残念ながらデータが消えてしまう方法しかなかった。
あんなにたくさん撮っていた何百枚もの写真が無くなるのにやはり娘は冷静。
「友達にまたもらうからいいよ」
「自分で撮った写真はいいの?」
「また撮るからいいよ。どうってことないよ」
そして落ち着いて、新しくいろいろな設定をしていた。
そして友達の数が一気に減っちゃった、とケラケラと笑った。

答えを待てるし、終わったことはサッとあきらめる。
これがうっかり人にやられたことでも、彼女は人を責めずに、全く同じ態度だったと思う。
そういう子である。

こういうところは私は娘に圧倒的に敵わない。
何十年も先を生きている私のずっと先を、あっさりと行っている部分である。
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ネットの文章

2019-05-06 | 思うこと
どこの誰が書いているか、物理的にわからないのがネットの文章である。

100の文章があったとして、理屈からいって、それを書いたのがどこの誰なのか、男なのか女なのか、本当なのか作り話なのか、100人が書いているのか、実は一人が書いているのか、10人なのか30人なのか50人なのか。
それはさっぱりわからない。
エスパーでもない限り、そんなことはわかるはずがない。

ただ私には、入ってくる文章とそうでない文章というのはある。
心地いい文章と違和感のある文章はある。

それは内容には関係なくて、文章が上手い下手でもない。
信じがたくても、自分とは反対意見でも、癖があっても、乱暴な言葉使いの悪口でも、きれいな水のようにスッキリ入ってくるものもある。
そして充分あり得ることで、とても謙虚に書かれているのに、オエッとくるものがある。

なぜかわからない。

それから不快ではないんだけど、何も感じない文章がある。
これはおそらく、自分の体験ではない借り物の言葉だからじゃないかなあ?と思う。

ただの個人的な感覚だけど、言えるのは文章って「その人そのもの」
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