珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

正義の後

2020-05-20 | 日記
ネットに来てから人の本音と建て前のあまりの解離に、最初はびっくりしたものだった。
具体的には私の場合は、Sアンチブログの書き込みを見て、元S会員の
「実は前からこう思っていた」という果てしない愚痴、悪口、不満、疑問に呆然、唖然となった。

いやホントに会員時代はこんなこと、誰も「おくびにも」出さなかったよね?
むしろ私なんかが「何それ?」「なんで?」とあっさり疑問を口にしたら、本気で怒られたくらい皆ずっとマジメだったよね?
あれ全部、ふりだったの?心からの言動じゃなかったの?と。
まあ私がどっちかというと表裏の少ないタイプなのかもしれないけど、それにしても…と思った。

でも今はそれが少しはわかる気がする。

騒動以来、私はなるべく出歩かないようにしてるし、スーパーなんて絶対一人で行くし、当然マスクはかっちりするし、昨今のルールに従う模範的な行動をしている。
傍から見たらさぞかしウイルスが怖い人に見えると思うけど、でも心の中では「アホくさ」と思っている。
かっちりルールを守っているのはそれに理解があるからではなくて、自粛警察と呼ばれるような世間が怖いからである。
それから、私は平気でも、私と違ってウイルスに怯えている人に不安や不快感を与えたくないからである。
そしてここは民主主義の国なんだから、決まったことには従うべきと考えるからである。

人の心の中って、こうだと一つでは言えないものがあると思った。

過激な自粛警察の人は、開けている店に「クズ」とか「バカすぎ」と張り紙をしたり、他県の車のナンバープレートに傷をつけたり、
マスクをしないで走っている人に「アホランナー」と罵ったり、
ネットに吊るし上げて公開処刑をするそうである。
或いはもの言いは優しいけど
「不要不急の外出をする人たちのせいで終息時期が遅くなって迷惑をこうむることをわかってほしい」
「自粛と言われているのに、家族全員でスーパーに買い物に来ているのが信じられない」
と切々と訴える人もいる。
この人たちは純粋で真剣な正義感で言っているんだと思う。

こんなのは今更で、最近じゃなくても何十年もいっぱい見てきましたよ。

でもね、そういう人が何年かしたらそれを真向否定して
「騙された」「クズは自分だった」「謝りたい」「黒歴史」「言わされた、やらされた」と言いうのもいっぱい聞いた。
「当時から違和感満載でおかしいと思っていた」
というのも散々聞いた。
「世の中は変わるけど、でもこれに関しては一生正しいと思う。撤回することは万が一でもあり得ない」
と断言していたことを、でも見事にひっくり返すのを聞いた。

いずれにしても、今固く信じられている正義が、後になって何と言われるのかは興味があるところである。
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