珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

学校事情14

2020-05-21 | 日記
娘の担任から電話がかかってきた。
「家庭訪問ができないから電話をします」と数日前にメールがあった。
首都圏の自粛延期がどうなろうと、私の住んでいる市は今月末までは登校不可と以前から決まっている。
誰が決めたのか、なんでそんなことをするのか全くもってミステリーだけど、鋼鉄のようなビクリともしない掟がある。
じゃあ来月1日から即登校かというとそうとも限らず、
「それから審議に入って父兄との相談やらいろいろな手続きを通すので、いつ再開かはわからない」
と担任は言った。

先日、各家庭のIT環境を知りたいと「パソコンやタブレットはあるか」等のアンケートのメールも来たので「ITの授業はしないんですか?」と尋ねたら
「やろうという発案もあったのですが、学校独自でやってはいけない。やるなら県で足並みを揃えないと言われて中止になりました」
と言われた。

最近、強く認識したことは、
「偉い人とか専門化の考えることはあまりにも計り知れなくて、私のような凡人には一生かけても理解できない」

もっとも理解できる専門家もいる。
精神科医の樺沢先生が言われるこれは理解できる。
本日の新型コロナウイルス。
東京都の新規の感染者は、「5人」。
1日当たりの感染者が2日続けて1桁となるのは
緊急事態宣言が出されて以降、初めてです。
また、感染者が30人以下となるのは11日連続。
東京都の重症者病床使用率は、なんと13%(5/18発表データ)。
どうみても、緊急事態宣言、解除してもいいでしょう?
0人になるまで、続けるつもりか?
(詳しくは公式ブログ参照)


改めて
0人になっても「油断は禁物」「2派が2派が」と、永遠に続けたくてたまらない人がいるのは理解できる。
それが何故かは計り知れなくて、凡人には考えてもわからないことも理解できる。
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怖がる人

2020-05-21 | 思うこと
一般世間ではそこまで知られていないかもしれないけど、Sの草創期から昭和くらいの教えには「謗法」と言って、
他宗(当時は邪宗)のお札やお守りが家にあったり、神社で手を合わせたり(お賽銭を投げたり、絵馬に願い事を書くなど論外)すると、不幸になるとか災いが起こると本気で信じられていた。
謗法警察ならぬ謗法払いである。

その煽り方が半端じゃなかったもんだから、信じられ方も半端じゃなかった。
温度差があったけど気にする人は凄かった。

草創期には恐怖にかられて仏壇や神棚を燃やして、私が青年部だった頃でさえ、人によってはファンシーな小物、例えばだるまをモチーフにした耳かきとか、××神社と書かれたキーホルダーとか、天使の置物やクロスのネックレスにまでにビビる始末。
それが過剰でも異常でもなくて、ふつうに受け入れられていた。
ウソじゃないですよ。そんなの見つけたら真顔で怒って捨てるように指導する人までいましたからね。

「そんな科学的事実なんかない」といったっところで通用しないんですよ。
信じなければそんな理屈はゴミみたいなもの。

ところで何故にそこまで他宗に攻撃的になったのかというと「不幸になる」「災いがくる」ことが怖かったからである。
人は怖いことに対して攻撃的になる。
攻撃してくる人はつまり「ものすごく怖がっている」んだよね。
そしてそこまで怖がった人って、いくら頭で大丈夫だと解っても行動が伴うまで時間がかかった。
「功徳」は疑えても「罰」にはずっと怯えてしまうというかね。
性格によるのかもしれないけど、いいことより悪いことが信じられやすいんだなあと思った。

徹底的に怖がらせる。
これが人を操る基本なんだなあと思う。
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