珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

書かないとないことにされる

2021-01-07 | コロナ騒動
マスメディアのやり方は飽きた。

「感染者です、最多です、クラスターです」は、これでもかと報道しても
「でも、これまでも風邪もインフルエンザもこんなものではありませんでした。感染者も重傷者も死亡者も桁違いでした。数字を比較してみましょう。でもこんなふうには煽りませんでした。これが緊急事態なら、これまで毎年が緊急事態でした。不思議ですよね?」
とは一字も書かない。

「インフルエンザは、仕事や学校に行けるような状態ではなくて、かつ家で静養じゃなくて、医者に行って、『インフルエンザです』と医師から診断された人を感染者でした。でもコロナの感染者とは、健康体を強制的に検査して、陽性判定がでたら、確実性は一切無視して『新型コロナの感染者』と確定してカウントしています。わざわざ税金を使って感染者を探し出しているのです。全然違いますよね?」
とも報道しない。

「感染を判定しているのは、健康体に行っているPCR検査です。ではその根拠となる重要なPCR検査はとはどのようなものか?詳しく調べて見ていきましょう」
なんてのは言うわけがない。

考えてもみてください。
ここまで世の中が混乱している原因がPCR検査というもの判定で決まっているんですよ?
その理屈、根拠こそ、徹底的に掘り下げて追及すべきじゃないですか?

でもそこだけキレイにしない。
スッポリと抜け落ちたようにしない。

まるで宇宙法則のように、これは絶対ありきのようにみせているけど、
実はここがいちばん触れられたくないアキレスなんですよ。

だいたいが、「不思議ですよね?」「違いますよね?」「調べてみましょう」「何故でしょう?」というような、考えさせる書き方を絶対にしない。
考えられては困るようである。

皆、言ったことには反応するけど、言わないことには「言わない」と反応しない。
想像もしない。
書いてあることが「全て」のように思う。
私も以前、そんなことがあった。
考えなくても想像しなくても苦労しなくても、情報は隈なく公平に与えてもらえていると思っていた。

書かないと、ないことにされる。
だから書いている分部もある。
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答えるなら39

2021-01-07 | S教団関係
今回はこれ。
普通のS脳さんはSが最高だと信じているので、S以外を見下しますが、チョイ活は「心の師とはなるとも心を師とせざれ」という指導を無視して、自分の心の物差しでモノを見るので、Sに限らず何でも見下しているので師匠は自分自身というのは本当なんですか?

このようなことがアンチブログに書いてあったので一言。
「これは多部数購読他、ノルマなんかおかしい、打ち出しなんかぶん投げろ!!」と言う人に限って、最初からおかしいと言って一回もやらなかった人に「ありえねえ」という心理に似ていると思う。
「潰れてほしい」「あと何年ももたない」が悲願で口癖なのに、「こういう人ばかりだと潰れてしまう」と憂うことにも。
「改革なんか無理の独裁的な組織」と言いながら、でも改革されると「コロコロ変わる」と喜ばないことにも。

アンチの口癖はしつこいくらいに「人のいうことを鵜呑みにしないで、自分の頭で考えましょう」
でも最初から何もかもは鵜呑みにしないで、ところどころは自分の考えを入れていたら
「身勝手」「自分が師匠で自分が大好き」「自信満々で人を見下している」「可愛らしさがない」としつこいぐらいにボロッカス。

自分が師匠、人を見下すって…(;・∀・)
な、なんで大好きなはずの「自分の頭で考えた」ことがこうなるの?
「全部が全部じゃないけど、ところどころは考えた」が気に入らないのかな。
「何もかも信じる」か「全く信じない」かの白黒ならよかったのかな。

結局、やったらやったで、やらなければやらないで両方ともに文句を言うアンチってミステリー。
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