「コロナ騒動はウソと見抜いている層」 は極めて少数派…なのではない 「なんとなく見抜いているけど沈黙している層」 が圧倒的多数派なのだ
という書き込みを見た。
そうそう、圧倒的多数は後出しが好き、というより、いやもう大・大・大好きで、裏を返せば「後出しじゃないことが」大・大・大嫌いなんだと思う。
これは誓って大袈裟でも皮肉でなくて、Sアンチブログを見て見たままを忠実に書いている。
本当にこう言ってもいいと思うほど、多くがそうだった。
何かあってから嫌になったのならわかるけど、何を言っても「ワタシはこれを信じて好きでやっている」の一点張りだったことまで、アンチになった途端、
ワタシは当時からオカシイと思っていたを連発したがるミステリー。
私がこれが不可解でしょうがない。
あまりにもこんな声が多かったので、当時から言っていることは「本心」と受けていた私なんかはビビってしまった。
むしろそんな人たちに騙されていたのはワタシ?と人間不信になりそうだった。
もちろん、心なんてどこまでが境界線とか、心は白黒で割り切れるものじゃないかもしれないし、「疑うのはいけない」という教えだったとか言い分もわからないわけじゃない。
でもそれは今も変わらないことであって、要は自分の問題と思う。
教えがそうだったというわりに、「皆が言っている」を見ると「ワタシだけじゃなかったんだーーー!!救われました」なんていうのを見ると結局
「当時からオカシイと思っていたけど我慢していた、本当の理由」を問いたくなる。
無症状感染だの無菌室でもない日常でマスクがウイルスを防ぐのを信じているなんて、本心は「センセーに呼吸を合わせましょう」と同じくらい無理やりなくせにと思う。
でも今は沈黙する。
圧倒的多数から擁護されて、温かく迎えてくれる土壌ができたら吠えるわー的な?
今回もいずれ、大勢がワーワーいそいそと「後出し」するんだろうな…