珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

料理サイトなら

2021-06-06 | 趣味の話
好きな料理動画サイトは本当に複数。
華麗な手さばきにうっとりとか、素敵なキッチンでお洒落な食器や調理器具にうっとりとかそういうの見るの大好きなのでね。
でも「見るだけ」が結構多かった。
そんな中で脱帽したのが、ふつうの台所で、ふつうの家庭料理を作る奥薗さんレシピでした。
そのとびぬけた「わかりやすさ」と、プロセスを簡単にする発想に感動( ;∀;)
殆どやってみました。

お洒落な台所や調理器具に憧れるけど、私がしょっちゅう使って手放せないのが、露店で買ったお好み焼きボウル。卵をかき混ぜたりちょっと和え物をしたり使わない日がない。
大さじも小さじもまとめて計れる計量スプーン。
ぐりぐり回して使える、無印のキッチンタイマー。
料理は見るものじゃなくて「実践」ですね。

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なぜ躊躇?

2021-06-06 | コロナ騒動
ワクチン接種が自由というなら、マスクも飲食店の営業も自由である。
酒を呑むのも旅行するのも、自由である。
PCR検査の陽性反応が「新型コロナウイルスに感染者」と、信じるも信じないも自由である。
何が違うの?

信じる人だけがPCR検査をして、その結果をコロナだと思って、マスクをして、家に閉じこもって注射をすればいい。
信じない人は今まで通りの生活をすればいい。

親がコロナ脳だったら、子供は風邪もひいてないのに一歩外にでたらマスクして、修学旅行も運動会も不参加で、変な注射も打たされるかもしれないけど、そういう宗教の2世や、或いは毒親を持った子というものは残念ながら昔からいた。
エホバの家の子はクリスマスもハロウィンも祝えなかったし、神社の鳥居をくぐれなかった子も、輸血できなくて死んだ子もいた。
でもその被害は「親がコロナ脳」の子だけで済んだ。
信じない子供まで付き合わされることはなかった。

今回、この変な宗教を、信じる人だけを集めてをワイワイやるのは勝手だけど、信じない人の家までしつこく襲撃して「結構です。警察呼びますよ」と言っても聞かず、しまいには法律まで変えて強要した罪は重い。
メガトン級に重い。
謝っても反省しても許さない。

この騒動に加担した政治家、役人、学者、マスコミ、医者らは全員、すり替えなく、直ちに国民の前で、努力義務である注射を打ってほしい。
直ちにである。何を躊躇してるの?

それをやらないのを目にしていながら、未だにそれが何故かを、見て見ないふりをしている人、
「ワタシは無症状なだけで人に感染させてはいけない」と信じている自分を「誠実」と思っている人がいるなら、この言葉を贈ります。
人に感染させたら迷惑だからという発想ほどクズなものはありません。科学性のかけらもないのは当たり前、この発想が人を抑圧し制限し、もっとも周りの人に迷惑をかけています。
byうつみん
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役職

2021-06-06 | 思うこと
Sアンチブログでよく見た言葉。
「役職をブン投げよう」
これがネックだったんだなあと思って、私もそれで替え歌を作った。
ランナウェイの最後に「役職投げてランナウェイ♫」

役職ってクセ者だなあと思った。
今、あちこちの自治体が言い始めた「学校に接種しよう」を言い出す知事や市長を見て思う。
このオッサンやオバチャンがもし役職のない「ふつうの人」だったら…

役職というのか肩書というのかわからないけど、人はこれを与えられると別人になる。
「私」に蓋をして「私」を超えて、心にもないことを言いだす。
口では「皆さまのことを心から思って」というけど、それって本心?

ノーマスクならぬノー役職から見たらオカシイでしょ?と思うことが、役職を持った瞬間「なぜ?」とも思わなくなるの?
思っても言えなくなるのだろうか?

私が肩書や地位というものに関心を持ったことがないのは、本能的に本心や自由が奪われるのを知っているからかもしれない。
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