珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

信頼ナシ

2021-06-17 | 日記
母から「今日は本当は二回目のワクチン接種だったけど、一度目で腕が上がらなくなって辛くてたまらなかったから二回目はやめたわ」と電話があった。
「でも会えば『ワクチン打った?』が挨拶変わりの田舎で、自分だけ打たないのは肩身が狭くて罪悪感でいっぱいなの」

肩身が狭くて罪悪感でいっぱいって……ワクチンを他人の眼のために打つような感覚に驚く。
「だってマスクしてなきゃバスにも乗せてもらえないのよ」
そんなJALみたいなことが、田舎の路線バスであるんかい?!
そこまで言うなら、今年は田舎に帰る予定だから、その時ノーマスクでスーパーにも行って、バスにも乗ったるわと思う。
が、そんなことをしても「都会から来てノーマスクでウイルスを撒き散らした」とか更に白い眼で見られるだけである。

つまりは、要は私が、母から「みんな」よりも「世間」よりも「テレビ」よりも信頼されてないということである。
母にとっては、近所のみんなやテレビの方が、普段からはるかに優しく寄り添ってくれているもんね。

騒動が始まってわりとすぐ、ワクチンなど出るずっと前から、私は母に何度も何度もこの件の怪しさは伝えてきた。
でも根本に、18歳から家出同然で出て行った娘に、信頼などまるでないことがしみじみと解かる。
信頼のない説得なんて、なんと無力なものか……
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組織人4

2021-06-17 | 思うこと
組織人の決め台詞
「組織や集団での行動においては、他人に迷惑をかけないという最低限の責任が発生します。役職者はその責任を遂行しただけです」

今回の注射でも「医療従事者は、打っておかないと人に迷惑をかけてしまう。その責任において接種するんです」なんて正義に酔いしれた言い方を聞く。
支配者は、ゆえにそうしない人は無責任で身勝手であり、無責任で身勝手な人は組織にいてもらっては迷惑なゆえ、解雇や除名になっても仕方ない、という理屈に持っていく。

こういう歯が浮くペラペラを聞くと、本気でキッショイんで、容赦なくぶった斬ったるわー( ̄∇ ̄) 

人に自信たっぷりに断言して、強要はするけど、
いざとなったら、
説明がつかないことが起こったら、
思っていた状況が逆転したら、
自分が間違っていたら、
他人に対して責任とれるの?

とらないで逃げるよね?
或いはとりたくても、そんなことは無理で、頭を抱えて後悔するよね?

自分の責任さえとりたがらない人が多い中で、他人の責任なんて誰もとってくれないのでは?
自由とか責任って、相当の覚悟と行動があってのものと私は思う。

私はずっと「自由と責任は一体」と思っている。
単純な話、自由がない組織に、同義語の責任ってあるのだろうか?
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