完全すぎて何一つ反論できない理論とはこういうもの。
本当に「何一つ」💦
今まで「私は絡まったややこしいものを、整理整頓してわかりやすく書くのが好き」なんて調子に乗ったことを言っていたけど、この「今に在る」という究極の分野では、エックハルト・トールさんが圧巻で、完璧すぎて、この異次元の解説の前にはただただ黙って聞くのみ。
だって「殆どの人が理解していない難解な真理」と「それをめっちゃ解りやすく解説」をセットで一人がやってるんですよ?
ふつうは例えばブッダとかキリストの教えというものがあって、他にも難しいことを言ってる哲学者とか心理学者もそうだけど、「それを解りやすく解説する人」が別に何千、何万といる。
でもこの人は教えも、わかりやすい解説も一人で完結する。
(日本が産んだネドじゅんさんも然り)
だから不要なんですよ、それ以外は。
そこが凄くて、知るほどに「それ以外の私なんかが駄文を書いたところで」と思ってしまう。
いやホントに私、この二人の話を聞いて以降、打ちぬかれたというか「あたった」というかヘロヘロになりましたね。
気づけば確かに意識が変わった。
漠然とした不安が消えて、「今まで思っていたワタシ」というものが他人のように興味がなくなって、
世の中に起きることに、正邪みたいな色?のようなものが消えて、
「ただ起こったこと」になって、
でも決して無関心なわけじゃなくて、むしろ強い興味があって、
じゃあどうすべきかということを真摯に探ろうと思うんだけど、それは自分と繋がっている神のようなものに委ねたいという感覚になって、
「繋がっている」というのも別に信じようと力まなくても、それは当たり前のように感じられて、
それから常に「今」に集中することが面白くてしょうがない。
え?私ってこんな集中力あったっけ?と不思議なんだけど、今まで「集中しなさい」言われることって、勉強とか仕事とか何か辛いことだったじゃない?
それを「自転車のペダルをこぐのに集中する」とか「お風呂に入る時にゾーンに入る」とか、誰も言わなかったしょうもないこと?にすると、めちゃくちゃ面白いんですよ😆
これならできると思うし、ゲームみたいで退屈しないし、これで「今に生きる」ということが身体で覚えられる。
個人的な、こんな体験談ならこれからも書くけどね。