私のパソコン机まわりは、それなりに自分の好み、落ち着ける空間にしてある。
といっても写真でお見せできるような豪華なものじゃないけど、小物入れの引き出しと、YAMAHAのスピーカーとクリップライトを置いて、横にある嫁入り前の古いタンスに、ホワイトボードを貼り付けて、気に入った写真や小物を並べている。
日用品と収納オタクの私は、そういう引き出しやホワイドボードに何をどう配置するかを決めるのが好きであるが、それ以上に小物のどれもを、いつ買ったか、誰に貰ったかを全部覚えていて、それが重要だった。
例えば「食い倒れ太郎のチャチハタ」は大阪に行った時、たこ焼きを食べ歩きした街のお土産屋さんで買ったもの。大切な思い出だから大事なものだなあとか。
それが最近は、人形もマグネットも「そのもの」をただただ味わうだけになった。
好きなものとはいえ、100均のものでさえ、まるで美術館の展示品のように色や形やデザインをじっと見ているだけで退屈しない。
別に精霊が宿っているわけじゃないけど(笑)、可愛いものがより可愛く思えるというか。
人形も写真もマグネットも「今」ここにあるのだ。
「いや、何年何月前からあるよ」と理屈や観念を言われても、私の前に現実として「今」あるんだもん😆
キーボードの手を止めて、ただそれらを見る。
可愛さをしみじみと感じる。
それだけで幸せな気分になる。