ウイルス感染症とは仮説から立ち上がったものであり、その後の研究の結果「実は違った」とわかったのにも関わらず、大人の事情により「在ることにしておいた」デタラメであった。
しかしながらこんなことを100万回書いたところで、大人の事情の方がはるかに大事なためにフル無視される。
つまり倒すべきはウイルス学のデタラメではなくて、そんな正論ではなくて「大人の事情の方」では?という気もしてくる。
その大人の諸問題さえ解決されれば、皆こんなしょうもないものあっさりとブン投げるのでは?と。
例えば「ウイルスを信じなかった方がおかしい。そういう教育だったんだから。信じていたアナタはちーーーーっとも悪くないどころか良識の極みだ」という鉄壁の整備ができたら。
撤回したところでプライドは護られ、孤独にもならず、職場やその他の待遇は変わらず、むしろ優遇されて、意地を張る方が損になったら。
要は「痛みを伴わない撤回」「むしろお得な手のひら返し」ができるなら、皆人が変わったように無いを受け入れるんだろうね。
大人はこのくらいチヤホヤされないと生きていけない世話のかかる生物のようで、そういう事情をくんで、やさしく配慮することが近道かもしれない。
しかしながら「ウイルスは無い」にそれがまだ整備されてないんだよね。
受け入れているのは「そんなものいらないよ」という孤高の人ばかり。
こんな漫談みたいなウイルス理論をつくのは簡単。
でも大人の事情にしがみつく人はむずかしい。
もうわかりますね?
そんなウイルスはないので「HPVを予防するための治療薬」が入っているわけがないのです。
「4なないなら絶やすための成分」を入れるんでしょうね。
日本人の種を絶つか、ウイルス感染症というデタラメを絶つかって話ですよ?
「ワタシの可愛いプライドの崩壊ガー」なんてチンケなことじゃなくて、生きるか死ぬかってこういうことを言うのです。
いい加減、立ち上がれニッポン!!