珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
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怒ってはいけないの謎

2024-12-01 | 精神世界
一般に「はいはいスピね」みたいに、スピチュアルを嫌う理由を切り取ると「怒ってはいけない」ってやつじゃないだろうか?
私みたいにそんなことも知らなかったくらい無知なタイプでも、昔(といってもコロナ騒動最中の3年ほど前)、スピ系と呼ばれるインフルエンサーのセミナーに通っている人が
「世の中がどうあれ、私は幸せだから」とか「デモなんて波動が下がることは私はしたくない」
という言葉を聞いて驚いたことがあった。

なんでおかしいことをおかしいと言って抗議しちゃいけないの?
黙ってたらOKと思われるじゃない?
それは自分がたまたま狂った政策をされても、たいした打撃も受けない仕事をしているからじゃないの?
困っている人がいっぱいいるのに、自分さえよければいいの?
いや、こんな反感を買うのをわかってながら言うんだから、それに深い理由ってやつがあるなら知りたいわと、めっちゃ好奇心がわいた。

なのでこの「スピなんか」と言う人たちと摩擦を起こす「怒ってはいけない」という切り取りについて書くと、多分こういうことでは?に挑戦しようと思う。 


私が納得したエックハルト・トール氏やネドじゅんさんの指南書(そのくらいしか知らないけど)では、基本の基本に、
通常ワタシと思っている自意識(個我というのかエゴというのか頭の中で勝手にしゃべり続ける思考)は、本当のワタシではなくて、本当の自分とは魂というべきか神と繋がった生命そのもので、ナリスマシとは別という前提がある。
ざっくりいうと、ニセの自分と本当の自分ということですね。

スピチュアルというのは、この基本を知って聞かないとチンプンカンプンで、事実何もしらなかった私もさっぱりわからなかった。

であるからして、幻のワタシが作り出した、怒りを並べた正義なんてものはエックハルト曰く
エゴというものは恐れと欲望が主な感情であり、多かれ少なかれ「被害者意識」という要素を含んでいる。その根幹は恨みや苦悩とされており、それが強いと中心核になっている人もいる。
例えあなたに恨みを抱く正当な理由があったとしても、自分でアイデンティティをこしらえたことに変わりはなく、それは自分を観念という牢獄に閉じ込めるのと一緒である。
その思考が、結果自分に何をもたらしているか観察してみてください。
犠牲者話に執着するその思いで、話を語らずにはいられない強迫的な傾向に気づいてください。

と一刀両断している。
少なくとも私の知ったスピチュアルというものは、このようにふわふわどころか、はっきりとストレートでキレキレだ。
そして、思考と対極である本当の自分(魂)のもつ威力というものについては
そのような心の状態を観察する人になってください。
観察する側が本当の自分です。
取り立てて何もする必要はなく、気づくだけで充分です。気づくだけで(意識も現実社会も)変容と自由がやってくる。
全意識を今この瞬間に向けると現れる叡智は、あなたの人生を突き動かしはじめる。それはエゴとは比較にならないくらい、物事が効率的で充実感も喜びも無限大に拡大する。

と、じゃあデモも批判も怒りもしないから何もしないのではなくて、その代わりにアイデンティティというニセの自分を押さえて、叡智と繋がる「今」に没頭するのだと言っている。

「怒ってはいけない」という切り取りだと偽善に聞こえるけど、それは言葉足らずであり、実際はナリスマシの主張に従う非効率より、比較にならない生き方があるからそっちの方を選んだ方がいいよと、そういうことですね。

私が知らないだけかもしれないけど、この「怒ってはいけないVSスピにハマった」の分断を解きほぐす、わかりやすい解説がなかなかないので書いてみた。
個人的には、やっと意味がわかって満足。 
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2 コメント

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Unknown ()
2024-12-01 18:06:34
怒ってはいけないというより、怒って文句を並べても現実は変わらない。
変えたいならもっと効率的なことをすべしということでしょうね。
効率的…私はこれに魅かれるのよ。
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Unknown ()
2024-12-01 22:42:40
意識を今に向ける。
そのために身体に意識を向けて、自分ではないニセの思考を止めると、本当に自分に変容が起きてくるので、これは否定できないですね。
これはどう受け入れればいいのか、社会の問題とどう折り合いをつければいいのか、私はまださぐっている感じだけど、一つだけわかったことがあります。
世の中に批判という声を上げて闘うと、確かに成果みたいなものが得られるけど、それはキリがないんです。次から次へと新しい問題が起こるので。
だから限界があるんですよ。楽しいかというとそれも違うし。
まだまだ興味は続きます。
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