もう40年も前の、ベンジャミン・リベット教授の実験の話。
例えば「水を飲みたい」と思ってコップを手に取った時、なんとコップを取る筋肉の動きの方が脳が「飲もう」としている意思決定より早い。
え?コップを取ろうとする意思が先にあって、であるから次にコップを取る筋肉が動くんじゃないの?と思うよね。
最近、ナオキマンショーなどにも出演されているさとうみつろうさんが、この不可解な事象について、なんとかわかりやすく解説されていたんだけど(男の説明ってやっぱ難しいわ)、私はこれもネドじゅんさんの説明で納得した。
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ワタシ(と思っている個の意識)が、何か動作をしようと意識を決定をする前に、脳からその準備の電気信号が確認されている。
てことは、その準備してるのは誰?誰やねんってことになる。
つまり、ワタシの意思と思っている「個の切り出された意識」じゃない、別の誰かがいるんだけど、でも「切り出された個のワタシ」は一切が自分しかいない、自分が全てと思ってるから、こういう話を聞くと混乱してしまう。
誰?誰やねん?は主張せず、意思も行動も敢えてワタシ(個の意識)が単独でやっているように思わせてるけど…
ちなみにオカンのこのnote記事は、朝起きると「これを書け」と、誰やねん?から降ろされたものを必死で絵と文にしたそうで。
私も誰やねん?とひっつきたくて、日夜ストーカーしてる日々である😆
なるほど。
私はこれが納得できたんです。
無意識と言われる、「無」と言われるゆえわからない、見えないそれは何と繋がっているのか?
わからないけど、「ワタシ」と意識していたものは小さくなって今は「わからない誰やねん?」に委ねています。それを探っています。
そうすると何故か幸せな感覚になるのは事実です。
だから面白いと思ったんです。
世の中の動向より面白いので、バランスとってます。
https://note.com/nedo_jun/n/n4c09d1e835e5
こういう精神世界的な話?スピチュアル的な話?というと、現実に目を向けてみたいに思う人がいるかもしれないけど、逆でむしろ世の中を変えたいなら私はあこっちの方が速いんじゃないかと思うくらいですよ。
ちゃんと両方わかってないとダメだよね。
もう私は「この世の仕組み」を語る時、歴史や経済だけじゃなくて意識の世界を知らない人は信用しないくらい。
国語算数理解社会と、わざと教えなかった生命の正体?というものを知らなければ。