珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

梅酒作り

2018-06-05 | 趣味の話
今年も作りましたで~♫
8Lの瓶(1800mlの果実酒パック×2が入る)を4つ!!



なんでこんな大量生産かっていうと、去年同じ量だけ作ったのに、贈答用に用意したうち2瓶を見事に割ってしまったんです。
去年作ったのはそんなわけでもうこれっきりしかないo(T^T)o



さて使うお酒は一般にホワイトリカーが知られていますが、私はブランデーの方が好きで、今年も3つはブランデーを使いました。
度数の高い泡盛や日本酒を使う通の方もおられますが、私はどの日本酒がいいのかなど知らないので、ふつうのスーパーでパックで売っている果実酒用で作ります。

で、梅とお酒と砂糖の配分なんですが、瓶を買うと一般にこんな目安表がついています。


がしかし、この砂糖の分量では甘い。
甘すぎと私は思います。
だいたいマニュアルには、甘さを控えようと砂糖を減らすと梅のエキスが出ないなんて書いてありますが、
この半分の量でも出ます。充分甘い。
梅1キロ
酒1800ml(1パック)
氷砂糖250g
の配分で私は作ります。


写真は
梅2キロ
酒3600ml(2パック)
氷砂糖500g

※瓶は8Lサイズ

★作り方
瓶は熱湯消毒してよく乾かす。

梅のヘソを竹串か爪楊枝でとる。

梅を洗って水分を拭きとる。(キッチンペーパーを敷いて並べておくとすぐ乾きます)

瓶に梅と氷砂糖を入れ、最後にお酒をドボドボと注ぐ。(これが楽しい!)

最初の1カ月くらいは、時々瓶を振って砂糖をうまく混ぜるとよい。


棚の中や床下などに保存する。
3,4ヵ月くらいから飲めるけどそこはガマン。
最低半年、できれば1年は待ってください。
写真の透明なホワイトリカーも、いい琥珀色になります。
1年たったら小瓶に移して冷蔵庫へ。(梅はとってOK)
梅酒は何年も持ちます。
冷蔵庫にいれておけばキンキンに冷えますが、オンザロックがまた美味しいかな。
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忘れるに限る!

2018-06-04 | 思うこと
書く人間の性のようなものかもしれないけど、嫌なことは書いてすっきりしたい。
書かずにいられるか!!と思う。
でも実際に書いてすっきりするかというと、私の場合は書くことで輪郭も色濃く明確に尚鮮やかになって、不快感は鉛玉のようにいつまでも居座り続ける。

以前、娘の事件の加害者の刑事裁判の時に、私は出席しなかったが、裁判官の心象に作用するように「被害者の心情を訴える文章」を書かされたことがあった。

それは加害者の刑罰に影響することだから、刑を重く望む被害者の立場としては、当然訴えた方がよい。
言われるままレポート用紙二枚分くらいの、被害者の苦しい胸のうちを書くことになった。
しかし、これが……一言でいうとめちゃくちゃ苦しいのである。
心が波立った。
書くほどに怒りがこみあげて、それにやられてしまった。

これは加害者の両親を前に、思いを話す場でもそうだった。
弁護士さんと二人だけの時なら、非常に冷静で冗談すら出てくる余裕があったのに、いざ一点集中して思いを話すとなった時、自分でも驚くくらい取り乱してしまって、冷静な言葉なんか出てこなかった。

言いたいことを言って、書きたいことを存分に書いてください。
あなたのいうことはもっともです。
何の遠慮が要りますか?
さあ!

という完璧なお膳立てされていながら、それがちっとも快感じゃない不思議。

怒りというものを「強く執着させる」ということは、こんなに苦しいのかと思った。
苦痛以外の何ものでもない。
苦しさのあまり、これから解放されるならすべてを許したいと思ったほどである。

怒りというのはそういう性質のものと思う。
100万個の言い訳をしてもそうである。

こんな経験をしながら人間は忘れてしまう生き物だけど、嫌なことはすっかり忘れてしまうに限る。
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ネットにまつわるあれこれ5

2018-06-04 | ネットにまつわるあれこれ
以前、ブログのコメントで
「刺激が足りなくてつまらない。誰かもっと刺激的な話を書き込んでくれよ」
という書き込みを見た。

刺激的な書き込みが欲しい?
そんなことは簡単である。
その辺のたいしたことない話を、文章次第でいくらでも「退屈」にも「刺激的」にもできるさ。

例えば
「過去に私は思いこみが激しくて、周りに流されました」
という、ただこのような事実を
「自分はクズだった。どうしようもないクズだった…笑ってくれよ」
なんてドラマチックに書けば、人は引きこまれる。

「驚きました」「落ち込みました」を
「滂沱の涙が止まらない…二度と思い出したくないあの頃…」
なんて浪花節にすればジワッと感倍増。

ネットの手がかりは文章のみである。
安易に人を「大天才」などと形容する人は、落とす人はまるで犯罪者のように誇張する。
そんな「文章の癖」というものがあることを知っておくのも、ネットの付き合い方の一つ。

「ありのまま」がいちばんだと思うけどね。
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体力勝負の頃

2018-06-03 | 娘と夫の話
子どもが生まれていちばん大変だった頃、夫の仕事も猛烈に忙しかった。
二人とも、毎日ほぼほぼ寝ていなかった。
双方とも実家が遠かったため、子育ては若くもない「寝てない二人」の肩にのしかかった。

もう何日かな?というほど、朝から晩まで一人で子どもと向き合ってヘロヘロになって、指折り数えた夫の休みがきても、彼もほとんど寝ていない。
手伝うどころか開口一番「寝させてくれ」となる。

私だって寝たいわーーーーー!!

晴天に恵まれたゴールデンウイークの、全ての日が母子二人きりの年に、大きな公園に行った。
子どもを肩車しているお父さんを尻目にやけくそでボートを漕ぎながら思った。
「これで将来グレたらぶっとばす!!」

子育てに、私は脳ミソなんか使わなかった。
使ったのは体力のみ。
毎日毎日、校庭を何十周も走らせてるようで「あと何周?」ということ以外、何も頭は動かなかった。
疲れ切って眠りに落ちてもすぐ朝がきた。

あの頃に比べたら、ちゃんと眠れて、考えられて、書く時間があるなんて嬉しくてたまず、反抗期なんてゲームみたいもんだとニヤニヤしてしまう。
苦労もするものかもしれないと思う。
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今さらの話

2018-06-03 | 日記
宵っ張りの娘に「脳を効率よく働かせるには、しっかり睡眠をとって目覚めた朝から午前中だ」と言ったら猛然と反発された。
「そんなの人によるよ」

「いや、そうじゃなくて、人体は誰でもそんなふうにできている」と言ったら不機嫌がマックスになった。
事実を言っているだけなのに怒られる、この理不尽よ。
彼女が今夢中でやりたいことは、母親への反発なのである。
大好きな夜更かしなのである。

かつて、こういう人を「理解させよう」として躍起になったことがあった。
「理解できないのは、説明が下手だから」
「興味をもつように工夫していないから」
「わかりやすく言えば絶対わかる」

百万回でも言いたい。
思いあがっていたと思う。
そうではない。


こうだ!と言い張る人の心を、他人はまず変えられない。(やったらそれって「脅し」を使う洗脳ってやつでは?)
とてつもない時間と、労力と消耗を引き換えにしても難しい。
変えられるのは「自分の心」だけ。

世の中の様々な人の説法に、人の心を変える力なんてない。
あったら見てみたい。
解りやすかろうが、読みやすかろうが、人は他人の心は変えられない。
それは人の心を変えているのではなくて、自分が気づいた時、初めて入ってきているだけのことである。
そういうものなら山ほど用意され、存在する。

当たり前すぎて「何を今さら?」ということを、今さら書いてみた。
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ネットにない声(改定)

2018-06-02 | 思うこと
度々書いているが「感覚の鋭い人」というのがいる。
そういう人は「本を読んだから」とか「誰かに教わったから」ではなくてふつうに生きて、周りをみて、感じているだけで、小難しく体系的に論じているそれらがわかってしまう。

でもそういう人は、それを文字に起こして語ったりしない。
「わかってしまう」代わりに、書いたり発信するとが苦手だったり、興味がなかったりするからである。

私は一時期、情報の宝庫であるインターネットを読んで「目覚める人」がすべてのように錯覚していたことがあった。
ああネットさえ見れば…

逆にいえば
「読んだらわかる」
「読まなければわからない」
「わかりやすく書けばいい」
と思っていた。

そんなもの「読まなくても感覚的にわかる」人がいる。
なぜ読まなくてもわかるのか?
そういう人は何を思っているのか?

ネットを含め、メディアっていうものは「書いて発信したい人」の巣窟と思う。

人ってそれだけじゃないのに。
膨大な多種多様な声を読んでいるようで、実はそういう偏った声しか拾っていなんだなあと、時々思う。
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自分次第を考える

2018-06-01 | 思うこと
人ではなく、自分次第。

これは最近、よく考える言葉である。
同じ人間が、ただの紙きれに人生を賭ける勢いかと思ったら、次は破り捨てるものになったりする。
ふつうのおばちゃんが、命の恩人に思えたり、ゾンビに見えたりも然り。
ということは、その「ままただの紙きれ」「ふつうのおばちゃん」となって、拝むでも燃やすでもなく、何も感じず見ることもできるということである。
あら不思議。
「紙きれ」も「おばちゃん」も、なーーーんにも変わっていないのに。
変わったのは自分である。

娘はとんでもない通り魔事件に遭いながら、犯人の悪口をただの一度も言わなかった。
事件直後も、その後も、愚痴も恐怖も口にしなかった。
そして信じられない速さでケロッと「無関心」になった。

「どうでもいいと」


事件の詳細は書けないが、現場は数百メートルに渡り規制線が引かれて、数十人の捜査関係者でごったがえしていた。
警察車両が何台も止まっていて、娘はその中の一台に毛布にくるまれて、女性警察官に付き添われていた。
全身血まみれであった。
そんな事件に遭いながらである。

こういう事件を「社会の闇」と思い、相手を更生させようとか犯罪を撲滅させようと必死になっても、長い年月と忍耐と労力とストレスをかけて戦った末に、できるかどうかも定かじゃない。
一人を更生させたところで、おそらくそんなものは次々と出てくる。

しかし自分がケロッと思う方は、ずっと早くて簡単なのである。
この世に「闇とか根深いもの」があるとしたら、それに執着する心ではないのか。

くだらないものを「吹けば飛ぶ紙クズみたいもの」と思うか、「深い闇」だの「毒」だのと感じるか、それは自分次第。
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学校事情

2018-06-01 | 娘と夫の話
予想に反して、お弁当作りが楽しい。
娘が友達から、日替わりで変える弁当箱を「可愛いね」と言われたと聞いてガッツポーズである。
「ね、そうでしょ!それから他には?」
私的にはランチクロスも、一枚一枚真剣に選んでいるのだが。

「別に。ありがとうと言って終わり。
「ああ、この間卵焼きをあげたんだけど、何も言われなかった。うちのは甘くないからきっとまずかったんだよ。やめとけばよかった」
毎度毎度その冷めた返事は何とかならないものか。

「皆はどういうお弁当持ってくるの?」
「だいたい二段弁当。冷やし中華とかオムライスの子もいる」

「冷やし中華!!それは思いつかなかった」
私も、発想をとばさなければ!と今日はお好み焼きを入れてみた。
どんな冷めたリアクションが来るのか楽しみである。

この娘、子どもの癖になかなか動じず、給食袋に帽子じゃなくて間違えてパンツが入っていても無言で袋を閉めるタイプである。
友達とギャグにすれば人気者になれるかもしれないのに。(冷たい目で、なれるわけないでしょ!と言われたけど)

「先生はどんな感じ?」
「うーん…国語はプリンセス、理科はチャラ男、社会はオネエ…」
「何それ、あだ名?皆がそう言ってるの?」
「ううん、心で勝手に思ってる」
書くとネタになりそうなのに、それ以上は詳しくは教えてくれない。
しかし、この冷めた娘になぜか唯一受けたのが、私が小六の時の担任の話である。

くしゃみってまあ「ハクション!!」っていわれるけど、担任の名字がこれと音の似た発音で、クラスの男子がくしゃみをする時、その名を呼びながらくしゃみしていた。
この話が大うけで、彼女は以来くしゃみをする時、その名を叫ぶ。
あれから何十年もたってこんなところで再びいじられてるとは、担任はまさか思うまい(笑)
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