珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

親子問題

2019-01-19 | 思うこと
私の祖母は、若くして未亡人になって、40代で田舎から単身で上京した挙句、バリバリ働いて家一軒建てたようなツワモノであった。
でも学があったわけじゃなくて勉強は大嫌い。
学生時代はバレーボールのキャプテンをしていた。
負けん気と楽観性は、母ではなく私が受けついだのかなと思う。

私の母親はおとなしくて引っ込み思案なタイプだから、祖母の気性とは合わなかったと思う。
「無理やりお見合いさせられた」
「強制なんかしてない」
「いや、断れない立場ってある…」
どこかで聞いたのとソックリな言い合いや愚痴を、果てしなく聞かされた私は、この手の話が本当に苦手である。

私が見てきた限り、宗教問題もややこしいけど、親子関係がこじれるのはもっと面倒くさくて根深いと思う。

どうしたらもっとラクな生き方ができるのだろう。
もっと簡単な考え方があるのでは?

私も勉強が嫌いだったけど、これだけは自然と、どんな思想や教えより身につけたいと思った。
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似た者同士

2019-01-19 | S教団関係
Sの会員は、
辞めたくても簡単に辞められない。
辞めるのは自由だし、放といてほしいのに「地獄に堕ちる」と脅してくる、酷い人たちだという。
しつこく狙われて訪問されたり、泣かれたりする。

でも辞めた人も同じ。
残るのは自由だし、放といてほしいのに「骨までしゃぶられるよ」とやっぱり脅しにかかる。
しつこくしつこく、これでもかとネットに書く。

双方が「放といてほしい」「脅さないでほしい」「それがすごく嫌だ」と言いながら
双方が「放とかず」「脅し」をかける。
そして双方が
「これが脅しや悪口に聞こえるんでしょうかね?
不幸になるのを放とけというんですか?
みすみす見ていられないでしょう?
なぜそれがわからないのかな。あーあ、でもわからないんでしょうねえ」と言う。

悩ましい問題である。
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反抗期の考察

2019-01-18 | 娘と夫の話
私は…
物分かりのいい、ガミガミと説教のしない、昔と今を比較しない柔らかい頭をもった母親になる自信があり、
欲しいものもハナからダメと言わずそれなりに買ってあげる、広い心と経済力をもった、
故に、子どもが年頃になっても、尊敬こそされ反抗などされない母親

になる予定だった。(机ドーン!!)
明確なイメージトレーニング(妄想)も完璧だった。

なんで狂ったんだろうか( ̄_ ̄ i)????

おかしい。
ミステリーだ…
育児書にも聖書にも法華経にも書いてないぞ。

娘は私のいうことに10回中9回
「嫌だ」という。
鮮やかに断る。
その断りっぷりが見事である。

私がこうした方がいう価値観と、彼女がこうしたいと思う価値観がちがうようである。
ただ、嫌なことはガマンせず、あっさり断るという価値観だけは同じなようである。
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ネットにまつわるあれこれ26

2019-01-18 | ネットにまつわるあれこれ
マスコミってくだらない規制や圧力があって、自由にモノが言えない。
その点ネットは
自由に発言できるんだよね。

魅力的で、説得力があって、まるで反論の余地がない言葉に聞こえたさ。

だけどね。
反面、「自由」の意味が少し変わってしまったのだろうか。

自由=責任をもたせて
と言える厳しさが、本来の自由だったはずが、
好き勝手言ってバックれられる気楽さ=自由とでも?

自由も甘ったるく、気安くなったもんだ。





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短歌の話

2019-01-17 | 娘と夫の話
娘が生まれた時、友人から可愛らしい手編みのおくるみをプレゼントされた。
感激した。
買ったものではない、手作りのものを私も娘に贈りたいと思ったけど、そんな器用なことできないしなあ。
考えた挙句、祖母が趣味だった短歌を私もつくって贈ろうと思った。
調子に乗って新聞に投稿してみたら、あっさり落とされた下手な歌をここでは紹介できないが、祖母に色紙でそれを筆で清書してもらった。

毎日しょうもない散文は書いているけど、思いを「歌」にしたのは人生では今のところこれっきり。
産後鬱ならぬ、相当なハイだったようである。

余計な言葉を切り捨てて情景だけを書く。
そこに、うれしいも悲しいも、優しさも毒舌も自在に込められる歌人ってすごいと思う。

書くほどに、私は
余計なことが書きたいんだなあとつくづく思うわ( ̄▽ ̄;)



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憎さ余って

2019-01-16 | S教団関係
過剰に批判をしている人ほど、過去は強信者だった。
散々入れ込んで覚めてしまった結果、Sへのアンチ心もまた過剰かもしれない。
それはいいとして、では次にやってくるのは何かというと、けなしすぎたSが好きになるのである。
嘘じゃない。
「それなしではいられなくなる」

望み通り、Sも衰退して、おとなしくなって、もはや書くほどのものでもなくなると落ち着かなくなる。
昔の話をもってきたり、話を盛ってでも叩きたくなる。

当時は、活舌のわるさから殆ど何言ってるか解らない人の話を、大半は欠伸を噛んで見ていたりした。
話長いなあ。足もしびれるし早く終わらないかなあと思っていた。
実際はそんなもんだった。
でも、アンチコメントには「MCされたロボットのように聞き入っていた」なんて書かれたりする。
そんな文章を何度も読み書きしているうちに、記憶はそうだったように上書きされる。

本当はそれほどでもなかったことが、いつの間にか、

あれもこれも取返しのつかない、根深い不幸 のように増幅される。

愛憎はコインの裏表。

本来はつまらないことは、さっさと忘れたいもの。
でも嫌いになりすぎると「あなた無しではいられない」
匙加減にご用心。
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家を継ぐ?

2019-01-16 | 思うこと
私の母親は、男のいない本家の長女しての立場から、否が応でも「先祖代々続いた本家を継ぐ」という任務を課せられた。

好きな人がいなくても家を継ぐために、絶対に結婚しなければならなかった。
宇宙法則のように死守しなければならない絶対的な決まり事として、それは信じられていたのである。

そうやって、恋愛もしていないのに養子をとって、愚痴と嘆きの中で、子どもが生まれた結果。
二人の男は結婚せず、女(私)は嫁に行った。
そこまでしてこだわった「家」なんて簡単に絶えた。

私はそれでいいと思っている。
母も今はそう思っている。
結婚するのもしないも、離婚するのも、子どもを産む産まないも自由と思う。

私は結婚して子どもを産んだ。
「何かのため」でもノルマでもなく、やりたいことがそれだった。
それは生物学的に命のリレーであって、連鎖と思う。
揺るぎない自然の法則と思う。

そして、母にとって唯一の血のつながった孫に対して、「しょせん外孫じゃない」と言った親戚がいた。
自然界と比べて、人間の価値感ってよくわからないなあと思った。
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夫のボヤキ3

2019-01-15 | 娘と夫の話
先日、私がうっかりして財布を置き忘れたことを、夫が職場で言ったら、
「大丈夫だよ。そういうのは7割戻ってくるっていうよ」
と慰められたそうである。
だがそう言った二人は、普段
「もし、道端にお金や財布が落ちていたら自分は『ああこれは神様からのプレゼントだ!!』と思って有難く貰うね」
と豪語していたそうである。

「そういう奴が7割戻るとか平気で言うんだよ。何なんだよ?
わかるか?俺はそんな奴らと仕事してるんだよ。嫌になるんだよ」


子どもが生まれる前の話だから、もう10年以上前の話だが、夫が仕事で行った宿泊先で財布を盗まれたことがあった。
彼は私と違ってうっかりなどしないタイプの人であるから、周到にやられたとしか思えなかった。
長く続いたロケの最終日のことで、お金はしょうがないにしても、財布に自宅の鍵が入っていた。
昼過ぎに自宅に戻れる予定がそんなわけで、急きょ私が会社を早退することになったのでよく覚えている。
仕事仲間同士でこんなことがあるんだと、つまらない気分になった。


知ったかぶりして、なんや解説言いたがる人は多い。
でも、そんな知識だかデータなんか知ったことじゃないんだよね。

自分はどうなん?
ただこれだけでしょ?
 

自分の思いから湧く、自分の言葉を持たないで、知識をふりまわす人。

パートナーのスマホを覗く人も7割と聞いた。

7割とか知らんがなーーー!!

何割かなんて知ったことではないけど、自分なら100%しない。
それでいいではないか?

それが「自分の言葉」と思う。
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ストーカー気質

2019-01-15 | 思うこと
トーカー気質というものがあるそうである。

常に相手を掌握していないと気が済まず、「今どこにいる」「何している」「何を考えている」と隈なくチェック。
恋愛関係なら、相手のメール履歴まで嗅ぎまわるほど嫉妬深い。
妄想癖が強すぎて、よく知らないことまで洞察に洞察を重ねて、まるで見たように思いこむ。
同じことをいつまでも言うのが好き。

まあ面倒くさいタイプですね。
こんなことされたら家族でも鬱陶しい。

子どもの学校からのプリントもろくすっぽ見ないし、記憶の限り夫に妄想など働かせたこともない私は「欠けてる」のかもしれないが、ストーカー気質の母も妻もシンドイだろうなあとい言い訳してみたりする。





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祈り

2019-01-14 | S教団関係
私は長い間、祈るということを欠かさない生活をしてきた。
活動というより、私にとってSとは「祈り」そのものだったし、その時の気持ちはホンモノ。
誰も知らない、見てない、見せるものではない、そこにポーズなんかあり得なかった。

体験としていろんな祈りは「通じた」と思う。
曼荼羅にではない。何かに通じたと思う。
よく「騙せれていただけ。ふつうに起こった出来事を、護られただの功徳だと、こじつけただけ」
という言い方をするけど、今思うとそれもちょっと違うなあと思う。
祈ることは間違いなく「力になって」「支えになって」「何か」に作用したと思う。

たまたま「これしかない」という特定のものを信じる気持ちがあったから「純粋に信じる」とか「一心に祈る」とかいう気持ちはとても強くもてた。
曼荼羅や教えがホンモノとかデタラメとかは関係なく、祈りがホンモノだった。
そのホンモノは、うまく言えないが間違いなく「通じた」「力になった」

祈る対象物に正邪があるんじゃない。
祈った気持ちがホンモノだったかどうか。

私はそう思う。
「祈った気持ちは心からのもの。それは否定しない」という人は私はすごくわかる。

「宗教に正邪がある」は「これしかない」という強い信を生むには、いい言葉と思う。
私はこの言葉のおかげで、純粋で強い祈りを持つことができた。

偉い先生や教科書にはいろんなことが書いてあるのかもしれない。
でもそれはどうしても、私の心には入ってこなかった。

「宗教に正邪がある」
強い「信」と「祈り」を生むにはいい言葉。
でも実際に
そんなものはないとわかったのが、純粋に祈った私の答えだった。
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後出しジャンケン2

2019-01-13 | S教団関係
偉い人が言ってるから。皆が言ってるから。本に書いてあるから。空気を乱すから。タイミングがあるから。どうせ解かってもらえないから…
ずっと黙っていて、何年かして当時は想像もできなかった圧倒的多数が言い出して、擁護もお仲間もいっぱい集まってから後出しジャンケンで威勢よく
「私もずっとそう思ってました!!」

そんな人はいっぱい見た。
だってそんな中で、じゃあ一人だけ最初に言ったなら。

そういう人に、残った圧倒的多数がどんな酷い罵倒をし出したか。
集団心理に乗せられて団子になって、会ったこともない人の人格否定を噂しては吊るしあげた。
会ったこともないのに、偉い人や、こんなにたくさんの人や、あの人もこの人も言うからそうなんだと思った。
「人として生きていけないようにしろ」
「追い詰めて追い詰めろ」
なんて言葉も「一人じゃないと」何も思わなかったし、すぐに忘れた。
だって偉い人や、こんなにたくさんの人や、あの人もこの人もしてるから。

それを見てほくそ笑んだ人。
そういう人に簡単に操られた大勢の人たち。

でも何年かしたらそれも
「私は絶対おかしいと思ってたんだけど…」
「あり得ない」
また後出しジャンケン。
こんなことは、何度でもくりかえされる。

私は教科書にも載っているお坊さんが言ったとされる、ある言葉がわからない。
酷いこと言うな~としか思えない。
いつか「後出しジャンケン」になる前に言いたいだけである。
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スーパーにて

2019-01-12 | 日記
夕方にスーパーに行って会計をしたが最後、財布が消えてしまった。
気づいたのは深夜の一時。
カバンに財布が入っていなかった。

事情があって、いつもは持たない大金が入っていた。
メインバンクのキャッシュカードや諸々もである。

夫に言ったら当然注意された。
が、ヒステリックに怒るようなことはせず、どちらかというと慰めてくれた。

「多分戻らないと思うけどそれは諦めて元気出せよ。でもいろんな手続きはちゃんとやれよ」

こういう時の冷静さというか、寛容さは私にはないところである。
いつぞや夫がオービスに捕まって罰金が請求された時は、私はそんな寛容さは持てなかった。
眠れない頭で寛容について考えた次第である。

そして財布であるが、深夜に駆け込んだ交番に届けはなく、諦めていたところに、スーパーに無事に保管されていた。(レジの後、レジに置き忘れていた)

書いておきたいことは以下二つ。

日本はすばらしい国である。
捨てたもんじゃないo(T^T)o

私を「ふつうじゃない感性」と仰る方がいるが、夫に言わせると「ふつうじゃなく抜けている」からだそうである。
価値観が変わるというのは、痛みを引き受けることを伴う。
私は痛みが「ふつうより」多いようである。
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叩き方、叩かれ方講座

2019-01-11 | 思うこと
何を言っても万年変わらず、そこからピクリとも動かない人を見ると「なんで気づかないの?」「思考停止だね」
あっさり受け入れると「手の平返し」「前のは何だったの?」

「自分で気づくしかない」「人は他人を変えられない」けど
「マインドコントロールは人から簡単にされる」

そうだなあと思う意見は「スカッとする説得」で、気に入らない意見は「攻撃」

賛否とはそういうもの。
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閑話休題(ラザリスさん)Lady Gaga - Always Remember Us This Way ( Lyrics Video )

2019-01-11 | 閑話休題
Lady Gaga - Always Remember Us This Way ( Lyrics Video )



この映画、正月休みに観てきました。
楽曲が全て素晴らしいです。
音楽好きの方には是非観ていただきたいです。





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やってみたけど(笑)

2019-01-11 | 日記
結婚当時の一時期、夫は「亭主関白」ってやつに憧れて、私は「かいがいしく夫に尽くす妻」というものいにキラキラと憧れた。
青春という脳細胞の仕業だろうか(笑)、若い時というのはともかくチャレンジャーである。

夫は例えば「牛乳」と言われてテーブルに牛乳を出したら
「ちゃんとコップにつげよ」
と言った。
私は
「は?!自分でやれば?」
と思いながら、そんなものかとやってみたりした。
部屋のカーテンを勝手に決められて、ぶら下げられもした。
私はその理解不能な趣味に、しおらしく微笑んで耐えてみたりもした。

結果、ほどなくそれは消滅した。
二人とも違和感満載であった。
私は指示を待ってから行動するタイプじゃないし、夫は口やかましく言ってリードするタイプじゃない。

カーテンは変えられ、自分のことは自分でするようになった。

以降、話し合ったわけではないけど、私があれこれと思いついては即行動して、夫がラクチンそうに「任せる」というスタイルになった。

どんなステキな理想やマニュアルがあっても、心から自分の欲するものでない限り、それは「借り物」であり「偽物」と思う。
「何か」を埋めるべく、ポーズだけとって「自分はこんな生き方をしています」

 何であれ、こんなことをしているといずれぶち壊したくなると思う。

でも、ぶち壊してからが新たな人生、なーんて大袈裟に言うほどのもんでもなくて、
やってみなければわからない。
やってみたからこそわかることもある。


こんなことは、ごくありふれたこと。
じゃんじゃんやればいいことだとは思うけどね。



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