珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

ネットにまつわるあれこれ33

2019-05-04 | ネットにまつわるあれこれ
最近ロム専している掲示板で、芝居がかったクサイ一文を読んだ。
読むほどにツッコみどこが満載で吹いた。
もちろんそんなことは心の中だけど「嘘つけー」と思った。

昔はこういうことにものすごくカチンときたけど、今は笑って流すことができるようになった。
進歩や。

アンチなものには「言わないと調子に乗ってしまう」「だから生き延びてしまった」と思っていた。
だから闘ってでも言わなきゃと思った。
今はぜひ調子に乗って
もっともっと暴走してほしいと思う。
注意を知恵にして、巧みに修正してほしくない。
放といた方が、皆もわかりやすくて気づくんだよね。

進歩?
いやいや、そんな正義感もなくなって意地悪くなったのよ( ̄∇ ̄)
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カテゴリー

2019-05-03 | 思うこと
人に言える私の唯一の取り柄は、何でも食べられることと思う。
何系とかカテゴリーとか、国境も垣根も因縁もない。
「何でも」と「食べられる」の間に美味しくが入る、頑健な食欲と胃袋と歯を持つ私とデートしたい人は(いないけどw)食事処に迷わなくてよい。
食物は皆兄弟。一日一膳\(^▽^)/

偏食で食べ残しが多い娘は、それに文句を言う私に「心が狭い」と言う。
私は心が広ければ何でも食べるだろうとボヤく。
いつか決着をつけたいテーマである。

そのせいか無関係か知らないけど(たぶん無関係)、私はカテゴリー、区別、差別、ランク付けみたいなものが一般に苦手である。

これが好きというと、ああ何系ね。
(生死観にまつわる本を読むと「あースピ系ね~」みたいな?)
誰を支援するというと、ああ「こっちね」
何か一言いうと「アイツってこれか」と、カテゴリー分けをしたがる人がいるけど、
そんなもん知らん!!
と言いたい人も結構いるんじゃないかな。

なんだかめんどくさいんだよね、そういう人。
(そういう人のカテゴリーもわかりませんけど(笑))
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知識はあっても

2019-05-03 | 思うこと
最近はいわゆる観光地へいくと、日本語でも英語でもない言葉をよく聞く。
それ用の文字案内表記も見る。
「ほとんどがそれ」でびっくりすることもあるくらい。

一度レジで会計していたら、まだお釣りを受け取っている最中に後ろかからドンと荷物を置かれたことがあった。
スペースはもう空いているんだから荷物くらい置いたっていいでしょ?という感覚だろうか。
こんな経験は初めてなので振り返ったら日本人ではなかった。
こういうのは個人の感覚なのか、お国柄なのかな?

私がカチンとくるのは気づかいやマナーである。
思想や文化や歴史観は正直、理解できるというか譲れるというか、しょうがないと思っている。
そういう教育を受けてきたというか、それは「知識」だからである。

でも気づかいやモラルというのは、自分で選ぶ感覚と思う。
音楽でも絵でも料理でも、道の歩き方や言葉使い一つでも。
これが鈍いのは、人のせいにしたくない、自分で芽生えて感じて選んで掴む個人のセンスでは。

何万冊の本やネット記事を読んで知識に明け暮れても、もてない人はもてないこの感覚というもの。
思想がどうあれこの感覚が違う人が、私にはよほど尊重は難しい。
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息抜き

2019-05-02 | 娘と夫の話
「毒親のせいで」とか「こんなふうに育てられた」とか「幼少からすりこまれて」というセリフをよく聞くけれど、子どもってそんなに親から影響されるものだろうか?
私の言うことなど右から左に通過しているように見える娘を見るにつけ、子どもがそんなに思った通りになるものかと不思議である。

将来、「親のお陰」と感謝はいらないけど、「親のせいと恨まれない」をハードルにしている私には、そこそこ聞き流してくれた方が気楽と思っているが。

今日はここ最近の親子バトルを水に流すために、湘南方面に遊びにいった。
連休は混んで道中時間をとるものの、その分会話に時間がとれて、久しぶりの外食と買い物を楽しんだ。

ちなみに夫は仕事。
まだ洋服などより、人形やぬいぐるみを喜ぶので予算が助かる( ;∀;)




より
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なぜというなら

2019-05-01 | S教団関係
もう何年も前だけど、人気アンチブログによく投稿していた時、私はシンパの人がなぜここを読んでまでもシンパであり続けるのかさっぱりわからなかった。

読んでないならわかるけど、ここを読んで説得されないなんて一体なんで?
何考えてるの?

その理由が知りたくてシンパの人と話してみたいと思ったし、或はそんな人がきて管理人さんと対話するのが興味深かった。
が、今は全く思わない。
どこまでいっても違う考え方はある。
それは「なぜ?」といっても、春の次に夏がくるようにそういうものとしか言えない。
そしてそれは、どう説得しようが解きほぐそうが変わらないからである。

更に「有意義に対話しましょう」とか「意見交換しましょう」などと言いながら
相手を否定することしか考えてないのもよーーーーーーーーーーくわかるからである。

自分は否定されたくないし、どんなに否定されたところで反論するだけ。
だけど相手は否定したい。
そんな人同士が懲りも飽きもせずに、相変わらず言い合いをするのは一体なんで?
何考えてるの?

今の疑問はむしろそれだけど、聞いたところでそれも不毛と思う。
それが好きだから。
やりたいから。
理屈ではなくてそういうことなんでしょう。

自分には全く理解できない宗教などにハマっている人に、なぜ?頭おかしい、理解できない、不毛と思ったら
「そんな好きなことをしている自分」と同じである。

そう思えば納得できるのではないだろうか。
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