珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

ゴミの分別

2020-05-12 | 思うこと
ゴミの分別について書こうかな。

ゴミの分別など無意味。
リサイクルなど無意味。
その先にはいろいろとややこしいことがあって、実は殆どがこっそり燃やされている。
だけど、カな主婦がそれを盲信してクソマジメに分別しているんだよね~
という意見について書こうか。

実際にゴミ収集車は「ゴミは分別して出しなさい。さもなくば」とスピーカーをかき鳴らして走り回って、分別してないゴミには「ルールも守れないオマエのゴミなど誰が回収するかボケ」というシールを貼って、断固回収されない。
そんなゴミが残ったら「社会性のないズボラでだらしない奥さん」という烙印を押されるから、仕方なく主婦は頑張るのよ。

ちなみに私は、名無しになった途端「それワタシじゃないしー」と責任をあっさり放棄する主婦の代わりに、そのシールを剥がして、中身をきちんと詰め直して捨てる仕事をしているんだけどね。
そうしないとダストボックスがいっぱいになってしまって仕事にならないのでね。

私も一主婦として、無駄な仕事や無駄な正義感に燃焼している暇はないし、「盲信」より理論的で合理的な理屈に加担したいわ。

でもそれをいつ通してくれるの?
分別しないと回収されず、分別すると盲信と言われる世界で、じゃあその本音と建て前はいつスッキリするのだろうか。

個人的には「ここを」隈なくえぐって書きたいんだけどね。
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鍛えの季節

2020-05-12 | 日記
中学校からメールがきて、体育祭や修学旅行や文化祭などの行事の中止や延期の連絡が入った。
「今週、担任から子どもたちの安全確認の電話がかかってくるから、ママは余計なことを言わないでさっさと電話を切ってね」
と娘。
国から給与もらってるんだから愚痴くらい聞いてほしい気分だけど「誰に何を言っても」という無力感を感じてしまう。

これから高温多湿の梅雨と夏がくる。
何にも弱点はあるのだ。
私は冬の方が好きなんだけど、またネガティブにキャンキャン騒ぐ季節になるのかと思うと今年はこれからの季節を楽しむことにする。

もうだいぶ前から半袖一枚で仕事をしている。
ビビッてばかりいないで身体を鍛えておくべしと思う。
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なぜ自粛?

2020-05-11 | コロナ騒動
なぜ緊急事態宣言?
なぜ自粛?
私がこれが不思議でならず、納得いかず、ずっと考えていた。
だってふつうに考えて変に思うでしょ?
私が住んでいる東京と隣接する県内での感染者は14人、死亡者0という数字を見たの3月3日。
春休みを前に、一人の感染者もいないピンピンした生徒が通っている中学校が突然、病気を理由に学級閉鎖ならぬ学校閉鎖になったんだから。

欧米で猛威をふるっていると聞く新型ウイルスだけど、国内では桁違いに患者数が少ないこともよくよく認知されていながら、なぜ?
コロナは怖いばかりを報道する、要領得ないマスコミにもうんざりしていたら、そのうち「医療崩壊」という耳慣れない言葉が聞こえてきた。

医療先進国の日本で、欧米と「桁違いの少ない患者」を受け入れるのに医療崩壊?
今年はインフルエンザも極端に少なかったのに、医療スタッフはなぜ手が足りないの?
実際、多くの病院が自粛によって外来が止まって医者は暇になっていた。
身内の医療従事者からも「病院によっては経営難になっているところもあるくらいだ」と聞いて、ようやく理解した。

今回のウイルスは「指定感染症」に認定されたために、受け入れのできる病院が限定されてしまったんですね。
つまり医療崩壊を懸念されているのは指定感染症の患者に対応できるごく一部の医療機関で、その「国内の感染症対策の体制や準備があまりに不十分だった」ということが露呈された形になった。

欧米と比べて桁違いに少ない患者すら受け入れられないほど設備もスタッフもベッドも足りておらず、これから爆発的な感染でも起ころうものなら大変。
それでこんなに患者が少ない国で、欧米の真似事みたいな無茶な規制をかけたのか…

どこの偉い人か知らないけど、未知のウイルスということですっかりビビッてしまって「指定感染症」の閣議を決定させて、次は感染症対策の怠慢を棚上げして、国民に犠牲を強いたな。

「コロナ怖ーい!!」
「あなたの愛する人を守りましょうね!!」
こんな白々しいことを聞くたびにアホらし、と私は思うわ。

偉い人。仕事って先手を打つものと思うよ。
補償も遅いしね。
チンタラは嫌いなんだよね。
チンタラしていた結果、緊急事態なんて笑わせないでよ~( ̄∇ ̄)
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質問でござる

2020-05-11 | コロナ騒動
ある書き込みに
コロナウイルスは特別であり、普通の風邪と一緒にしないでほしい。
インフルエンザは対処する薬があって、死亡率が凡そ毎年0.1パーセントであるのに対して、コロナウイルス は韓国:2.3%、日本:3%、ドイツ:4%、アメリカ:5.8%、中国:5.5%、スペイン:10%、フランス:14.5%、イタリア:14%、イギリス:15.7%と少なくとも20倍以上となっている。
(ノーベル賞受賞の山中伸弥先生のページより)

とあったので、私は素朴な疑問を問うてみた。

死亡率ってそこまで正確に言い切れるものなのですか?
少なくとも日本ではPCR検査の実施率は、一部から文句言われるほど低い。
実は確認できていないだけでもっと感染者が多いなら、死亡率はもっと下がってしまう。
そもそもそこに提示してある死亡率って
「病院にいくほど重篤な症状がある患者の中から」の死亡率なのか? 
それとも
「軽症、無症状者も含めてPCR検査を受けた人の中から」の死亡率なのか?
 (ならばPCR検査の実施率は?)」
それ以外なのか?
表示してある国の分母はどちらなのか?平等なのか? 
その信ぴょう性をもって知りたいと。 

そうしたら「信頼のおける山中先生が命懸けでやっているから参照ください」という返事がきた。
うーん、この場合、信頼のおけるとか、権威があるからとか、一生懸命やっているとかは関係ないのでは?と私は思う。

今回の新型コロナの死亡率ってどうやって出すのが正解なの?
詳しい方がいたら教えて頂きたく。         
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言えない理由

2020-05-10 | コロナ騒動
「コロナの第2波は?」なんて言葉を聞くと、個人的に違和感を感じてしまう今日この頃。
国内のそれに「波」ってほどのものがあったかな?
爆発的な煽りとパニックはあったけど。

これが波なら、今までの毎年のようにあったインフルエンザウイルスによる桁違い死亡者の方が、はるかに大波だったと思う。
毎年国内で、インフルエンザで亡くなる方が約10000人。
ワクチンも処方薬もあるにもかかわらずである。
今年新型コロナウイルスで亡くなった方が、収束といわれる今現在で600人。
ワクチンもない、はっきりした特効薬もわからないままである。

蓋を開けてみれば、今年ほど国内の風邪ウイルスによる死亡者が少なかった年はなかった。
それも近年稀に見る桁はずれの少なさである。
でも今年ほど、風邪ウイルスの恐怖を煽られた年はなかった。

「日本はPCR検査が少ないから感染者数が少ないだけで本当はもっといる。なんでもっとPCR検査をしないんだ?」と言う意見がある。
要するに、
本当はもっと多くが感染しているのに、確認されないから隔離されない人たちが野放しになっている。
その知らないうちに人に感染させている人たちを徹底して見つけ出して、隔離しろ。そしてコロナを撲滅させろ。(むちゃくちゃ言うな~)
とかいうことだろうか。
確かに国内15000人される感染は「実はもっともっと多い」のかもしれない。
ならば600人という死亡者という事実をみたら、じゃあ致死率は今の発表より恐ろしく低くなるのでは?

そんな世にも恐ろしい殺人ウイルスのために、強制的に仕事学校も日常生活も奪われた。
それに疑問を言おうものなら非国民扱いされるのでガマンした。

私にとって正直「実感」できたのは、これだけだったと思う。

一方でマスコミは
「とてつもなく怖い未知のウイルス」
「高齢者に感染させてもいいのか」
「このままでは医療崩壊する」
「そうならなかったのはここまでやっている自粛のおかげ」
一点張りで、これらを否定するデータは幾らあっても、それは頑として取り上げなかった。
なぜ取り上げないのかな?
「違った」と思っても、訂正はメンツだのコケンだのに関わるんだろうか?

専門家でもないド素人は、こういうことに疑問を抱くのすらビクビクである。

私が知る限り、人はこうだとされていることに疑問もつと殆どが後出しジャンケンで「ずっとおかしいと思っていた」「でも必死でガマンしていた」と言う。
あまりにも多いそれを見て、なぜその時に言えなかったの?と聞くと
「途端、爛々とした変な目になってバカにしてくる人がいて怖かった」
という。

というわけで、途端、爛々とした変な目になってバカにしたくなる人は気をつけるべし。
そんなことが好きな人のせいで、どんな分野であれ、多くの人が、素朴な疑問や言いたいことが言えなくて苦しんでいる(いた)のだと思う。

そして結果、言いなりになって、いいように操られてしまうのである。
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ただのボヤキ

2020-05-09 | 日記
最近…「専門家」という言葉が嫌いになってきた。
専門家会議なんて胡散臭いだけに思えてきた。

専門家ってその道のプロのことかと思ってたけど、いやいや正確には
「これさえ出せば印籠のように人を騙せる恰好の言葉」という意味かもね。
(例:「このままでは確実に医療崩壊が起きるよ。だって専門家がいってるからね~」など)

専門家であろうとプロであろうと、組織人になったら、権力を持ったら、お金や昇進が絡んだら、たいていの人は良心とそれを取引してしまうみたいですねえ。
平気でデタラメを言ったり、データを無視してマスコミが喜びそうな話をする。
(どこかと裏取引でもしているんだろうか?)

もちろん、そうならない専門家もいるけれど。

オマケ
私は聖人君子じゃなくて、単に本音が言いたい性分なだけ。
それがお金や権力より好きなだけ。
ちなみに、他人を「複数のHNで書きこみをしているのがいけない」なんて非難したことは一度もないよ。
私もここでは「海」だけど、他で「アイスティー」を使っているからね。(理由は過去に記載)
不快なのはそういういい加減なことを書かれることや、覚えもない掲示板の書き込みを私が書いたと言われて「間違ったら謝ります」と言ったきり逃げられたりすることかな。
間違えたり考えを改めることは私にもしょうちゅうあるし、あっさり言われれば「そんなの全然いいよ~」となったのにね。
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信バリ、活バリ、両バリ

2020-05-09 | S教団関係
私はSの信仰はしていたけど「組織活動にまつわること」は信心とは別に考えていたと思う。
Sというところは、確かにそれに線引きはなくて、信仰も組織活動も渾然一体という感じだったけどね。
「それもこれも信心よ」ってやつである。

でも私にはそれがピンとこず、いわゆるS活動というのは、全部とは言わないけど殆どが「信仰」とは思えなかった。
ただ決して活動を否定していたわけじゃなくて、活動に熱心だった人を信仰心とは別の意味で、尊敬はしていたし感謝もしていた。
人のためや組織のために、ここまで動けるなんてすごいなあと思っていた。

蛇足。
それをバリ活、ユル活ふうにいうなら
信心そのものに熱心な人=信バリ
活動に熱心な人=活バリ
その両方=両バリ
という感じだろうか?

私は典型的な「信バリ」で、活動で信心の厚薄が決まるとか、罰が当たるなんて考えたこともなかった。
だからできないことや不要な本など、あっさり断っていたんだと思う。
(できることはしっかりやった)
一方で逆の人もいて、イケイケの活動家が実は勤行もしていなかったなんて聞いた時は、こういう人は信仰に興味があったわけではなかったんだろうなあと思った。

先日、鯛焼きさんのブログで書いたので改めて考えてみた。
個人的にはもうどうでもいい話ですけどね。
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永遠に続く

2020-05-08 | 思うこと
娘と不要不急の外出をしてきた。
が、殆どのショップが開いておらず、
ロト6の窓口もやっておらず(せっかく2回連続千円が当たったのに)、
デパ地価の食品館と100円ショップしか行けず、
しょうがないからそこで「トーストに固いバターが簡単にぬれるスティック」を買った。

子どもの頃は何と学校給食までに出たマーガリンだけど、私はこれを断固拒否しているので、パンに塗るのはバターである。
いつもはそのバターをパンに乗せてオーブンで溶かすんだけど、本当は焼きあがった熱々のパンにバターを塗りたい。
それができるのなら楽しみである(゚▽゚*)

さてSアンチブログでは「思ったことを言えない苦しさがずっとあった」という声が、圧倒的に多い。
強く強く思ってもそれは、自分よりずっと多勢で力のあるものに羽交い絞めにされてしまうと。

ようやくの思いでそこをこじ開けて次のステージに行って、懸命に「現実を見ないふりしないで見て!!」声の限りに叫んでみても、次のドアもまた鋼鉄のように固い。
通じないものはどうやったって通じないと。

私はそんなものは永遠に続くと思っている。
一つ越えてもすぐ次がくるよ。
やっと抜け出してアンチになっても、次の重いドアが待っていた。
そこをようやく抜けても、また次に鉄壁のドアがあった。
その次も、その次もあった。
今もあるよ。

「そんなもんなんだ」とわかって、今はちょっとだけ笑っているけどね。
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学校事情13

2020-05-07 | 日記
3月3日の(県内感染者数24人、死亡者0人)から始まった娘の中学校の登校自粛以来、学校からは何回かのメールと、玄関先で本人在宅確認だけのアポなし家庭訪問が一度あったきりである。
私はこの勧告について一日も納得しておらず、「納得していない×65日」がたった。
「×90日」まで無力感は更に累積される。

先生には変わらず給与が支払われているから、不満はないのかもしれないけど。

今日のメールは「11日の月曜日に副教材を配布するから、取りにきてください」という通達で、学年別、クラス別、男女別に時間差通学になる。
こういうきちんきちんとしたお役所メールみたいな文面にもいい加減うんざりして、最近は学校からの着信音が鳴るとそのまま娘に渡している。

今回の長きにわたる通学自粛措置を決めた人の頭は
「やらなければ、もっと酷いことになった」「自粛が功を奏した」から1ミリも動くことはないだろうし、万に一つも
「この行為は本当に正しかったのか?」と疑うこともないと思う。
見慣れた景色である。

ウイルスが発見されて4カ月。
もう未知ではなく、かなり既知であると思うのに、この「未知だからコワイ」の賞味期限が切れても延々と繰り返して使うんだろうなあ。
これも見慣れた景色である。
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たまにはテレビ

2020-05-07 | 趣味の話
何日ぶりかでテレビをつけたら、ワイドショーでパチンコ店をめぐっての喧嘩の映像が流れていた。
まだ当分続きそうですね。

ここのところマスコミの悪口ばかり言ってるけど、昔はテレビ大好きだったんですよ。
ドラマもアニメも歌番組もスポーツ中継もよく観てました。
80年代~90年代は「世界まる見えテレビ」とか「世界まるごとハウマッチ」とか「特命リサーチ200X」なんかが好きで見ていたなあ。
「NHKスペシャル」も昔は面白かったんですよ。


テッィピちゃんを初めて見たのも「世界まる見えテレビ」だった…
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言い当て妙2

2020-05-06 | コロナ騒動
今や最強の殺人兵器みたいに言われている新型コロナウイルスも、いずれモブキャラになるという意見を聞いて笑ってしまったヾ(≧▽≦)o
肺活量が10倍上がった気がした。

言い当て妙。
「爆発的感染」とか「コロナ鬱」とか「衰退」とか「撲滅」より数倍センスのある言葉ナリ。
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操るウイルス

2020-05-05 | コロナ騒動
以前「ブードゥー・ワスプ」の話という蜂の話を紹介した。https://blog.goo.ne.jp/kaishidosisters2018/e/9d122b0752273391c75bd0ad167654de

この蜂はウイルスのようにイモムシに寄生するんだけど、イモムシを死なない程度に生き留めさせて、且つ、な、なんと自分の生んだ卵守らせるなど「宿主を操る」行為をする。

昨今、ウイルス(新型コロナ)について考えることが多いんだけど、抗体ができたら人間の勝ちとして、でもコロナやられて死んでしまったらコロナも一緒に死ぬ。

致死率を騒いで人を死に至らしめるウイルスも怖いけど「死なない程度に人を操る」って怖いなあ。

なんだかどうにも「操られているように」感じる昨今。
ウイルス=人体の死より、どっちかっていうと人間社会に寄生されてそんな力が働いているような…SF話ですかね( ̄∇ ̄)
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国家権力

2020-05-05 | 日記
アンチブログを書いていた時、何か提案するとすぐ
「波風が立つだろう!!」
と言われることに辟易して、よくこんなことを言った。
国家権力に逆らうとかならわかるけど、親とか、教団の幹部程度に何かいうことってそんなに大変なこと?

戦争映画を観ながら、
「こんな有無を言わせない強制力ならわかるけど、役職を断るとか、要らない本やチケットを買わないことがそんなに難しいの?」
と思った私はワイルドだったのだろうか。

だとして、今まさに国家権力で、学校に行くとか、働くとか、ふつうに出歩くという当たり前のことをねじ伏せられて思う。

ここ2カ月、日本に住んでいる気がしないわ( ̄_ ̄ i)

「カルトはダメだけど、自粛は正義」の人に訊きたい。
ホントにSのどうたらの方が深刻?
いや比べるものでもないと思うけど、そうならば人って様々なんだなあと改めて思う。
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騒動に「なぜ?」はない

2020-05-04 | コロナ騒動
タイトルは某ブログからパクらせて頂きました。すみません( ̄∇ ̄)

以下はネットで見た或る書き込みを元に、私が手を加えたフィクションであり、ノンフィクションです。


今回だけなぜ「感染者数」を発表するんですか?
そんなこといったら、ウイルスとか細菌の病気は知らないうちに人にしょっちゅう感染していますよね。
ヒトパピローマウイルスだって感染しても発症せずに廃除されたりしてる。
ウイルスって昔からそういうものですよね。
感染しても発症して患者になって初めてカウントしてるものを、なぜ今回はそうしないんですか?
そう尋ねたら
「わかりません。でも決まりなんです。でもそんな生産的じゃないことを考えても幸せにはなりません。言われた通りに従えばいいんです。
あなたには計り知れない、ずっと頭のいい人たちが采配してるんだから」

どこかで見た景色のようだわ( ̄∇ ̄)
なぜ?はいけないし、言っても無力ということだけはわかる。

続き

私は自粛の意味も、今一つよくわかりません。
私の住んでいる地方では、周りに感染している人なんて誰もいません。
でもある日突然、当たり前にあった仕事も学校も自由も収入も奪われて、「助けて」と叫んでもどこにも届かない。
一体私たちは何のためにこんなことをしているんでしょうか?

でも明瞭に納得できる数字も説明もないんです。
あればまだ解るんですけど、ないんです、見事に。
そして納得できない説明をしているのに、国民はなぜか催眠にかけられたように拍手を以て納得してるんです。
納得していないのかな?
私には右を見ても左を見てもそんなふうに見えるんだけどね。
そんな景色を「見せられている」だけなのかな。
頭の中がそんな変な勘繰りでグルグルまわっている。
一言でいえば「不信」なんでしょうね。

何よりこれを疑ったら、怖い、睨まれる、身勝手で頭の悪い人と言われる、言っても無駄なものを感じる、それも強い無力感ですね…
無力感のままスーパーに行くと、私には皆が、何かに洗脳されたまま、口答えせず、おとなしく従っている気味のわるい人たちに見えるんです。
いつの間にかレジに並ぶ時の歩幅まで決められて、そこから少しでもはみ出すと危険人物というか…でも誰も疑いもせずにそれに従ってる。
こんなことあり得ない世界だったのに、それがあっさり横たわっている。

でもそういう人が「善良」で「正しい」
それ以上の答えがなくて、その答えは太刀打ちできないほど強い。
テレビじゃなくてネットを見ても、好感度抜群の、私だってファンな人たちが
「一緒にがんばろーーー♡」と笑顔で歌っている。
その様子は立派で素敵で、何の非の文句も打ちようもないんだけど、でも一方でうまくできた広告塔を見せられているような。

的確な言葉で論破ができなくてもどかしい。
ただ、こんなのおかしいということだけ強く感じる。

ああこんなこというと、いつか偉い先生というのか教学部長というのか大幹部というのか家に来たことを思い出すわ。
私よりずっと頭がよくて、知識も豊富で、弁も立って、立場も上で、人格も教養もあって、言うことは正論で、確かにそれはそうなんだけど…でも言ってることが届かなかった。響かないというか、入ってこないというか。

今ここでこれを読めと、整えられたマニュアルを見せられると、あの時と同じものを感じる。
それは確か。
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夫との会話2

2020-05-04 | 娘と夫の話
夫と、「私が死ぬ時のことについてズバズバ話した。
こういうことをケロッと言うのは、私と長い付き合いの夫は了承済みである。

これは私があくまで私自身が自分をいうことなんだけど、
言いたいことを言って、書きたいことを書いて、好きなものを食べて、ゲラゲラ笑っている
私にとって、これが私の「生きている定義」と思う。
これができなくなったら私は生きている意味がないし、生きているにはカウントしないんだよね。

ただ横たわって手とか握られて「オマエは息してるだけでいい」なんて言われたら滅茶苦茶キショイわ
むしろ迷惑。
だから自分で息ができるうちに言っとく。
「人工呼吸器は絶対につけないで」

心優しい家族は、私が口をきけなくなったら血迷って何しでかすかわからない。
くれぐれも私の意思をコントロールするなよ。
私をしおらしくベッドに縛り付けたら、死んでから相当タチのわるいゴーストになって仕返しするわ( ̄∇ ̄)
そういうものにビビリな奴の前で暴れたるで~( ̄∇ ̄)

これはあくまで海個人の感覚ですよ。
他人に押し付けようとは思わないよ。

これさえ整えればいいみたいに言われる人工呼吸器って万能の神様じゃない。
一度喉を切開して一たびそれを享受したら、後にピンピンになって復活して治るわけじゃない。
残酷なことを言うようだけど、だいたいがそれなしでは生きられなくなる。

「延命治療」と「生きること」を私は考える。
生きてるって、ただ息をしていることだろうか。
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