隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

人間って悪くないかも~「Dr.コトー診療所2006」より

2006年12月24日 19時22分09秒 | テレビにプチコメント
★幻惑なの?
 饒舌な人の登場しないドラマ。もうそれだけで、価値があります。説明しなくていいよ!って画面に向かって言いたくなるようなドラマ、あるものなあ。
 「Dr.コトー診療所2006」いよいよ最終回でした。ユートピアはもう望めぬ時代だから、その切れ端を見せてもらって心が和む、そういうことだってあるだろう。
 それでもさまざまなマイナス条件の中で島の人たちは生きている。都会の定規で測ったら、島のレベルはどのくらいなんだろうと考えると、もうとてつもなく低い?
 あるのは自然の美しさと、人々のつながり。そうこともなげに言い放っても、その2つだけで、私たちは圧倒的に敗北感を感じてしまうのはなぜなんだろう。
 それも一種の幻惑ですか? 現実を見ろよ、そんな甘いもんじゃないよ。そう言う人もあるかもしれないね。
 でも、ユートピアをあざとくなくストレートに見せてくれたこの番組を多くの人が見ていたという事実で、なんとなく救われるなあ。

★生きているということは?
 鳴海先生(堺雅人)の抱える現実がはじめて明らかになり、この医師が氷のような理性だけを見せていた訳を想像することができた。妻の外科手術を自ら執刀し、愛する妻を植物状態にさせてしまった彼は、その妻の姿を彩佳(柴咲コウ)の手術の執刀医になろうとしているコトー先生(吉岡秀隆)に見せる。衝撃を受けるコトー先生に「妻は生きているのか、それともしんでいるのか」と尋ねるのだが、最後に彼は鳴海に答える。
 「医者としているなら、先生が治療をしていく限り奥さんは生きている。人間として言うなら、先生が奥さんを生きていると思って世話をする限り奥さんは生きているんじゃないですか」
 周囲の愛する人がどう受け留めても、現実の生や死を動かすことはできない。それでも受け止め方しだいで、私たちはどんな状態の人にも寄り添って生きていけるのかもしれない。広い意味での愛とは、そういうことか。
 少し照れくさいけれど、そんなことを思いました。

★コトー先生の出目が…
 ファンと言いながら、実は前回のシリーズのときもなかなかすべては見られなかったのです。だから今回コトー先生が自分の実家に電話をして母親と話をしている姿を見て、彼の出身をはじめて知りました(母親に関しては初登場ですか?)
 コトー先生はたぶん父親も医者で裕福な恵まれた環境で育った、と考えていいのだろう。母親(エンディングロールで、宮本信子さんだったと知りました)は、長いこと連絡もしなかった息子を責めることもなく、温かく冷静な対応をする。それを聞きながら涙する息子。
 きっとなんの挫折もなく生きてきたからこそ、大学病院での経験が彼を大きく揺さぶり、そして島に赴任したことで島の人々にいろいろな意味で励まされて再生した記録、と考えていいのだろう。
 母親は言う、「私はあなたがどこにいても、元気で暮らしていてくれたら、何も言うことはありません」。これ以上の強い愛の言葉はないなあ。

 コトー先生と彩佳はどうなるのか、剛洋の未来は? 剛利と茉莉子さんのステキな大人の友情?の行方は? コトー先生のこれからは?
 いろいろ気になることばかりです。まだまだ「つづく」ということなんだろうな。


ご報告!!!
 すいません、こんなところで。
 実は今日の有馬記念、とりました(笑)。
 はずれなしのワイド馬券です、4-1-5。
 おまけにポップロックの複勝もとりました(ロック好きの私は、この名前に飛びつきました)。
 私はまたに連れられて東京競馬場に行ったり、G1だけ買ったりするだけで、ワイド馬券、複勝専門なんですけどね。大してつぎこまないし。
 でも結構高い複勝を当てたりするので、「複勝の女王」と勝手に名乗っています(笑)。
 それにしてもディープインパクトはかわいい馬です。なんかひたすらゴールをめざす姿がいとおしい。

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