隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

「シャーロック・ホームズ」+イチロー+「思う」と「考える」・・・

2013年01月09日 19時02分45秒 | 日記

2013.1.9 (水)


 もう月の3分の1が過ぎてしまったわけか。
 え~っと、1年の約36分の1?
 ああ、こういう、ネガティブ指向に突き進みそうな発想や計算はやめよう。そう、「あと36分の35も残っているじゃないか」ということにしておくのだ!

 今年の正月休みはけっこう本も読めたけど、誰かに「これ、オススメ!」と言えるものにはまた出会ってないかな。


■■ホームズのイメージで「ん?」って思っちゃダメなのね

 http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD19841/index.html

 この前WOWWOWで見た「シャーロック・ホームズ シャドウゲーム」は久々、知的で痛快でステキに笑える映画だったなあ。前作の「シャーロック・ホームズ」もよかったけれど、続編のほうがいいかも、というくらい。
 前作同様、暗く湿ったロンドンの街の様子がいい。
 ホームズは、全世界に数多くいる信奉者にはどう映るの?というくらいにはじけきって、変態男みたいに見えるときもある。でも、さすが役者ロバート・ダウニーJr. の力で、「空気を読まない」「常識はずれ」でも、なんとも魅力的な男になっている(ただし、「シャーロック・ホームズ」のイメージを求めないこと」という条件付きですが)。
 スピード、しゃれた会話、アクションやマトリックスみたいな映像、裏の裏をかいて観ている者を翻弄したりギョッとさせてくれたり。
 そして、大好きなジュード・ロウがやっぱりすてきです(笑)。「コールドマウンテン」(ココで熱く語っています)以来、さかのぼったりして観ています。


■■イチローの世界

 http://www.nhk.or.jp/professional/2012/1229/index.html

 昨年暮れのNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀~イチロー」も昨夜ようやく見ました。
 だら~っとして見ていたけれど、ヤンキースに移籍後最初の試合で、古巣のマリナーズファンがスタンディングオベーションで彼を迎えてくれたところ、「イチメーター」の女性ファンと歩み寄ったイチローが話しているところ・・・、いつのまにか正座していましたよ。
 イチローの哲学は私にはときどき意味不明なこともあるのですが(笑)、とにかくあのプレイすべてが好きなんで。
 「好きなことやっているからといって・・・決して楽しくはないですよ」というような発言が印象的だったなあ。
 松井が見事なほどに美学を貫いて退いたあと、彼とは基本的に何かが異なるイチローはどんな形で「死」のほうへ進んでいくんだろう(引退を「死」とたとえていました)。


■■「思う」と「考える」
 先日の夕刊、池澤夏樹の連載で、「思う」と「考える」の違いを論じていて、わが身を振り返りつつ、ちょっと納得してしまった。
 最近は「考える」より「思う」ことで決めてしまうことが多いのではないか、と。「5分間の論理的思考より1秒の好悪の判断」・・・。こういうブログもSNSも、結局「速さ」を競ってしまう。だから「失言」も多いし、私もあとで悔いたりする夢をよく見たりする。
 
 私はそういえば、とてつもなく考えるのに時間のかかる子どもだったんだ。
 12歳の頃、頭の回転の速い早熟な子たちは、競うように手をあげて意見を述べたり、誰かを糾弾したりする。私も何か言いたいのだけれど、なんだか考えがまとまらない。で、何も言えないままに話し合いは終わってしまう。
 帰り道、悶々としながら考えていると、だんだんに視界が開けるように頭の中が整理されてきて、「な~んだ、アタシはこれを言いたかったんだ」となる。われながら、なかなかいい意見じゃん、なんて満足したってもう遅いわけで、通知表などには「もう少し積極的に自分の意見を発表できるようになるといいですね」なんて書かれ、自称「活発な子どもで学芸会の華だった」母には、「お母さんは・・・だったのになんであなたは」などと言われ、ますます萎縮してしまう。
 だってしかたないじゃない、時間がかかるんだもの。
 それがだんだんに鍛えられて、とくに仕事をするようになったら、とりあえず出まかせでも「何か言える」ようになって今のワタシがあるわけで。
 だからといって、あの頃より「深く」考えているかというと怪しいもんだと思ったりする。
 「1秒の好悪の判断」か~。ああ、今年は「5分間」は無理でも「2分間の論理的思考」くらいは心に留めておきたいなあ。

 それとね、池澤さんはあの政権交代のとき、民主党にかなり「期待」したのですね。だから、迷走してしまったあの党への「恨み」というより「悔しい」思いが伝わってくる文章でした。
 「『最小不幸の社会』をつくる」という菅氏の首相就任会見での言葉に、「久しぶりに為政者の口から質量のある言葉をきいた」と思ったそうだ。
 「最小不幸の社会」とは弱者への配慮のある社会だと。「最大多数の最大幸福」の「最大多数」は「全員」ではないから、そこからこぼれた人を手当てするのが政治の責務だと書く。
 「国を元気に!」がキーワードだし、経済を活性化させないと・・・というのはド素人の私にも少しはわかるけど、もしその政策がうまく進んでも、「最後に元気になる」のは、池澤さんの言う「弱者」なのかな、と思ったりする。「弱者」に片足つっこんでいる可能性のある人として、これはどうなの?と思ったり。

 自分自身への自戒をこめて、「思う」だけじゃなく「考える」人、そして「速さ」ばかりに目を奪われないこと(あんまり追われるのはヤだし)・・・、それからちゃんと見張っていなくちゃね、政治の責務ってやつ。



                     


 やりました、怒髪天、武道館へ

 
http://dohatsuten.jp/DHTBDK/


 http://natalie.mu/music/news/82814

 本来、武道館は、このくらい重い場所なんだぞ!ということです。
 おめでとうございます


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