2017.8.15(火)
●● 8月15日 ●●
毎年書いているけれど、「終戦の日」は母の誕生日。
独立している二人の孫が忙しい日常の中で自分たちの祖母の誕生日を覚えていられるわけはないのだが、このころになるとテレビや新聞で「8月15日は・・・」の話題が出るためか、そこできっと思い出すのだろう、必ず連絡がある。
最近は車移動が多いけれど基本的に鉄道オタクな男子1は、都電荒川線に乗って、施設にいる祖母の代わりに大好きだった祖父の墓を掃除してきたらしい。「久しぶり行ったけど、墓の場所、案外覚えているもんだね」とメール。
クールな男子2は意外に、幼子に文字を書かせて祖母にカードを送ったらしい。
昨夜就寝前に訪ねて少し話をしていたら、母は終戦のドキュメンタリーで戦災孤児の悲劇を見たらしく、
「両親を早くに亡くしたけど、今まで一度も一人になることはなかったし、今はこうやってあんたたちが世話してくれるし、私は幸せな人生だなあと思っているのよ」
と。母の脳裏には、頑固で強引で、ときに反抗的だった娘の記憶はなくなってしまったのか。娘のほうも、すでに言葉のナイフも何もかも隠せるようになって、情けないくらいに「優しい」娘に成り下がっている。ま、それはそれでいい。今の母にはさすがの娘も否定する材料がない。前向きなところ、スタッフへの心遣い、施設の仲間との付き合い・・・。
「幸せな日々だった」というこそばゆいような言葉を耳にするたびに、母は先に旅立った息子への思いをどこにどうやって隠してしまったのだろうかと思う。今は問いただすことはさすがにしないけれど。
優秀な息子があんなに自慢だったのに、「世話をしてくれる娘」がその思いを凌駕してしまったのか。いつまでたっても、その部分は複雑な思い・・・。
ま、いいんだ。そんなことは別に。
私の中で、思い出はだんだん薄くなりながらも、彼は生きているはずから。
終戦の日の今日、母は元気に年を重ねました。
支えてくださる方々に感謝です。
●● ブレーキ ●●
対抗する集団ではなく内部にこそ異なる考えをもった存在があって、正常な運営がなされると思う。
http://www.kanaloco.jp/article/270999
スピッツ「3050」、いよいよ武道館ですね~。
今夜は眠れない人もいるのでは?
8月に15日雨の日が続くのは40年ぶりとか・・・。なんだか梅雨みたいで悲しい。
40年前、実は結構大事なことが夏にあって、雨の記憶はないのだけれど、その当日が真夏とは思えない天候だったことは記憶に残っている。
あの年、弟はすごく元気だったっけ・・・と思い出す。