隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

社会の片隅で~介護に携わる~

2006年04月28日 18時47分16秒 | 日記
■4月28日(金)~彼らにこそ光があたる社会に

 今日の東京は暖かく、久しぶりに「春」を感じさせてくれる。日差しに包まれると、萎えた心が少し上向きになる。
 私の仕事場は東京の住宅街の一角にあるのだが、隣には高齢のMさんが一人暮らしをされている。ちょっと頑固だけれど(こんな社会に一人で生きているんだもの、多少頑固でなければ生き延びられない)、しっかりとした方。
 昨年の秋までは不自由な足をひきずって外を散歩している姿が見受けられた。最初の頃は、少し頑なだったけれど、去年あたりはこちらが申し出ると、重い荷物を手渡してくれるようになった。ところが足の状態が悪化し、内臓にも疾患が出始めたらしく、冬の終わり頃からは身動きがとれなくなっていた。
 介護の手が差し伸べられ、ケアマネジャーさんが訪れるようになったのが2月頃だろうか。それからは週に2回くらいのペースで若いヘルパーさんたちが通ってくれるようになり、デイサービスにも行っているようだ。
 Mさんは検査入院のために少しの間入院することになったのだが、それが決まってからは毎日、ヘルパーさんたちが顔を出してくれる。正規のヘルパーさんは食事を作ったり洗濯をしたり、下のお世話をしているが、それ以外にも通りすがりに寄って、「Mさん、どうですか? 大丈夫ですか?」と声をかけてくれる人たちが2時間おきくらいに訪れる。
 Mさんもすっかり彼ら(彼女ら)に慣れたのか、開け放したドアからは楽しそうな会話も聞こえるようになった。
 体調がすぐれないときは、私が声をかけると、「まいった、まいった」と弱音をはくこともあるが、最近は少しいい調子。声も以前のように大きくなってきたように思う。
 この若いヘルパーさんたちのようすを見ていると、本当に気持ちがいい。言葉遣いにも年上の人に対する敬意が感じられるし、ときどき少し強めの口調でMさんを励ますことも忘れない。決して義務的なものを感じさせる発言はなく、常にわかりやすいように話しかけたり説明をしたりしながら、冗談を言ったり…。決してきれいな仕事ではないけれど、そういうことをMさんに感じさせない心配りも感じられる。
 プロとしての意識の高さと、人への優しさ…、当たり前のことだけれど、そういう当たり前のことをさりげなく続けている姿が心地いい。
 介護のプロだけではなく、誰もがこんなふうに人に接しられたらいいのに、と我が身を振り返りつつ思う。そして、華やかでもなく、話題性などないかもしれない、こういう人たちの存在や日常を見ると、彼らのような人たちにこそ、きちんと光があたる社会であってほしいと思う。そういう成熟した社会になっていかなくてはいけないのに、と思う。
 そして、脚光を浴びることのない彼らがいかに社会を支えているかを、きちんとした言葉と思いで伝えられる政治家やメディアの担い手が、この国には皆無であることが悔しい。私たちは、仮面のような表情で軽い単語をならべて語る「国のトップ政治家」や、扇情的な発言や反対におざなりな言い方で中途はんぱな報道をするキャスターたちを、いっときの印象や雰囲気で評価してはいけないのだろう。
 明日もきっと彼らは普段と変わらぬ笑顔で、「Mさ~ん、おはようございます」と訪れることだろう。Mさんだけでなく私も、その声に救われる。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 春の雨 | トップ | ラストチャンス? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。