隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

「長くやってると、おじいさんみたいな昔話が」~1987年の田村アキヒロ ライブ体験で漫遊!

2021年01月19日 11時25分35秒 | スピッツ

2021.01.17
「草野マサムネのロック大陸漫遊記」
  FM TOKYO



 年が明けて、もう4週目。
 草野「スピッツメンバーで漫遊記! トリを飾ってくれるのは、この人です」
 ゲストの第一声は「若いころは寒いの大丈夫だった。3枚以上着るのは無理だった」と。
 草野「そうだったかも」
 そして、「オレ、ロンTに革ジャン着てました。あ、スピッツ田村です」
 草野「ハハハ」
 という導入です。
 草野「オレもいちばん厚手がGジャンってことあったわ、大学のころ」
 ・・・で、最近は手足が冷たいらしい田村くんです。
 今回も、【スピッツメンバーで漫遊記・2021初春】 で、田村明浩編です。

 昨年の1月には、アルバムの1曲目で漫遊した田村くんの回(ココです)。
 「今回は『アルバム2曲目』でもいいかなと思ったけど、それも芸がないかなと」という田村くん。さて、どんなテーマ??
 今回もゲスト回ということで(トークも十分に伝えてくれるということでしょう)、基本的にフル尺を信条といているこの番組では異例のことで、「途中でフェイドアウトする曲もあるかも」ということです。


 オンエア曲
 01 鳥になって(スピッツ)
 02 Party At Ground Zero(Fishbone)
 03 Sheena Is A Punk Rocker(Ramones)
 04 Shyboy(David Lee Roth)
 05 Sally MacLennane(The Pogues)
 06 You're Crazy(Guns N' Roses)
 07 Perfect(Fairground Attraction)
 08 幸せであるように(FLYING KIDS)


 漫遊前の一曲は、スピッツの「鳥になって」(1991年、3rdシングル「魔女旅に出る」のカップリング/1999年、スペシャルアルバム『花鳥風月』に収録)。
 リクエストの名前「北海道のとたけけさん」を読み上げて、「え、とたけけさんから来ちゃったよ」に笑う二人(「集まれどうぶつの森」)。
 この曲は(このバージョンではないけれど)、新宿のライブハウスJAMの深夜パックで、初めてレコーディングした曲。
 草野「深夜パック。安かったんだよね」

 そして今日のテーマは?
 「1987年 田村アキヒロのライヴ体験で漫遊記」 
 当時カタカナ表記だった「アキヒロ」使用。芸名(笑)。
 「1987年」はスピッツ結成の年、ということで、その前後の田村くんのライブ体験からの選曲だそうです。

 最初の曲は、「1987年4月12日、『インクティック芝浦』でのライブで聴いた」、Fishboneの「Party At Ground Zero」(1985年、デビューシングル)。
 「インクティック芝浦」は、東京・芝浦の工場跡にあったライブハウス。
 このライブには草野くんも行ったそうで、「まだモッシュという言葉が定着してなかったけど、もうモッシュやってたよね」。
 「草野もモッシュの中に紛れてたでしょ」と田村氏。み~んなが盛り上がっていたライブ!
 彼らは、レッチリくらいのレベルで売れるかと思っていたけど、「意外とZeppクラスだったね。ま、十分売れてるんだけど。アリーナクラスにはならなかったけど、そこがいいのかもね」。
 ところで、インクティック芝浦の営業期間は3年間だけだったそうで、「オレらもやったんだよね、ライブ。人、全然入んなかったけど」(行きましたよ。全然・・・というほどではなかったけど。LOFTでワンマンをやってそこではそこそこ人気が出ていたから、そこからすると・・・という印象は否めません)
 そのときに、その後お世話になるRoad & Skyの高橋社長が初めてライブを見に来てくれたそうで、「こんなガラガラのインクティック、初めて見たよ」と(笑)。
 ワンマンで200~300人だった?と(キャパ1000人という資料があるみたいです。うーん)

 そして、次は、「1988年10月に中野サンプラザで体験した」、Ramonesで「Sheena Is A Punk Rocker」(1977年、3rdアルバム『Rocket to Russia』からの先行シングル)。
 当時、Ramonesは何回目かのリバイバルで人気があって、「Tシャツとか、スゲー売ってた」。
 田村「日本にも、Ramonesっぽいバンド、多かったじゃん」
 草野「そうね。初期のブルーハーツもRamonesっぽかったし、インディーズのバンドへの影響は大きかった。RamonesっぽいバンドとPistolsっぽいバンドがいたような」
 映画『ロックンロール・ハイスクール』(1979年、アメリカ映画)などもあって、盛り上がっていた、と。
 テツヤ+﨑ちゃんが入る前のpre Spitzで「Ramonesのカバー、やってたじゃん」。
 草野くんはちょっと忘れていたけれど、「Sheena Is A Punk Rocker」は4人になってからのスピッツでもカバーしたそうだ。
 (なんて、かわいくてチャーミングな・・・。今のスピッツでカバーしてほしいなあ)
 草野氏がZO-3で聴かせてくれたフレーズは、「これ、Ramonesでよく使われるよね」「そう、泣きのフレーズね」(笑)。
 草野「そうだ! 『ロックンロール・ハイスクール』でも、Bメロで出てくるよね」(笑)
 田村「そう。いいんだよ、同じRamonesだから」(笑)
 これが、そうです。青春だー!
Ramones -Rock'n'roll high school

 次は、David Lee Rothで「Shyboy」(1986年、ソロ初のフルアルバム『Eat 'Em and Smile』)。
 田村くんは、1988年9月12日に、五反田ゆうぽうと(2015年閉館、ということで、今はもうないです)でYAMAHAが開催した、ビリー・シーンのベースクリニックに参加したそうだ。これがビリー・シーンの初来日になる。Mr. Bigとして来日するより前のお話とか。
 亀田さんも使っているようで、「最近、YAMAHAのベースにちょっと興味があるんだよね」と草野くん。
 YAMAHAのbbシリーズ。
 https://jp.yamaha.com/products/musical_instruments/guitars_basses/el_basses/bb_2017/index.html

 そのクリニックには1000人ものベーシストが集まり、ビリー・シーンの有名な曲をやったり、質問コーナーがあったり。
 そのときの同時通訳の人が音楽の知識はなかったようで、bridgeを「(ベースの)橋が」、neckを「首が」と訳したりして、それがおかしかったそうだ。
 そのときの抽選会で、ビリー・シーンのポスターが当たって、しばらく部屋の飾っていた、と。
 この曲のメンバーは、wikiには、「(ボーカル、David Lee Rothが)スティーヴ・ヴァイ、ビリー・シーン、グレッグ・ビソネットを迎えた、超絶技巧ロックバンド」と解説されている。David Lee Rothはヴァン・ヘイレンのボーカリスト。
 この曲はビリー・シーンの作詞作曲で、タラス(彼が以前に参加していたバンド)でも演奏していたそうだ。


 そして、田村くんへの質問コーナー。
 田村「あ、基本的に恋愛相談とかはダメよ」
 草野「恋愛相談は来てなかったっぽいよ」(笑)
 田村「だったら、いいっす」(ハハハ)

 「いつものチューリップ」さんから(「野生のチューリップ」ではなく「いつもの・・・」というセンスが気に入って、選んだらしい)。
 13歳のチューリップさんは「田村さんの中学生のころの夢を教えて」(13歳でスピッツのラジオを聴いている・・・。将来が楽しみ)。
 田村「冗談で、田村バンドで世界制覇!とか言ってた気がするね」
 田村バンドって名前がいいよね、と言う草野くんに、笑いながら「よくないよー。仮の名前がそのままいってしまった」と。
 「今は何でも細かく決めたがるけど、なんでもいけるようにしといたほうがいいんじゃないか」と田村くん。
 草野くんの「オレ、夢なかったなあ、来週くらいのことしか考えてなかった」に、「それでいいんだよ」と田村くん。

 2019年の新木場サンセットに参加したリスナーさんから、「田村さんは紺地に白の水玉の衣装でとてもお似合いでしたが、あれはCOMME des GARÇONSですか?」。
 えー、忘れたな、と。
 (このあとの情報で、たしかに田村くんはスタイリストさんが選んだCOMME des GARÇONSのシャツを着ていたそうで、ライブのあとも愛用していたということです)
 草野「オレは、COMME des GARÇONSの服、もってないわー。お店をたまに見て、かわいい服あるわと思うことはあるけど。(COMME des GARÇONSの)デザイナーの川久保玲さんがいつもお召しのダブルのルイスレザーの革ジャンはかっこいいなと思うけど」
 (ああ、わかる)
 田村「オレは、(COMME des GARÇONSの中でも)川久保玲よりはジュンヤワタナベ ラインだ」
 草野「ああああ、ジュンヤワタナベさんね。スニーカーとかかっこいいのがあるよね」
 (すごい食いついてる(笑)。盛り上がって楽しそう)
 田村「(この番組で)こんな話、したの、初めてじゃない?」(笑)
 夢中になって会話が弾んで、ちょっと正気に戻った二人です。


 次は、「1988年10月30日にMZA有明で体験した」The Poguesで「Sally MacLennane」(1985年、2ndアルバム『Rum Sodomy & Lash ラム酒、愛、そして鞭の響き』)。
 (MZA有明。当時、ただの倉庫街にあったライブハウス。ディスコ?)
 「猫ちぐらの夕べ」の有明アリーナと同じエリア。
 田村「(当時はまわりに)何にもなくて、ただ野原を歩いていくと(MZA有明が)あった」
 「プロレスラーじゃない(こちらは山本小鉄さん)、空間プロデューサーの山本コテツさんがからんでるはず」と。
 こちらも草野くんご同行だったようで、「こちらも騒ぎましたよー」と田村くん。人もたくさん入っていたようで、「(The Poguesは)このころ流行ってた。オレもスピッツ号ダイハツアトレーで、いつも聴いてたもん」と草野くん。
 日本でも、16TONSなどThe Poguesに影響を受けたバンドがいて、「スピッツの『野生のポルカ』もThe Poguesの影響を受けています」。
 (ああ、すごく心が軽やかになる。気持ちいいなあ)
 The Poguesは、ココでも曲をかけていましたね。

 そして、懐かしのMZA有明もライブハウスとしては3年間しか営業していなかったようで、スピッツはその間に、The Groovers、GARLICBOYS、GYMNOPEDIAなどとともにここでのイベントに出演(1989年7月15日)。
 草野「このときもあんまり客さん入ってなかった。スピッツが出るとお客さんが入らなかったという時代」(笑)
 田村「そうですよ」
 この古~いビデオのパッケージ。The Groovers、GARLICBOYS、GYMNOPEDIAとスピッツの画像もあり。スピッツ、どれだかわかりますか??)
 

 次は、「1988年12月10日、武道館での」、Guns N' Rosesで「You're Crazy」(1987年、デビューアルバム『Appetite for Destruction』)。
 これはスピッツ4人全員参加!だったそうで、「そのあとのライブで、フロントの3人のうちテツヤと田村がガンズのTシャツ着てて、どーなの?って思った」(笑)と。
 草野「オレ、聴いてはいたけど、(すごい人気だったから)天邪鬼で、ガンズ好きじゃないの体でいたんだよね」
 田村くんもそうだったけれど、武道館より以前の延期ライブで「すごいかっこよくて、音もよくて。5本の指に入るくらいのライブだった」と。機材トラブルがあってアクセルが怒って帰ってしまったというNHKホールでの翌日のライブで、それが大当たりだったようだ。
 草野「今はそんなことないけど、昔は大当たりライブとか、大外れライブとかあったよね。途中で怒って帰っちゃうとか」
 田村「そうそう」(笑)
 それがライブならではなんだけど、「今はお客さんとか、許してくんなかったりするかもね」。(うーん)

 そして最後は、「1989年7月3日か4日の渋谷CLUB QUATTROでの」Fairground Attractionで「Perfect」(1988年、デビューシングル/1stアルバム『The First of a Million Kisses』に収録)。
 草野「これ、田村んちでよく流れてたよね」
 評判だったオシャレなジャケットはこちら。
 
 なんだかオシャレになりたかった田村くん。
 「オレもそうだった。タートルネックのセーターとか着て、オシャレを装ってた」と草野くん。
 田村「だからスピッツは渋谷系になりきれず」
 草野「もともと渋谷系じゃないし。ずっと新宿でやってたし」
 で、いまだにQUATTROは制覇できていない・・・。
 田村くんはMOTORWORKSで出たけれど、「それは石田くんや黒沢くんのおかげだったわけで」。
 草野「オレも誰かに紛れて、QUATTRO出たいな」
 QUATTROくらいのキャパのところで「来日アーティストのライブを見るというのは貴重な経験になるよね」と。

 このバンドのベーシストは、すごく大きなアコギに4本のベースの弦を張っている楽器を使っていて、その楽器を田村くんはすごくほしかったんだけど、当時日本ではどこを探しても売っていなかったそうだ。

 

 ギタロンというメキシコの楽器らしい。
 草野「オシャレな人が持ってると、よけいオシャレに見えるよね」
 田村「オレもオシャレに見えるかな~と思って。軽いなあ」(笑)
 草野「わかるよ。とくに80年代後半はそっちに寄っていく人も多かったし」
 だけど、そういう流れへの反発もあったようで、「もともとオシャレの素養がないしね。スタイル・カウンシルとかも聴いてなかったし」。
 My ever changing moods - The Style Council

 田村「オレら、田舎者だしね。東京者のオシャレな音楽にはかなわねーよ、っていうのはあったよ」
 草野「わかるわかる」(笑)
 だけど、Fairground Attractionは好きだった田村くん。
fairground attraction find my love - Glasgow Garden Festival 1990
(オシャレかどうかより、少なくとも心地よい爽やかさ。田村くんが欲しかったギタロンって、これなのね)

 特集の最後に。
 田村「メタル系は外したよ」(笑)
 先週先々週がそっち寄りだったので?
 Metallica、ANTHRAX、IRON MAIDENなど、当時の田村くんを形作っていたであろうバンドたちは、「外したよ、あえて外したよ」と(笑)。

 そして、「曲もそうだけど、ライブ会場も変わったね」と田村くん。
 震災後につくりかえたライブハウスもあるようで。
 スピッツはバブルブームに乗れなかったんだけれど、バブル後期のバブルの残り香の漂うライブ会場で「実際にオレたち、ライブやってたんだね」と田村くん。
 草野「こうやって長くやっていると、おじいさんの昔話みたいに語れることがたくさんありますよ」

 田村「でも音楽は、古くてもかっこいいんだなって、今日改めて聴いて、思いました」
 草野「そうだね。新しい発見があって、さらにかっこよく聴こえる人もいるしね」


 そして、「ちょっぴりタイムマシン」のコーナー。

 曲は田村くんの選曲で、FLYING KIDSの「幸せであるように」(1990年、デビューシングル)。
 浜崎貴司さん率いるFLYING KIDSの前身バンドは二人の大学のサークルの先輩で、「テクニックがメチャメチャうまかったから、テクニック的なものはオレらは追い求めるのはやめようって気分になった」とちょっと自虐気味に草野くん。
 「気持ちは、逃げでパンクに走るっていうのはヤだったんだけど」と田村くんは笑う。
 それくらい、FLYING KIDSの前身バンドはすでに十分にかっこよかったようで。
 田村「スピッツの『裸のままで』ってあるじゃん。あれをFLYING KIDSみたいに弾いて、って草野、言ったんだよ(笑)」
 草野「(笑)そうかそうか、ちょっとファンキーにって?」
 スピッツにはファンキーな要素ないのに・・・。
 草野「そういうこと、言ったか」
 田村「言いました。今、思い出した」
 草野「そういうこと、言いそう・・・」


 そして来週は、ワンアーティスト特集で、「Arctic Monkeysで漫遊記」。
 (ほ~、というような田村くんの反応)
 今世紀を代表するイギリスのバンド。
 草野「本当はKissとかそのあたりでやりたかったんすけど、ゲスト回、今日はそうでもなかったけど、先週先々週と、メタル、メロコアの率がすごい高かったんで(笑)、ちょっとベクトルを変えて、正統な感じで・・・」
 田村「そこらへんをアピールしとかないと」(笑)
 Arctic Monkeys・・・、草野くんの中では「若手」という認識だったけど、「もう若くはないんだね、ベテランの域に入りつつある」。
 楽しみです。
 そして最後に、
 田村「とてもおもしろかったです(こちらこそ)。次はスラッシュメタルで・・・」
 草野「スラッシュメタル・・・。お昼に流して大丈夫なんでしょうか」
 スラッシュメタル。できれば平和な時代に聴きたい。
 次、田村くん登場のころには、もう少し安寧な日々でありますように。


 FLYING KIDSのギター、加藤英彦さんから。
 https://twitter.com/fk6/status/1351063996770754560



 学生時代の友人たちに会いたくなるような、そんなゲスト回でした。
 二人で一気に盛り上がって、ちょっと照れて我に返る一瞬がそこここにあって、クスっと笑えました。
 そのあたりは私の文章力ではまったく反映できていない。
 残念ですが・・・。
 ま、記録ということで。
  
 さあ、今日も意識的に前を向くぞ。
 切羽詰まった状態で身動きできない方も多くいるなかで、今の私にできるのは。


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