隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

小学生のたたかい

2021年01月14日 19時00分03秒 | 日記

2021.01.14(木)



 今日は暖かい。
 銀行回りをして隣の駅まで歩いていたら(ここは駅の間隔がかなりあるのです)、汗をかいた。ダウンは不要だったな。
 街道沿いのケンタッキーにお客さんゼロだったので、相方と寄ってランチ。
 私の父がケンタッキーのオリジナルチキンが大好きで、晩年、散歩の途中に寄って、2本とか3本とか買ってたな。実家の近くのお店のスタッフの方には有名だったかも。
 相方も好きで、満足げな表情。
 外食とは言えないけれど、今年初めて、かな。
 ああ、よく歩いた。



 遠い実家に住む父親を亡くした女性は、PCR検査を受けて実家へ帰るつもりだったけれど、小学生の娘が「コロナが怖い」と泣きじゃくって、自分もママも、おじいちゃんの葬儀に駆けつけることを嫌がっている。
 飛行機や新幹線に乗るのが怖いのだ。
 もう少し小さければ何もわからずに親に従うだろうし、もう少し大きければ異なる反応をするだろう。ニュースをちゃんと見て、自分なりに解釈して、でもどこか中途半端でもある繊細な感性は、ある意味、愛おしい。
 今日が休みのパパは、一日、娘と付き合いながら話すだろう。ママがどんなにおじいちゃんを大事に思っていたか、君がどんなにおじいちゃんに愛されていたか、そしておばあちゃんがどんなに心細い思いをしているか。
 わかってはいるんだ、行ったほうがいいんだってこと。でも「怖い」という思いは捨てられない。自分が行かなくても、「ママが死んじゃったら・・・」、それが怖いんだよね。
 今は縄跳びと『鬼滅の刃』と四字熟語に夢中で、「大好きなのは『喜色満面』!」と笑う明るい彼女は、今、彼女なりに恐怖とたたかっているんだね。

 葬儀は儀式だしどこにいても弔いはできる・・・、それが私の変わらぬ信条だけれど、昨夜相方が「日帰りでも行かせてあげたいね」と小さくつぶやいた言葉が心に残る。父親の葬儀に娘を参列させてあげたいね、ということだ。
 さて、どういうことになるだろう。
 彼女のおじいちゃんは、どんなふうに孫のたたかいを見ているだろう。
 「そうやって、あなたの孫は、あなたの死を通して、一歩先を歩いていくだろう」
 葬儀に参列できてもできなくても、彼女がいつか、ちゃんと振り返って、祖父の死と自分の行為を思い出として受け止められればいい。それはまだ、パパとママの仕事かもしれない。


                              


 どうなるんだろう。
 世の中の空気がいろいろだから、みんなでどうにか・・・という大きな流れが起きるのは難しそうだ。
 「会食」ひとつとっても、受け止め方がさまざま。
 政治家だって、「いいんじゃないの、ちゃんと感染症対策をとっていれば。じゃないと店はみんなつぶれちゃうよ」と言う人もいるし。
 「with コロナ」なんてとんでもない、と思う私は、だらだらと数字に一喜一憂して暮らしていくのはいやだ。だから、期間を定めて、どうにかしたいと思ってしまう。
 そうじゃない人も多いんだろう。「コロナなんてなくなるわけないから、長期戦だし。だったらそんなにストイックにやってたらたまんないよ」と。

 ワクチンに期待していいんだろうか・・・。そんなことも思う。
 オリンピック・パラリンピックの開催に、トップはそろそろ疑問を持ってほしい。そのほうが自然だ。


 日常を選べない、というのが何よりキツイ。
 家にいることが好きな人だって、それを選んで暮らしていたら優雅だけれど、閉じこもっていなくちゃならないという規制の中での「家での毎日」は、心地よくはないだろう。そんなもんだ。
 だから、言葉にすると思いっきり軽いけれど、それでも私は、生きているうちに自由を取り戻したい


                              


 なんとなく仕事が片付かなかったり、気持ちに余裕がもてなくて先送りにしたけれど、今度の土曜か日曜には『猫ちぐらの夕べ』を見に「映画館」に行ってきます!。

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2 コメント

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Unknown (たたかいの中から)
2021-01-19 23:42:05
初めてコメントします。
スピッツ関連の記事、また前職が恐らく同業者という事から辿り着き、
もう10年近く前から読ませて頂いています。
今回の投稿、女の子のおうちの続きの投稿を読み、なんとも苦しい気持ちがし、コメントしました。

お母さんの気持ちも、女の子の気持ちもわかります(同じくらいの娘がいます)。
現在保育関係の仕事に就いている自身の気持ちからすると、娘さんの気持ちもあり、実際感染が広がっている現状からすると、涙をのんでこの話を娘さんの前ですることをやめたお母さんの気持ちもとても辛い。小さくても同じ娘の立場として、聞いてほしいという気持ちがあるかもしれない(もっと母親は強くなければと思うからこそ話をやめたと思いますが、その辛さを今汲める人がいればいいと思います)。

私ももういつ亡くなってもおかしくはない両親を抱えています。
亡くなるならまだしも、突然の病気などで介護が必要になったら、介護サービスの手配、取り敢えずの家の管理、もう片方の親のケアなど、リモートでは済まされない事が起きたら、と思うと、こんな状況だ、なるようになるしかないと考えますが、せめて同じ都道府県に住んでいたならもう少し気は楽だったかなとも思います。新幹線、飛行機を使わないと辿り着けない場所に住んでいると、自身の親の始末さえも(こういう言い方は不適切だと思いますが)、簡単には出来ない心苦しさで、時折とんでもない無力感を感じます。

一方で、毎日の通勤電車に乗れば、緊急事態宣言前とほぼ同じ程度の混み具合、会社に着けば、病院内の保育所を運営しているにも関わらず、自己管理を適切に行ってください、と大阪から東京、東京から東北に、リモート会議のシステムが構築されているのに、出張、移動している役員や、役職者の言葉を聞かされます。正直、いい気なものだと思いますが彼ら彼女らにも他人には言えない苦しみがあるのでしょうか。

誰でもが、自身の中で何かの思いがあれば気兼ねなく、訪ねることのできる日が早く来ることを切に祈ります。

私もまだ映画館に行けていません。早くチケットを予約したいです。私も心が弱っているからか、初めてのコメントにも関わらず長文失礼しました。また、楽しみに読ませて頂きます!
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うれしかったです。 (かけら)
2021-01-20 12:27:13
はじめまして。
そして、勝手なことを書き散らしているだけのココを、ときどき覗いてくださってありがとうございます。

この母娘のような例は決して珍しいことではなく、この一年の間にさまざまに形をかえて経験されている方が多いのだろうと思います。
私の周囲にも、そして私自身も胸に抱え込んでいることが解決できぬままにいます。
そんな中でのことだったので、思うままに書いてしまったのですが、こんなにも深く優しく受け止めてくださって、そしてコメントまでいただけて、そのこと自体が私にはとてもうれしかったです。
ありがとうございます。

母だから 親だから・・・という視線は常に、社会からもごくごく周囲からも寄せられるけれど、母親だって父親だって、誰もが強くいられるわけではない。そこにちゃんと寄り添える社会であり人間関係であってほしいけれど、こういう「非常事態」では特に、そこがおざなりにされてしまうことが多いですよね(そうでなくて平穏な日常の中でも「~であるべき」に縛られて身動きできなくなることの健気さを、同時に愚かさを経験してきています)。
子どもではなく母親の視点からの心配り、あなたからの言葉で改めて心にとめることができました。

ブログに書いた「ママ」は、もう次を見て歩き出しているので、きっと・・・と思いますが、あなたかたいただいた言葉の一部を伝えさせていただきます。
(この「隠れ家」は、私の本物の隠れ家なので、「ここを知らない知り合い」のほうがず~っと多いのですよ)

お仕事の中で、お子さんとの時間の中で、またご両親のことも含めて、ぎりぎりのところで気持ちを保っていらっしゃるのかもしれませんね。
私には何も言えないけれど、お時間のあるときに、またここに遊びに来てください。呑気にバカみたいなことを吐露しているとは思いますが・・・。

私は今週末には「映画館」に行きます! こんどこそ。
一緒に楽しめたら、うれしいです。

本当に、普通に移動できて、普通に好きな人たちに会えて話ができる暮らしを熱望します。

ありがとうございました。
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