隠し里

聖書の言葉。
イタリア語と日本語を記載しました。

聖ポンチアノ教皇聖ヒッポリト司祭殉教者の日 ペトロの第一の手紙4.12-19

2022-08-13 16:12:14 | 典礼

Diletti, non vi stupite della fornace accesa in mezzo a voi per provarvi, quasiché vi avvenisse qualcosa di strano.

Anzi in quanto partecipate alle sofferenze di Cristo, rallegratevene, affinché anche alla rivelazione della sua gloria possiate rallegrarvi giubilando.

Se siete vituperati per il nome di Cristo, beati voi! perché lo Spirito di gloria, lo spirito di Dio, riposa su voi.

Nessuno di voi patisca come omicida, o ladro, o malfattore, o come ingerentesi nei fatti altrui;

ma se uno patisce come Cristiano, non se ne vergogni, ma glorifichi Iddio portando questo nome.

Poiché è giunto il tempo in cui il giudicio ha da cominciare dalla casa di Dio; e se comincia prima da noi, qual sarà la fine di quelli che non ubbidiscono al Vangelo di Dio?

E se il giusto è appena salvato, dove comparirà l’empio e il peccatore?

Perciò anche quelli che soffrono secondo la volontà di Dio, raccomandino le anime loro al fedel Creatore, facendo il bene.

 

愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、

むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。

キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。

あなたがたのうち、だれも、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、他人に干渉する者として苦しみに会うことのないようにしなさい。

しかし、クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。かえって、この名によって神をあがめなさい。

さばきが神の家から始められる時がきた。それが、わたしたちからまず始められるとしたら、神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。

また義人でさえ、かろうじて救われるのだとすれば、不信なる者や罪人は、どうなるであろうか。

だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい



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