亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

古文書を読む

2018-01-01 | 古文書

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

昨日、紅白を見ていたら凄いおばあちゃんが出て来た。

その名を高橋真梨子という。年齢を調べたら68歳と出ていた。ご高齢にもかかわらず若い者には引けを取らないその歌唱力には感心した。

途中で寝てしまったので結果は分からない。

今年は新たに古文書を始めようと思う。

散歩の途中で書店に立ち寄ったら、吉田豊著「古文書をはじめる前の準備講座」を見つけた。内容を確かめたら随分分かり易い内容だったので1800円と高かったが思い切って求めてきた。家に帰ってから発行年月日を調べたら2008年6月25日とある。

発行から10年もたっている本。本は5年たつと古本となるという。古書店で求めると数百円でう買えるだろう。とんでもない高い買い物をした。

維新御布告往来

明治6年の発布である。内容をパソコンに打ち込んで見た。

 (前略)吾妻(あづま)ハ名(みょう)詮(せん)自称(じしやう)にて。今(いま)や其音(そのね)の東天紅(とうてんこう)。皇居(くわうきょ)となりし東京府(とうけうふ)。變(かハ)る賑弥増(にぎわひやまさ)る。昨日(きなふ)京都(きやうと)府(ふ)其儘(そのまま)に。別(べつ)に内裏(たいり)を遷(うつ)し江(ゑ)の。此(ここ)に戸(と)ざさぬ泰平(たいへい)を御代(みよ)萬(まん)歳(ぜい)と異口同音(ゐくどうをん)。人(ひと)大坂府(おおさかふ)三津(みつ)ながら。何(いづれ)も高(たか)く棟上(むねあげ)の。大區小(だいくせう)區(く)に番号(ばんがう)の。調(てう)密(みつ)したる人家(じんか)より。小細(こまか)に書(かき)し仮名暦(かなごよみ)。八將(はちしやう)しん心一化(しんいつくわ)して愚説(ぐせつ)に惑(まど)はぬ陽暦(やうれき)に。改(あらたまり)しハ理(ことはり)にて。千万年(いつまで)變らぬ。子(ね)の月(つき)が。第一月(だいいちげつ)の祝(いわい)月(づき)。三五七八十十二。此(この)七月(ななつき)ハ一月(ひとつき)の。日數三十一日。之をハ大の月と云(いひ)。四六九十一此(この)四月ハ。一月(ひとつき)三十日。之(これ)を小(せう)の月(つき)と云(いふ)。二月計(はかり)が日數(ひかず)只(ただ)。廿八日平の月。合(あは)して三百六十五丸(まる)一年(ねん)に立返(たちかへ)る。年(とし)の始(はじめ)も冬(ふゆ)にして。三ン月よりの春(しゅん)なれバ。四季(しき)は跨(また)ぎになる神(かみ)の。音(おと)づれ通(かよ)ふ鐘音(かねのね)に。隙(ひま)なき昼夜(ちうや)二十四時(よじ)。古(ふる)き称(となへ)えの九時(ここのつ)を。十二時(じ)として朝夕(あさゆふ)の。六時(むつ)は今(いま)でも六時也(ろくじなり)。総(すべて)て時數(じすう)の遇(ちやう)なるハ。従前(じやうぜん)の時(とき)にして。奇(はん)は即(すなわち)其(その)半(はん)。なる。例(れい)せば一時(いちじ)の半數(はんすう)は。舊(きゅう)稱(となへ)の九時半(ここのつはん)。二時の重數(ちやうすう)是(これ)八時(やつ)なり。其(その)他推(ほかおし)て知(し)るべき耳(のみ)。正午(ひる)十二時(じ)を央(なか)にして。他(た)時(じ)の前後(ぜんご)にふり分(わけ)の。髪(かみ)の毛(け)程(ほど)もたがわき爽(たがわ)さる。長短(ちょうたん)なしの午(ひ)時(る)過(すぎ)ぎより。夜(よ)の十二時(じ)に至(いた)る迄(まで)。午後(ごご)の何時(なんじ)と之(これ)を云(いひ)。夜(よ)の一時(じ)より午(ひ)時(る)前(まえ)を。午前(ごぜん)何時(なんじ)と之(これ)を云(いひ)。同時(どうじ)の名(な)をは分(わか)つ也(なり)。扨(さて)ドンタクは。皆(みな)一六啻(いちろくただ)その中(なか)に軍務校(ぐんむかう)。七曜中(しちようちゅう)の日曜日(にちようび)。英語(ゑいご)に之(これ)をソンディと。優美(ゆうび)に移(うつ)る時(とき)津風(つかぜ)。枝(えだ)もならさぬ千秋(せんしゅう)の萬(ばん)歳(ぜい)万民(ばんみん)自主(じしゅ)自由(じゆう)。外(ほか)に交(まじハ)る各國(かくこく)の。上(うえ)に輝(かがや)く日(ひ)の本(もと)ハ神(かみ)の後裔(みすえ)の八百万(やほろづ)。四海(しかい)に溢(あふ)る皇(みいき)威(ほい)。盛大(せいだい)繁盛(はんぜう)。に増(まさ)る。開花(かいか)の方今(いま)こそ尊(たふと)けれ

    御布告(ごふかう)往来(わうらい)ニ編終

ルビはブログでは出せないので、随分ごじゃごじゃした文書になったが、内容は今まで使っいた太陰暦を太陽暦に改めたことによる説明のようだ。

その昔は一日の時間の区切りは夜と昼に分け、日の出から日の入りまでを6等分して一時、二時と数えそれぞれを卯の刻、巳の刻というように数えていたようだ。当然昼の長さは季節によって違ってくるので一時間の長さがその季節によって変わる。正午とは午の刻だからそういうらしい。

昔は時計というものが無かったから庶民は太陽の高さから大体の時間を推定したので、太陰暦の方が便利だったのだろう。

古文書を説く講座がある。講師は何時も漏らす苦情は、パソコンにその文字がないので資料を作成するので苦労するという。

資料には所々手書きの部分があるのはその為だろう。

同じ事を亀がやって見てその大変さが理解できる。それでも上の文章を見ても分かると思うが、思いのほかに旧文字が入っていたのに感心した。  

 

今年も我が家の飼い犬に咬まれ続けつ年になりそうですが宜しく。

コメント (1)
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