亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

本多のお殿様

2015-02-16 | 歴史

前田家には5万石の本多のお殿様がいる。

世界的にも高く評価されている21世紀美術館。

映画釣りバカ日誌でも登場した。西田敏行と三国連太郎が名演技を見せてくれた。

都会的な雰囲気で、とても金沢で撮影したとは思えない。

地方では珍しく中には若い人で溢れている。

それだけでも近代的な雰囲気を醸し出してくれる。

それが、かつて加賀藩八家と言われる本多家のお屋敷があった所と言われている。

1万石以上あると立派な大名と言われる江戸時代、家老の分際で5万石を拝領していたのだから凄い。

この前読んだ「殿様は明治をどう生きたのか」(河合敦著)の巻末に乗っていた〝江戸300藩「最後の藩主総覧」″から本多を名乗っていた大名を拾って見た。

1  泉     本多忠伸(ほんだただのぶ)1852~1903    2万石

2  長尾    本多正訥(ほんだまさもり)1827~1885    4万石?

3  飯山    本多助実(ほんだすけざね)1819~1877    2万石

4  岡崎    本多忠直(ほんだただなお)1844~1880    5万石

5  西端(にしばた)本多忠鵬(ほんだただゆき)1857~1896

6  神戸    本多忠貫(ほんだただつら)1833~1898

7  膳所(ぜぜ)  本多康穰(はんだやすしげ)1836~1912    6万石

8  山崎    本多忠明(ほんだただあき)1833~1901

8家あった。幕末の石高は変動しているので正確ではないが大体ここに表した石高だと思われる。

これを見ても5万石とは凄い待遇だ。

加賀100万石の大名だからこそできる業だ。

 本多家の創業者?本多政重の経歴を石川県立美術館の隣にある「藩老本多蔵品館」のパンフレットから拾って見た。

本多政重は歴史の先生によると相当な悪だったらしい、それがどうして加賀藩筆頭家老になれたのか・・・


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 加賀のお殿様も松平姓を名乗... | トップ | こりゃぁ大変だ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史」カテゴリの最新記事