亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

無駄なことば

2018-12-10 | 法話

西本願寺の機関誌から一部分を拡大して参加者たちに配られた。

本願寺の記事が出るといろいろと批判が出るそうだ。

記事を書くにも余計な事に気を配らなければならないと。

「私たちのちかい」も三行目はいらないのではないか、との住職の意見。

「微笑みかけ語りかける仏さまのように」という文書は無駄だという。

三行目が無くても十分言いたいことが伝わる。

私もそう思う。宗教離れが問題になっているこの時、宗教を押し付けるような印象を受ける文章は避けるべきだと。

二行だけでも十分言っていることがわかる。むしろその方が文書としてすっきりするのではと。

最近は、女性の肩をちょっと触っただけでセクハラだとさわがられる、女性の年齢を聞くことさえタブーだという。

相手が男性でもセクハラがあるとか。学校など大変で毎日のように大阪まで行ってセクハラ対策の会議をしているとか。

全く住みにくい世の中になった。

「今男性トイレは工事中なので男性はトイレへ行く時は女性用トイレを利用してください」

チッポケなお寺に男性用、女性用ってあったっけ。

いや、行って見ると立派に分かれていた。

初めて女性用トイレとやらには行って来た。なんだか妙な気分だった。

まず最初に讃仏偈というお経が上がる。みんなで合唱するのである。初めは嫌で声が出なかった。が、最近は声が大きくなった。

これは回数が増えて慣れてきた性かな・・・・

いや違う。

時々、近くの体育館の前でやっている朝のラジオ体操にいっている。そこで昔教員をしていたというお喋りな老婦人と仲良くなった。彼女も耳が遠くて大きな声で話さなければ会話にならない。知らず知らずのうちにどうやら訓練されたみたい。さすが元教員人をその気にさせるのが上手い。

という訳で、恥ずかしがり屋の私もいつの間にか大きな声が出せるようになったのである。


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