クレヨンで源氏の武将で義の名が付いている者を拾って書いてみました。
一番先に出てくるのが
平安中期の武将。源頼信の子。陸奥守兼鎮守府将軍。武芸に秀で、坂東武士の多くを門客として組織。陸奥の安倍頼時・貞(さだ)任(とう)・宗(むね)任(とう)が反乱を起こしたとき、10余年にわたって苦戦を重ねたが、出羽の清原氏の援護を得て鎮圧に成功。この戦いを通じて東国の源氏の地位を確立。
源義家 1039~1106
平安後期の武将。頼義の長男。八幡太郎と号す。幼名、不動丸・源太丸。武勇人に勝れ、和歌も巧みであった。前9年合戦には父とともに陸奥の安倍貞任を討ち、陸奥守兼鎮守府将軍となり、後三年合戦を平定。東国に源氏勢力の根拠を固めた。
源義綱
河内源氏2代棟梁・源頼義の次男。母は平直方の娘で、兄の源義家(八幡太郎)、弟の源義光(新羅三郎)と同腹
源義光(近江・陸奥源氏) (信濃・甲斐源氏) 1045~1127
頼義の三男、義家の弟。通称、森羅(しんら)三郎。後3年の役に義家の苦戦を聞き、官許を得ずに救援に赴き開官された。のち東国を経営、武田氏・佐竹氏・小笠原氏などの祖となった。射術に優れ、また笙(しょう)の名手。
源義家の次男。 河内源氏3代目棟梁・源義家の嫡男だったが、対馬守に任じられたときに九州で略奪を働き、官吏を殺害したため、隠岐国へ流された。
平安末期の武将。義家の孫。義朝・為朝・行家の父。源氏の家督を継ぐ。世の六条判官ともいう。保元の乱に崇徳上皇方について敗れ、後白河天皇方についた義朝の嘆願も及ばず殺された。
源頼信-源頼義-源義家と伝領した摂関家領上野国八幡荘を相続した。長兄義宗が早世し、次兄義親が西国で反乱を起こすと、三兄の義忠と共に次期「源氏の棟梁」としての期待を受けた。しかし、乱暴狼藉を行ったことや、時代の趨勢に合わないと義家に判断されて後継者から外されていった。
叔父義光との抗争(常陸合戦)には敗れ、常陸国は従子でもある佐竹氏の初代当主である佐竹昌義(義光の孫)に譲ることになったが、足利荘を成立させるなど、上野国の隣国である下野国にも着実に勢力を築いていった。晩年にも勅勘を被るなど、気性の荒さは改まらず、荒加賀入道と言われた。
源義時 988~1075
平安中期の武将。源頼信の子。陸奥守兼鎮守府将軍。武芸に秀で、坂東武士の多くを門客として組織。陸奥の安倍頼時・貞(さだ)任(とう)・宗(むね)任(とう)が反乱を起こしたとき、10余年にわたって苦戦を重ねたが、出羽の清原氏の援護を得て鎮圧に成功。この戦いを通じて東国の源氏の地位を確立。
義家の孫。義朝・為朝・行家の父。源氏の家督を継ぐ。世にいう
東国へ下向、在地豪族(多くは坂東平氏)を組織して勢力を伸ばし、再び都へ戻って下野守に任じられる。東国武平治の乱で士団を率いて保元の乱で戦功を挙げ、左馬頭に任じられて名を挙げるが、3年後の藤原信頼方に与して敗北し、都を落ち延びる道中尾張国で家人に裏切られ謀殺された。源頼朝・範頼・義経らの父。
河内源氏、源為義の次男。源義朝の異母弟。源義仲(木曾義仲)の父。
為義の八男、義朝の弟。巨躯・剛勇・強弓をもって聞こえ、13歳の時九州に渡り、各地を席巻して鎮西八郎と称された。保元の乱には崇徳上皇方で奮戦したが捕らえられ、伊豆大島に配流された。のち狩野茂光に攻められて自害。琉球に逃れて琉球王朝の祖となったという伝説もある。
義朝の長男。15歳の時合戦で叔父の義賢を殺して武名をあげ、悪源太と称された。平治の乱には父に従ったが、敗れて美濃に逃れ、のち再び入京、平清盛らを討とうとして切られた。
義朝の9男。母は常盤。幼名、牛若丸・九郎・遮那王。検非違使尉(判官)に任せられたので九郎判官とも。平治の乱後、鞍馬寺に預けられ、のち奥州平泉の藤原秀衡の保護を受けた。1180年兄頼朝の挙兵に応じて84年源義仲を討ち、一ノ谷・八島・壇ノ浦に平家一族を破った。のち後白河院の信任を得て頼朝と対立、再び秀衡のもとに逃れたが、その子泰衡に襲われ、衣川で自刃した。悲劇的な生涯が伝説や文学作品の素材となって後世に伝えられる。
為義の孫。木曽山中で育てられ、木曽次郎と称した。1180年、以仁王(もちひとおう)の令旨に応じて挙兵し、平の維盛の大軍を倶利伽羅峠に破り、平氏を都落ちさせて入京。勢威を振るったが後白河院と対立、源義経・範頼軍に攻められて、近江粟津で敗死した。木曽義仲。朝日将軍。
源氏の系図を見ると物凄い多くの人名があった。その中で義のついた者だけを拾って書いた。
孫が残していったクレヨン、捨てるのがもったいないのでこれで字の練習をすることにした。
筆と違って筆圧が関係ないので線が太くなったり細くなったりしないので練習しやすい。
が、先が尖っていないのでどこが紙にあたっているのかわからないので形を出すのに苦労する。
子供のころ家が貧乏だったので気の弱い私は半紙を買ってくれとは言いにくく。新聞紙が真っ黒になるほで練習した。
真っ黒な新聞紙では字の出来が分からずなかなか上達をしないまま育った。
新しい紙で練習をしていればあるいはもっときれいな字になっていたかもしれない。
今でももったいないの精神が抜けず。新しい紙が使えず、ここの文字も残されている印刷物の裏紙で書いています。
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