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分権が国家を生きながらえさせた

2012-02-22 22:25:31 | 歴史
十字軍によるコンスタンティノープル占領のことの発端は、ビザンツ帝国お得意の皇帝家のお家騒動であった。

アレクシオス4世は帝位を得るにあたって十字軍の力を借り、莫大な報酬を約束していた。

野蛮な十字軍の傍若無人な振る舞いは市民の反感の種であったが、イスラム教徒の居住区を襲いモスクを荒らしたことに怒った市民は十字軍の傀儡皇帝であるアレクシオス4世を殺害する。

皇帝が殺されたことにより報酬が得られなくなった十字軍は帝国そのものを征服することにした。

そして、コンスタンティノープルは十字軍に占領されてしまう。十字軍はコンスタンティノープルを首都にラテン帝国を建国する。

従来の皇帝専制ならば、この時点でビザンツ帝国は滅亡し、ラテン帝国にとってかわられることを意味するはずであった。

しかしながら、アレクシオス1世の時代に認められた各地の貴族による地方政権はラテン帝国の支配化に入らず亡命政権を立てて抵抗した。

その中で特に有力であったニカイア帝国であった。

貴族に免税特権を与え、国営農場の成功などで内政面での不安を小さくしたが、対外的にもこの時代はモンゴルの進出に助けられた。

バトゥ=ハンの遠征はラテン帝国にダメージを与え、やがて内紛により蒙古帝国は分割され、ヨーロッパを支配したバトゥと中東を占領したフラグは対立し、マムルーク朝エジプトと敵対するフラグはヨーロッパ社会に友好関係を求めるようになる。

こうした内政面の成功と対外的な幸運を背景に、ニカイア帝国はついに主都コンスタンティノープルを奪回する。

確かにバラバラの状態の国家を統一するには中央集権を必要とするが、中央集権は官僚機構の肥大化と腐敗を横行させる。

アレクシオス帝の行った分権は、肥大化した官僚機構にリセットをかけただけでなく、危機に際して中央政府にとってかわりうるスペアも用意できたのである。

こうして、ユリウス・クラウディウス朝より続くローマ帝国の最後の王朝、パライオロゴス朝が打ち立てられたのである。

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