上北沢暗室雑記帳

写真に関するよしなしごとを

早春サイクリング

2008-03-22 22:35:55 | チャリ
 先週の日曜日のことだが、掛川周辺をチャリで走ってきた。
 例年なら秋から初冬のあたりに大学時代のサイクリングサークルの先輩方と行くのが、去年は都合がつかず今頃となった。遠州地方はもう春で、もってこいのサイクリング日和。花粉に反応しない我が身にとっては極めて快適で、四国や山陰の楽しかった春合宿のことが思い出された。
 前泊した法泉寺温泉を朝9時頃出て、掛川駅近所の市営駐車場でチャリを組み、9時半には走り始めた。近年希な早朝?の出発。というのも、今日のコースは65km以上の周回ルートで、まん中に小高い山があってショートカットもしづらいことから、真冬ほど日は短くないとは言え、弱った脚力を考慮し用心してのこと。
 まずは天竜浜名湖鉄道沿いに、城下町遠州森へ。


 駅前のボランティア観光案内所で古い街並みの残るあたりを教えてもらって40分ほどぐるぐる走り回ってみた。表通りはかなり現代的な家並みに建て替わっているが、ちょっと中の、車は難しいが自転車なら通れそうな小道に入ってみると、味わい深い一角が所々に見られた。


 森のあとは県道58号線で海の方に向かう。途中、住宅街の空地にポツンと名鉄の7300系が置かれていた。wikiによると、豊橋鉄道に譲渡されたものの性能的に不向きだったため、2001年に「超過激!電車丸ごとプレゼント」なる企画で放出されたものらしい。


 袋井の、国道1号線と交わる辺りでお昼。
 県道41号線で新幹線をくぐってまもなく、左手に分岐していく遊歩道が現れた。汽車のイラストのタイルが路面に埋め込まれていたりして、もしやと思えばやはり、鉄道の跡であった。




 中遠鉄道として袋井から遠州横須賀、新三叉まで開業、大井川の向こう藤枝から御前崎の手前まで延びてきていた藤相鉄道と戦後まもなくつながって静岡鉄道駿遠線と呼ばれたらしい。今日のコースに密かに盛り込んでいたんだろうと皆から罵られつつ、期せずして快適なサイクリング。


 ホームが残る駅跡もみられ、年寄りの憩いの場となっていた。賑々しくブロック舗装されていたのが、浅羽町を出るとアスコンに変わり、川の土手を走り始めてしばらくすると、線路跡はわからなくなってしまった。遠州横須賀の街はすぐそこ。


 とうもんの里という道の駅のようなところでちょっと休憩。稲面、で、とうもんと読むらしい。風はあるが、日向の芝生の上は心地よく、いつもなら1時間くらい昼寝していくところだが、今日はうかうかしてられない。さっさと走り始めるも、きれいに整備された横須賀城趾に寄り道して見学。道路地図にも載る横須賀の商家の街並みは、歴史ある建物が森よりも若干多く残っていた。



 ゆっくりと走り抜けたところで右折して海へ。遠州大砂丘の太平洋岸自転車道に進む。

 幸い向かうべき方へは追い風で、壮大な名前のとおりさぞかし豪快に走り抜けられるかと思いきや、分厚く砂が積もった区間が続出。700Cのタイヤはすぐに砂に呑まれてしまう。その上、飛砂を頭から被るところもちらほら。先輩夫人の新車がいきなり砂まみれになってるのは気の毒だったが、好天のもと雄大な海岸線を走るのは爽快。いくぶん飽きたところで菊川河口に出、川沿いに東海道線方面に戻る。


 道を間違え、掛川駅の手前は、高速道路沿いのアップダウンを走るハメになったが、茶畑沿いの静岡らしい景色でまあよし。
 この他にも何度か道を間違えたせいもあるが、走り終わってみると本日の走行距離は79.5kmであった。いつもより長目に地図を読んだつもりだったが、それでもぜんぜん短くて、すっかり詐欺師呼ばわりされつつチャリを片付け、17時半過ぎ、帰途に着いた。日焼けした顔に潮がひりひり。

#帰りの東名は、大井松田から横浜町田まで渋滞21km。PAで昼寝でもして深夜割引の時間帯まで待とうかと思ったものの、結局22時半頃帰宅。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ぜひぜひ (暗室管理人)
2008-03-25 23:54:00
次は暑い盛りに行きましょう。鉄分が上がり気味ですが。
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次回は (kuwathai)
2008-03-24 17:29:18
とても気持ちよさそうですね。次回は是非参加させてください。
返信する

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