~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~
第三話
55、 この真理の認識と実現とによってわれわれがすべて一体となるように、
わたしは辛抱強く待っている。真実については、人は争わない。
虚偽についてのみ人は争う。
自分が生きていること、現に生きつつある真実には人は争わない。
人はただ、様々の信仰や観念について争うのみである。
死に定められている者は肉の世からより優れる世界への出口を求めている。
故に死に定められた者は自分自身と問答をする。
しかし神我は決して問答はしない。神我はすでに直接知っているのである。
故にニセモノとホンモノとを見分けることは容易である。
56、 “I am” は聖語である。”I am that I am”。各時代の予言者達はこの永遠の
秘密を知っていたが、それを理解しうる者は僅少にしかすぎなかった。
しかし、いずれはすべての人々が理解するようになるであろう。
なぜならば、子が父なる神を顕示し、すべての者をして神を知らしめることが、
父なる神の御意志であるからである。
わたしの父の御意志を行うものがわたしの母であり、姉妹であり、兄弟である。
57、 神我の力をより深く悟るにつれてその力が神の愛と叡智とであることが
ハッキリと解ってくる。なぜならば、神我は神の子であるからである。
わたしは律法を破壊するためではなく律法を成就するために来た、と云ったが、
それに間違いはなかったのである。なぜなら、わたしは天に在る大いなる力の教えを地に
―――すなわち、裡なる神我の力を外に―――もたらしたからであり、
この力とは即ち神の霊と智慧である。
それは、調和や平安のごときあらゆる善き事を築きあげる者である。
それは永遠に存続する、しかし不調和は無智の中にのみとどまる。
無智は死であり生命ではない。
~ 感謝・合掌 ~