~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~
先の続き・・・
聴衆は次第々々に生長して参りました。
時々、主様が父とおっしゃる時は、
ご自身の中から湧き上がる愛の情感でご自身が圧倒されるのでした。
そのような時の声は薄れ、わたくしたちのことも全くお忘れになり、
父なる神の御愛の中に突然吾をお忘れになり、
イエス様とわたくしたちとの間に本当にどなたかがいらっしゃるのではないかと
思う程でございました。
そのような時にイエス様はきまって、わたくしたちよりももっとイエス様に近いお方、
『息よりも近い』どなた様かに、話しかけて居られたのでした。
イエス様は神の栄光に包まれてお立ちになり、父なる神に直接に呟かれるのでした。
時には、『父よ、わたくしは貴神を愛します、貴神がわたしに与え給うた者たち、
貴神の子ら、を愛します。
彼らの故に貴神に感謝し奉る』とおっしゃるのがわたくしたちに聞こえたこともございました。
言葉をお切りになると、そのお顔は、形容もできない程の柔和な愛に光り、恍惚の極みの光はそのみ姿を変え、
余りの烈しい光に目も盲(めしい)る程で、お顔から出る輝きにわたくしたちの目は堪えることができませんでした。
その情景は、イエス様が何かわたくしたちの得も知らぬ聖なる愛の神殿の中にでも入られたかと思うほどでございました。
かくも強裂な、かくも具体的な、かくも生々しい、周囲に集まってきている人々よりも
遙かに現実的な、父なる神の御臨在を、わたくしたちはただ畏(かしこ)み畏(かしこ)んで見詰めるだけでございました。
やがてそれも薄れて消え、そのあとにはイエス様が、栄光を超えた栄光の中に毅然として
お立ちになっていらっしゃるのでした。
~ 感謝・合掌 ~