イエスの御名にひざまずく
(ピリピ2:6-11)
「キリストは,
神の御姿であられる方なのに,
神のあり方を捨てることが
できないとは考えないで,
ご自分を無にして,
仕える者の姿をとり,
人間と同じようになられたのです。
キリストは人としての性質を
もって現われ,
自分を卑しくし,
死にまで従い,
実に十字架の死にまでも
従われたのです。
それゆえ,
神は,キリストを高く上げて,
すべての名にまさる名を
お与えになりました。
それは,イエスの御名によって,
天にあるもの,
地にあるもの,
地の下にあるもののすべてが,
ひざをかがめ,
すべての口が,
『イエス・キリストは主である。』
と告白して,
父なる神が
ほめたたえられるためです。」
わたしたちが目指すものは,
自分の繁栄でも名誉でもなく,
イエスの御名にひざまずき,
イエスの御名にひざまずき,
神が讃えられること,
神の栄光が現されることです。
パウロは,イエス・キリストについて
ピリピ人への手紙に書いています。
イエスは,
十字架に架かる前,
次のように祈りました。
(ヨハネ17:5)
「今は,
父よ,
みそばで,
わたしを栄光で輝かせてください。
世界が存在する前に,
ごいっしょにいて持っていました
あの栄光で輝かせてください。」
イエスも神の栄光を求めて
祈られました。
「御位を降り」(新聖歌155)
「御位を降り 人の子となり
君は御救いを 成し遂げませり
歌わん イエス君の 奇しき救いを
歌わん 声高く 心合わせて」