図書館・語り・紙芝居・集団相手の絵本よみ・ボランティアなどについて書きます。
絵解きボランティア
CDから覚えて語る
私は新潟市で「おはなし日和」という語りの会に入っています。最近数名の方が入会されて、とてもうれしいのです。先生はいなくて、お互いにやったりしたことを説明したりしながらの2か月に1度の定例学習会をしています。どなたでも入会できます。連絡先などはほんぽーとにお尋ねください。
それで、この前の学習会で、「CDを聞いて覚えてきた」と、短い2つのはなしを語った方がおられました。目からウロコというのはこういうことかと、つい投稿しました。
今までの私の理解は、
「語られた場所がある」 →
(採話)これを活字に起こす →
(再話)児童文学者や学校の先生が、わかりやすい形に書き換える →
(語り変え)これを幾種類か集めて研究して自分の言葉に直して語る 。
こういう流れです。そして、今回分かったのは、それに付け加えてCDやDVDを聞いて語るという方法があったわけです。
「語られた場所がある」 →
(採集?)CDに録音する →
(なんというんだろうか)これをまねて語る
ということです。この場合参考資料にあたるのは、CDのタイトルになります。作者にあたるのは編集者や語り手で、発行元はCD制作会社になるということでしょうか。
新人の方は入門講座を受けて入られたわけではありません。講座を受けていたら、こういうことは思いつかなかったでしょう。いままでの図書館講座であれば、『おはなしのろうそく』などを提示されてそのまま暗記することになっていたはずです。
けれど語りは民衆のものです。語りは図書館のものではありません。出版社のものでもありません。まして東京子ども図書館のものでもありません。もちろんそういわれた方も不愉快でしょう。だから民衆である私たちが自発的に方法を模索していくのはとても大切なことと感じています。間にCDという機械をはさんではいますが、昔ながらの「口承」ではないかと思いました。
NPO法人語り手たちの会の基礎講座で、聞き手の相槌とともに語る練習のワークショップがありました。DVDで見ました。
むかし (うん) くらーいくらーいもりのおくに (うん) ふかーいふかーいうみがありました (うん)・・・・だったかな。 (うん)をグループの人たちが実際に声を出してひとりの語り手が語ります。その時に、末吉さんが、「活字があるとそれを読むから」と、途中で黒板に書いた「むかしむかし」などという文字を消したのです。
消したことによって、ワークショップのグループの中で変化が起こったように見えました。口調や言葉が変わったのです。「くらい、くらい」などのイントネーションや、「ありました」が「あったと」という言い方に変わった人が続出したのです。
つまり、活字や文字を間に入れないことによってより自由度が増すということで、管理する側にすれば厄介かもしれないけれど、とても面白さが増したという風にも受け取れます。
こんなふうにCDからの口伝えや文字を介さない語りは、とても魅力的な語りになり、短い話といっても1か月ほどの間に2つものはなしを理解して覚えるということもできるわけです。 手前味噌ですが、おはなし日和はあんまり理論をあれこれ言いません。話の良し悪しは誰かが決めるというものでもない、ということも理解しています。そんなことでお互いがフラットであるという雰囲気でやっているので、初心者の力が自然に引き出されたのではないかと思っています。
話は飛びますが、当会がやっている「カミシバイハウス」で、最近小学生の女の子が、「かみしばいやるっ」と言って、やるようになりました。脚本そのまま読むので聞く方は大変ですが、会員さんの機知によって前回は登場人物を分担して、ぱっちりやることができました。そして、やり終わった後に、その子が前に出て立ったまま「星のはなしをします」と言って、星座のことを自分の言葉で語りはじめたのです。ただ、内容が整理されていなくて、中身がなんだかよくわからなかったのですが、前をむいて堂々とした声で語りはじめました。こういうこともみんな受け入れての子どもが自ら育つ場というスタンスの、カミシバイハウスですので、歓迎すべきことです。大人も子供も演じ手もフラットであることを大切にしていけば、なにがしか見えてくるものがあるように思います。
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