図書館・語り・紙芝居・集団相手の絵本よみ・ボランティアなどについて書きます。
絵解きボランティア
脚本 『ボランティアの環』
2009-08-03 / 脚本
絵は、⑪画面。
紙芝居や絵本の読み聞かせボランティアをするときに、紙芝居や絵本の学習の他に、「ボランティア」についての学習も必要です。図書館講座は、これを省略してきたきらいがあるので、自分で作りました。その場に応じて、短く語ることもできます。
『ボランティアの環』(和、でも、輪、でもいいけど、還るという意味を強めて)
① ボランティアは、一つの輪をぐるぐる回っています。みんな、この輪のどこかにいます。らせん状に上に上がっていくのではありません。
② まず、だれにでもできます。初心者は若葉マーク、長くやっている人は紅葉マークです。緑の道のそばにいて、どこからでも道に入ることができます。
③ 自分から進んでやります。会の主宰者に指名されてうれしくてやるとか、誰かに懇願されて「仕方ない、じゃあ、やってあげるわ」とやるケースは、常に自分を戒める気持ちがあれば修正できます。
④ 誰でも自分の生活を背負っています。それを大切に、自分自身をしっかり持って、外部との約束を守って一生懸命やります。
⑤ 相手のニーズに合わせます。相手から何事か(赤丸)を学び取ります。家元(先生)の管理のもとに教えを広めるためにやるのではありません。図書館は家元制ではないのですね。
⑥ 社会活動です。個人の思いや教えを広めるためとか、先生の指導の結果、練習成果の発表のために訪問する形の団体や人もあります。個人系と分類します。
⑦ もう一つの社会活動もあります。会のゆるやかなルールにくくられて、なおかつ会員同士は上下関係がなくお互いに学びあい、それぞれが機会をとらえて対外的な活動をしていきます。社会系と分類しています。これからは社会系の活動がボランティアの主流になるかと思います。
⑧ 学びながらやります。仲間同士、訪問先、本やインターネット、もちろん自分なりに考えて、自分の言葉で考えを構築していくことも大切です。
⑨ やっているうちに知識が増え、山に登ったような達成感を持ち偉くなったような気がします。しかし、現実の人間や、普通に暮らす相手の今を受容して自分も共にあることが基本だということを忘れず、みずから山を降りる必要があります。上るよりも、下りるほうが、難しいです。気楽にやることで、できます。
(我田引水)安吾も言っていませんでしたか?「堕ちよ!」って。
もちろん今まで得た何事か(スキル)は身についていますから、大丈夫です。下りることで自分やスキルが変化することは楽しいことですね。
また、山から下りられず、つねに指導者の立場にとどまるのが好きな人もいます。
⑩ 下りていくと、最初に戻ります。初心者の方と合流して、みんなが何年でも、対等に歩いていくことができます。下りられないと、らせん状にどんどん人間のピラミッドができていき、民主化から権威化に向かっていきます。
⑪ ボランティアは一つの環の中を歩いています。いろんな位置にいます。途中、お稽古ごとの朗読が得意で入ってこられる方もあるでしょう。⑥から入ってこられるということです。また、⑥へ出て行って自分の能力をお金に換え芸の道を究めるプロのような活動に進む方もあるでしょう。気をつけないと排除の論理に巻き込まれ、「わかる人だけ来てくれればいい」と考えるようになります。
ボランティアは山を上ったら 下りて、最初に戻ることでぐるぐる何周でも回り、自分のスキルを増やして長く続けることができます。手の届かないほど偉そうに見える人でも、ただ輪の反対側にいるか山から下りられない人である可能性があります。きっと、しばらくするとあなたが今いる場所に歩いてきます。ボランティアというのは、せっかく上った山を自ら下りる脚力がある人です。現場は、何より学びの宝庫で楽しいですからね。
図書館は、輪の近くにいて、ボランティアに必要な資料を差し出す人であったはずですが、山の上で下りられない人を重用したのでしょうね。だから、ボランティアがらせん状になって、ひらがなカタカナの絵本が「どうやって読んだらいいかわからない」事態になっていった。どうか、転換してください。
紙芝居や絵本の読み聞かせボランティアをするときに、紙芝居や絵本の学習の他に、「ボランティア」についての学習も必要です。図書館講座は、これを省略してきたきらいがあるので、自分で作りました。その場に応じて、短く語ることもできます。
『ボランティアの環』(和、でも、輪、でもいいけど、還るという意味を強めて)
① ボランティアは、一つの輪をぐるぐる回っています。みんな、この輪のどこかにいます。らせん状に上に上がっていくのではありません。
② まず、だれにでもできます。初心者は若葉マーク、長くやっている人は紅葉マークです。緑の道のそばにいて、どこからでも道に入ることができます。
③ 自分から進んでやります。会の主宰者に指名されてうれしくてやるとか、誰かに懇願されて「仕方ない、じゃあ、やってあげるわ」とやるケースは、常に自分を戒める気持ちがあれば修正できます。
④ 誰でも自分の生活を背負っています。それを大切に、自分自身をしっかり持って、外部との約束を守って一生懸命やります。
⑤ 相手のニーズに合わせます。相手から何事か(赤丸)を学び取ります。家元(先生)の管理のもとに教えを広めるためにやるのではありません。図書館は家元制ではないのですね。
⑥ 社会活動です。個人の思いや教えを広めるためとか、先生の指導の結果、練習成果の発表のために訪問する形の団体や人もあります。個人系と分類します。
⑦ もう一つの社会活動もあります。会のゆるやかなルールにくくられて、なおかつ会員同士は上下関係がなくお互いに学びあい、それぞれが機会をとらえて対外的な活動をしていきます。社会系と分類しています。これからは社会系の活動がボランティアの主流になるかと思います。
⑧ 学びながらやります。仲間同士、訪問先、本やインターネット、もちろん自分なりに考えて、自分の言葉で考えを構築していくことも大切です。
⑨ やっているうちに知識が増え、山に登ったような達成感を持ち偉くなったような気がします。しかし、現実の人間や、普通に暮らす相手の今を受容して自分も共にあることが基本だということを忘れず、みずから山を降りる必要があります。上るよりも、下りるほうが、難しいです。気楽にやることで、できます。
(我田引水)安吾も言っていませんでしたか?「堕ちよ!」って。
もちろん今まで得た何事か(スキル)は身についていますから、大丈夫です。下りることで自分やスキルが変化することは楽しいことですね。
また、山から下りられず、つねに指導者の立場にとどまるのが好きな人もいます。
⑩ 下りていくと、最初に戻ります。初心者の方と合流して、みんなが何年でも、対等に歩いていくことができます。下りられないと、らせん状にどんどん人間のピラミッドができていき、民主化から権威化に向かっていきます。
⑪ ボランティアは一つの環の中を歩いています。いろんな位置にいます。途中、お稽古ごとの朗読が得意で入ってこられる方もあるでしょう。⑥から入ってこられるということです。また、⑥へ出て行って自分の能力をお金に換え芸の道を究めるプロのような活動に進む方もあるでしょう。気をつけないと排除の論理に巻き込まれ、「わかる人だけ来てくれればいい」と考えるようになります。
ボランティアは山を上ったら 下りて、最初に戻ることでぐるぐる何周でも回り、自分のスキルを増やして長く続けることができます。手の届かないほど偉そうに見える人でも、ただ輪の反対側にいるか山から下りられない人である可能性があります。きっと、しばらくするとあなたが今いる場所に歩いてきます。ボランティアというのは、せっかく上った山を自ら下りる脚力がある人です。現場は、何より学びの宝庫で楽しいですからね。
図書館は、輪の近くにいて、ボランティアに必要な資料を差し出す人であったはずですが、山の上で下りられない人を重用したのでしょうね。だから、ボランティアがらせん状になって、ひらがなカタカナの絵本が「どうやって読んだらいいかわからない」事態になっていった。どうか、転換してください。
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